ジャーナリスト 石川秀樹 -15ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

★Facebookで“顔出ししても大丈夫な設定”見つけた! 「ブロック」と合わせ技で実現
http://denhon-charisma.com/dc/shut-out-the-stalker2/


ずっと割り切れないまま「保留」にしてきた問題に、ようやく目鼻をつけることができたような気がする。
Facebookのストーカー対策だ。







一度思い込まれてターゲットにされると、何をされるか分からないということで、最終的にはFacebookをやめざるを得なくなったりする。
特定アカウントに対して「ブロック」は非常に有効だが、現在のFacebookでは別アカウントを作ってなおもつきまとうことは容易だ。厳密な認証制度こそが必要なのだが、Facebookは金輪際、それを導入するはずもない。


万事休したと思っていたが、Facebookは「認証問題」を除けばしっかり改善している。「友達」と「非友達」の区別がはっきりつくようになって、ストーカーの別アカウントにも対抗できる手を思いついた。
「手」と言っても、しごく当たり前の設定の徹底だ。


関心のある人が多いのではないだろうか。
これでイケルと思っているのだが、改良点があればアドバイスをいただきたい。



★2年間のアルゴリズム変遷を追った。Facebookは「友達」優位に回帰していく!
http://denhon-charisma.com/dc/changes-in-the-algorithm/


Facebookのニュースフィードに表示されるコンテンツの傾向は、この2年間でずいぶん変わった。この間にFacebookはアルゴリズムを大きく変更している。


有名なところでは
▼ストーリーバンピング Story Bumping
▼ラストアクター Last Actor
▼ミームコンテンツの削減
▼いいね!、コメント、シェアをけしかける投稿の削減
▼「ネガティブフィードバック」の導入
▼クリックバイティング Click-baiting
▼トレンディングトピックス Trending Topics
などの意味を解説した。





これらは個々にはその都度、話題にはなる。しかしその取り上げ方は「いかにして表示の不利をかわすか」などといった即物的な話に終始しがちだ。
ところがこれらの「アルゴリズム変更」を2年間通して見てみると、Facebookの意図が明確に見えてくる。


<以下、結論の抜粋>
ニュースフィードは一般ユーザーに有利な方向に変わりつつある。逆に企業やブランド、商店、個人サービスなどのFacebookページには逆風が吹くだろう。表示を上げるための姑息な手段はほぼ通じなくなっている。創設から10年がたち、Facebookはルネッサンスを目指している。“原点返り”であって、後退ではない。コンテンツの質を重視し、友達との関係性にもう一度力点を置き直すというのは、とてもよい企図だと思う。


解説をていねいに行ったので長くなった。
アルゴリズムの変更は一般ユーザーには関係ない、なんてことはない。実は大いに影響を受けている。
きのうと今日のご自分のニュースフィードの様子がガラッと違っている、ということが起こり得るほど「表示ルール」の変更は劇的な変化を生む。




<★「過去のこの日」でFacebookは“過去”の意味を変えた! 不滅のSNSを狙う野望>
http://denhon-charisma.com/dc/past-of-this-day/


Facebookは今年3月、「過去のこの日」というユニークな機能を追加した。1年ごとに過去の記事を復活させてユーザーのニュースフィードに表示してくれるというサービスだ。


「なんだ、思い出復活か? 何の意味がある?!」
と、私は試しに使ってみることもしなかった。
しかしきょう、たまたまFacebookが「2年前の記事」ですすめてきたので、腰を据えて試してみた。





かなりスゴイ!
「すごい」と言っても、過去記事を引っ張り出して表示してくれるだけだ。“登録”すれば毎日毎日「この日(this day)」の記事を表示してくれる。合わせて、さまざまなアクティビティも。
なんてことない・・・・。


確かにこの機能自体はどうってこと、ない。ストックしたコンテンツを引っ張り出してくるだけだ。
Facebookはここのところしきりにこの新機能をおすすめしてくる。よほどご執心らしい。で、あらためて考えた。
ほんとうに「どうってことない?」


14億人ユーザーに毎日、過去記事をサーバーから引っ張り出してきて見せてあげる。ただのノスタルジーか?
利用するユーザーの側はそうかもしれない。
しかしFacebookは伊達や酔狂でこんなめんどくさい力仕事をするわけがない。サーバーの負荷はどれほどだろう。


