なにげない日常の中で、

 

 

「えぇぇーー、ちょ、今の何?何?」

 

 

みたいな、シーンに出くわして、

なんとなく「嫌なもの見ちゃったな」

とか、瞬間的に腹が立つようなことが

たまにあると思うのですが、

 

 

数か月前、スーパーの入り口で、

レジかごを取ろうとしていたとき、

かごが絡まってあたふたしていたら、

 

 

後ろで待っていたオジサンがいるのに

きづかず、何の配慮もなかった自分が

悪いのですが、あからさまに

 

 

「チッムキー

 

 

とやられて、

 

 

「あっ、すみません!!!」

 

 

って、とっさに謝ったものの、

そのあとも何度か振り返って睨まれ、

なんともいえない気持ちになりました。

 

 

「チッ!」とやられて、怒りに任せて

「チッ!」とやり返すのも大人げない

上に、余計に後味悪くなりそうだし、

こういう嫌な気持ちになった時、

 

 

「どうしたらうまいこと気持ちを

切り替えられるだろう?」

 

 

って考えてました。

 

 

 

「そりゃこんなオバサンに目のまえで

モタつかれたらイラつくわな」

 

 

とか

 

 

「たまたま虫の居所が悪かったのかな」

 

 

 

などと、相手の状況や背景をひととおり

想像してみるものの、どうも後味が悪い。

 

 

そんな突発的な出来事以外にも、昔、

誰かに言われたことや、されたことなど、

ふとした瞬間に思い出しては、ぐるぐる・

もやもや考えて沼ることって誰にでも

あると思うのですが、

 

 

そういうときって、確実に相手に向けて、

おかしなエネルギーを放って(飛ばして)、

自分を疲弊、消耗させているのです。

 

 

要するに、知らず知らずのうちに、

 

 

「ゴミエネルギー発電機」

 

 

になっているということ。(人の想念や

感情も電磁波のようなものらしいので、

そう名付けてみました)

 

 

良いこともそうでないことも、自分が

発したものは、必ずそのまま返ってくる

ことを考えると、やはり好ましい事態

ではないのです。

 

 

そこで、今のところ私がこれが一番

いい!と感じているのが、

 

 

 

「祈り」

 

 

 

です昇天

 

 

 

はいきたー、ついに宗教かなにかの

勧誘ですか??

 

 

いや違うんです、だからここで

読むのやめないで!!笑

 

 

特定の宗教を信仰しない立場では

ありますが、信仰するしないは

関係なしに、乱れた心を整えるには、

色々試した結果、「祈り」が最も

効果的!という実感があります。

 

 

「祈り」というと、何かの信仰っぽくて

身構えてしまいますが、

 

 

「祈り」=「想い」

 

 

のようなものだと捉えて頂くと

スムーズかもしれません。

 

 

②につづく

 

 

 

 

 

 

 

【note】きまぐれエッセイ

 

 

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