<★Facebookの「ブロック」は最後の手段 !!! お手軽情報遮断は報いを受ける!?>
http://denhon-charisma.com/dc/block-is-a-last-resort/
※2か所に書いた「ブログへの誘導記事」をまとめてみました。
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我ながら乱暴な言い分である。
「ブロック」=情報を遮断、いや、人間を遮断する機能にはニガイものを感じている。たぶん、職業柄つちかわれた性分なのかもしれない。
新聞記者は人に興味を失ったら、おしまいである。
しかし人に興味をもっても、相手にとって都合が悪ければ、こちらが遮断されることもしばしばある。
だからFacebookやLINEのようなソーシャルメディアで「ブロック」という情報遮断手段があることは理解できるし、その手段を否定はしない。
しかしその“お手軽乱発”には、人ごとながら気になるのだ。
Facebookの「ブロック」はただの情報遮断の手段ではない。
ブロックする者、される者双方の全人格否定のような側面がある!
ストーカーやスパム行為をする連中が跋扈する今のFacebookで、「ブロック」は最終手段として必要不可欠である。しかし不可欠であるのはこれらの連中に向けてだけ。ふつうのユーザー、ましてや現実の知り合いをポンポン切っていくのはまずい。
そんなことをするあなた自身の人格が疑われてしまう。
ふだんは大人しい人(文字通り「おとな」である)なのに、SNSの世界だと人変わりしたように自己中心的になる人がいる。
そういう姿はみっともない。
ああっ、こういうことを書くので私は嫌われる・・・・・。
でも、まあ、そういうことを今回は書いたのだ。
きのうは「ジャーナリスト石川秀樹」のページで告知した。
反響はさっぱりだった。『時間を損したな』と思った。
ところが今朝になって、少し様子が変わってきた。
読んでくれる人が急増しているようなのだ。
そういうわけで今日も、余計なことを書いている。
お許しを!
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Facebookの「ブロック」について、(実はFacebookのさまざまな問題について200テーマ以上書いてきているけれど)本格的な論評はまだしていなかった。
書けば説教くさくなると思うので、ずっと気が乗らなかった。
でも「ブロック」って、この絵のようなイメージなのだと思う。
アチラの世界と切り離されてひとり。
寂しそうに見えないけれど、肩ひじ張ってじっと我慢している人に見える。
ブロックを乱発する人には分からないだろうけど。
ブロックは「お手軽情報遮断機能」じゃない!
特にFacebookでは。
「こっちに来るな! 顔も見たくない、同じ空気も吸いたくない」という全人格否定の告知と同じだ。
「うざい」程度で締め出されちゃたまらない。
それも抗弁の機会すらなく、一方的に、断固として否定される。
「ブロック」は最終手段。その意味は[最後の対抗手段ですよ」という意味を込めたつもりだ。つまり専守防衛。
前のめりになってポンポン人を切っていくための手段ではない。
勘違いしている人が多いと思ったので、あえて書いてみた。