そんなこんなを考えていると「過去のこの日」はただの新機能に見えなくなってきた。Facebookは「未来永劫あなたがたの(創った)コンテンツを生きたまま保管しますよ」と宣言しているのではないか。
死蔵ではない。生きたままだ。


アメリカ人のやり方、その根底にある発想は途方もない。
そんなことを感じている私は変わり者だろうか。





★Facebookの「ブロック」は最後の手段 !!! お手軽情報遮断は報いを受ける!?
http://denhon-charisma.com/dc/block-is-a-last-resort/

※2か所に書いた「ブログへの誘導記事」をまとめてみました。



我ながら乱暴な言い分である。
「ブロック」=情報を遮断、いや、人間を遮断する機能にはニガイものを感じている。たぶん、職業柄つちかわれた性分なのかもしれない。


新聞記者は人に興味を失ったら、おしまいである。
しかし人に興味をもっても、相手にとって都合が悪ければ、こちらが遮断されることもしばしばある。
だからFacebookやLINEのようなソーシャルメディアで「ブロック」という情報遮断手段があることは理解できるし、その手段を否定はしない。
しかしその“お手軽乱発”には、人ごとながら気になるのだ。


Facebookの「ブロック」はただの情報遮断の手段ではない。
ブロックする者、される者双方の全人格否定のような側面がある!
ストーカーやスパム行為をする連中が跋扈する今のFacebookで、「ブロック」は最終手段として必要不可欠である。しかし不可欠であるのはこれらの連中に向けてだけ。ふつうのユーザー、ましてや現実の知り合いをポンポン切っていくのはまずい。


そんなことをするあなた自身の人格が疑われてしまう。
ふだんは大人しい人(文字通り「おとな」である)なのに、SNSの世界だと人変わりしたように自己中心的になる人がいる。
そういう姿はみっともない。


ああっ、こういうことを書くので私は嫌われる・・・・・。
でも、まあ、そういうことを今回は書いたのだ。
きのうは「ジャーナリスト石川秀樹」のページで告知した。
反響はさっぱりだった。『時間を損したな』と思った。
ところが今朝になって、少し様子が変わってきた。
読んでくれる人が急増しているようなのだ。


そういうわけで今日も、余計なことを書いている。
お許しを!






Facebookの「ブロック」について、(実はFacebookのさまざまな問題について200テーマ以上書いてきているけれど)本格的な論評はまだしていなかった。
書けば説教くさくなると思うので、ずっと気が乗らなかった。


でも「ブロック」って、この絵のようなイメージなのだと思う。
アチラの世界と切り離されてひとり。
寂しそうに見えないけれど、肩ひじ張ってじっと我慢している人に見える。
ブロックを乱発する人には分からないだろうけど。


ブロックは「お手軽情報遮断機能」じゃない!
特にFacebookでは。
「こっちに来るな! 顔も見たくない、同じ空気も吸いたくない」という全人格否定の告知と同じだ。


「うざい」程度で締め出されちゃたまらない。
それも抗弁の機会すらなく、一方的に、断固として否定される。
「ブロック」は最終手段。その意味は[最後の対抗手段ですよ」という意味を込めたつもりだ。つまり専守防衛。
前のめりになってポンポン人を切っていくための手段ではない。


勘違いしている人が多いと思ったので、あえて書いてみた。




<★画像検索で学生の過去を調べるなんて“就活神話”だ! 企業はそんなにバカじゃない>
http://denhon-charisma.com/dc/shukatsu-mythology/


この時期、就活神話がうごめき出す。
画像検索にかければ過去の行動がバレバレになる、などというのもそのひとつ。
バカも休み休み言ってもらいたい。
試してみれば、そんな悪趣味な機能なんか働きようがないことくらいすぐわかる。


おびえてすくんで自分を隠そうとする。
そんないじけた精神だから会社になめられるのだ。
Facebookだって一所懸命にやってきたなら「実績」だ。
堂々と、私はこうでしたと見せればいい。


あなたが一生を託そうとする会社、そんなにバカではない。
企業が見たいのは“本当のあなた”だ。
自分が伸びる可能性を見せてやろう。
ありもしない「神話」に心揺さぶられてあたふたするより、
しっかり自分がやってきたことと「これから」にかける思いを伝えよう。