ジャーナリスト 石川秀樹 -13ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


★ドラマ遺産争族、「自筆遺言のワナ」より怖いのは「相続税」に無策を続けることだ!
http://yuigonsouzoku.net/heritage-dispute/


テレビ朝日系の木曜ドラマ『遺産争族』を職業柄、楽しんで観ています。先週の第7話なんて、秀逸でしたよ。
「自筆遺言」にかかる落とし穴がいくつかあって、それを巧みにドラマに取り入れて”争族”ぶりを一層盛り上げていました。


今後のストーリー展開を注目していきたいんですが、事業家の皆さんは、もうひとつ別の観点からこのドラマを観てください。
伊東四朗が演じる「河村龍太郎」という人は一代で葬儀社を築き一応の”成功者”なのですが、事業承継を考える経営者としてはまず最低水準です。




相続財産としては、分けにくい代表格である「豪邸」と、未上場企業の自社株というこれまたやっかい極まりない財産が中心。そして現金は金庫に隠しておいた数千万円(?)
こんな未整理のまま「相続」を迎えなければならないとすれば、無策というほかありません。


未上場企業の自社株は、例えば資本金が2000万円だとしても、業績好調な企業であれば「相続税評価額が数十億円」と評価されることもあるのです。
どうやって相続税を払いますか?


そこに思い至れば、余命何年ともわからなくなってなお”くだらない遺言”を書いてわざわざ家族をもめさせることなんて、ありえないんです。
もともな経営者なら、(たとえ現職の社長は譲っても)事業承継を考え抜いて、何年も前からありとあらゆる対策を講じるのが普通です。


まあ、そんな人を主人公にしたらドラマはこんなに盛り上がりませんけれど。
というわけで、別の観点からドラマ感想文を書いてみました。





書きたい書きたいと思っていたけれど、なかなか時間が取れなかった。


先日、大切な友達に頼まれてFacebookのことをレクチャーした。
そのときのこと、思いがけない事実にいささかあきれたことがあったのだ。


★でたらめメアドでFacebookアカウント! 甘い認証、はびこる悪意
http://denhon-charisma.com/dc/sloppy-authentication/


Facebookでいくつもの偽アカウントがあることは承知している。
何度も警告してきた。
ところが今回は・・・・・






どうせ説明のための「ダミーアカウントの制作」だから、
認証時に求められるメールアドレスをいい加減に打ち込んだ。
「@」の前の文字はでたらめの数字と英語、実在しないメアドをその場で”創作”した。
当然、メール認証の段階でエラーが出るものと思っていたのだが、Facebookはメールの打ち返しなどしないのだった。
これでは「ただの文字列」。


さらに「パスワード」も打ち返しをしない。
勘違いしてキーを打っていたら、自分が作ったアカウントにログインできないかもしれない。
「名前」も「生年月日」も適当でOKだ。


今回はやらなかったが、プロフィール画像も人と同じものを使っていても、アカウント作成時にエラーが出ることはない。
こうしてつくられたアカウントが世界14億の過半数を占めるのではないか?


きょうという今日は、そんなことまで考えた。
Facebookに偽アカウントが横行するわけだ。
Facebookビギナーの彼に、私は強くFacebookをおすすめできなくなってしまった。




★「実家」の相続はなぜもめるのか──「遺産争族」はあなたの家で起きる ! !
http://yuigonsouzoku.net/heritage-dispute-occurs-in-your-home/


『遺産争族』がテレビのドラマになって、遺言書が何かと話題になる昨今です。
そういえば自民党の「家族の絆を守る特命委員会」が9月に「遺言控除」の創設を求める提言を行い、現行の相続税に注文を付けました。税制大綱に盛り込まれるかどうか注目されるところではありますが・・・・。


でも、家族の絆ねぇ。
新経済主義の下、競争社会に傾斜して格差を生み出し、ギスギスした”家族を分断する”ようなことばかりをやってきた自民党が、こと「介護の話」になると家族の絆を求めても・・・・。
現在の家族はそんなゆとり、ありはしません。
介護離職は2013年時点でも10万人。今後20年間は高齢者人口は伸び続けるばかり。離職数はもっともっと増えるでしょう。




介護離職は「老後破産」の予備軍だとも言えます。
働き盛りの年代に、親の介護のために職を辞すしかなかったんですから。職の中断は後の再就職に響きます。介護が長引き50代になって「働き手に復帰を」と言っても、会社はなかなか受け入れてくれない。負のスパイラルにはまるきっかけになるのです、介護離職は。


介護に貢献した人に財産を遺す遺言を書いたときには相続税の基礎控除額を増やすだなんて、ノーテンキとしか思えない。
「介護離職ゼロ」だなんてできもしない御託を述べているより、中高齢層が現役としてビジネス社会に復帰できる社会にするよう全力を尽くしてもらいたいものです。


だいぶ話がそれてしまった。
「ふつうのお宅で相続紛争が頻発している」というお話です。
認識していただきたいのは、資産家一家で起きる”争族”は1%に満たない少数であり、大半は「相続税を払う必要もない」ごくごく普通の”中流家庭”で起きているということです。






原因は?
端的に言えば、分ける財産が「マイホーム」という分けにくい財産が主体になっているからです。
それにプラスして、「相続」についての認識が「昭和年代」とは違っていること、そして亡くなる人の超高齢化、ひいてはもらう側の相続人たちの高齢化も影響して、相続自体がもめやすい構造になっていることが挙げられます。


この解決策は・・・・・。
早くこちらのテーマを書きたいのですが、まずは”いまの相続”の環境について書いてみました。










★妻に全財産を相続させる”魔法の1行” らくらく文例1
http://yuigonsouzoku.net/inheritance-to-my-wife/

「遺言書」はまぎれもなく強い効力を持つ法律文書だ。
その遺言書を普及させるべく(?)、自民党の「家族の絆を守る特命委員会」は9月、「遺言控除」の創設を盛
り込んだ「家族の絆を強くする税制についての提言」をまとめた。
賛否いろいろあると思う。
「家族の絆」の意味があいまいだからだ。
自分勝手な遺言書が、かえって家族を争族に巻き込む事例がないとは言えない。





しかし、そんな不都合なあれこれがあるとはいえ、たった1行の遺言が最愛の人を不測の事態から救うこともある。
これから少しずつ、自筆遺言を書く人のために「らくらく文例」を紹介しようと思う。
第1弾は迷いなく「妻のために遺す遺言」を選んだ。


フィクションにして書いてあるが、身近に体験した例を元にしている。遺言書の1行があるかないかで1人の人生が大きく変わった事例だ。
まことに遺言書は「大きな権力」である。
書くにしろ書かないにしろ、心に強くとどめておきたい。




★内縁の妻に全財産を遺贈する”魔法の1行” らくらく文例2
http://yuigonsouzoku.net/testament-to-the-inner-edge-of-wife/

結婚届を出している妻の場合でも、お子さんがいない場合はあなたのご両親や兄弟姉妹に遺産の一部が相続される可能性がある。
だから前回「魔法の1行」を遺言に書こう、とおすすめした。


きょう書いたのは「内縁の妻」のケース。
事実婚のご夫婦の場合、こと相続においてはまったく法に守られていない。日本の相続法である「民法」によれば、はなから法定相続人ではないので、ふつうにあなたが亡くなった場合、結婚届未届けの妻が相続することは100%ないことになる。
「魔法の1行」はこんな場合にこそ必要だ。


遺言書への表記法は、法定相続人に対しては「相続させる」。
一方、相続人でない人へ遺産を分ける場合は「遺贈する」と書く。ふつうの人に表記が異なる意味は理解できにくいと思うが、
「その遺言書、待った」と難クセを付けられないよう、注意して書きたい。





また、「全財産を内縁の人に遺贈する」と戸籍上の妻子が黙っていないことも考えられる。
だから「魔法の1行」はあくまで緊急避難。
まずその遺言を書いて”最低限の命綱”を確保した上で、あらためて戸籍上の妻子たちに配慮した遺言書の書き方も例示した。


大方の人には関係のない事象だと思いますが、遺言書の持つ意味がこの事例を通してよくわかるので、多くの人に読んでいただけたらと思います。







★Facebookのクチコミ原理──テクニックなんかいらない、記事の価値だ!
http://denhon-charisma.com/dc/principle-of-review/



Facebookのクチコミにテクニックなんか無用だ。
私は長い間、「Facebookでクチコミを起こすには原理原則があって、それを理解すればクチコミを起こせる」と思っていた。
原理原則がわかれば、あとはテクニックの問題であると。



愚かな間違いだった!
Facebookの記事にアクセスが殺到する原理というものは確かにある。
簡単なことだ。
「いつもの投稿」よりいいね!、コメント、シェアなど読み手の反応が早く、しかもその数が”圧倒的に”多い時に、Facebookにスイッチが入る。
ではそういう状況をどうしたら起こすことができるか、というのが次の問題だ。





私は長い間、「起こせる」と思っていた。
テクニックさえあれば。
よい記事が書けさえすれば。
自分の欲得を表に出さなければ。
(正直に告白すれば、これらのことは今も実践している)



上に書いたことは間違いではない。
しかし、十分ではなかった。
己の欲得を出さず、読み手の役に立つ記事を、読みやすく書く──
これらのことがFacebookでクチコミを起こすための必要にして十分な条件であるなら、私でも、10に2、3回はクチコミを起こせたはずだ。



しかし実際は、センミツ(1000回に3回ほど)ではないが、100回書いて1つか2つ当たる程度だった。
そう、まさに「当たる」なのだ!
当たるか当たらないか、予測ができない。
いや、何度も何度も『この記事は当たるぞ』の思いがあって書いてきた。
でも、ほとんど当たった試しはない。



なぜだろう。
結局「当てる」というのは私の主観である。
どうやらFacebookは「当てに行く」メディアではなく、いつか「当たってしまう」「当たるという幸運が訪れる(こともある、かもしれない)」メディアなのだ。



そういうメディアを前にして自分にできることは、
▼一喜一憂しないで書き続けること、
▼読み手の得、お役立ちを考え続けて書くこと、
▼色気を見せずに冷静にていねいに書くこと、
▼あきらめないこと。



Facebookはまことに思い通りにならない。
「よい記事が書けた」とうぬぼれていると外れる。
気がついたことを即席にサラサラと書くと大きく拡散したりする。
計算ができない。
それは多分、Facebookの特徴というより「人の特徴」なのだろう。



結局、Facebookと向き合うと、人と向き合っていることになる。
今さらながら、そんなことに気がついたという論考です。