【2024/3】バリ島旅行記 vol.1(東京~ハノイ~デンパサール) | 旅人Toshiの徒然独り言。

【2024/3】バリ島旅行記 vol.1(東京~ハノイ~デンパサール)

■プロローグ 

 

3月までに会社の有給消化を2日使うことになったので、適当にどこか簡単に行けるところを探していた。

祝日を足して5連休しか取れず、前日夜便&月曜早朝着の+2日でギリギリ7日間で行けるところで、安・近・短をベースに何となく決めたのがバリ島だった。

コロナ明けある程度自由な旅ができるようになってからはから、貯まっていたマイレージでタイ(2022/8)、パタゴニア(2022/12)、ベトナム(2023/5)、タイ(2023/8)と旅してきたがJAL/ANAのマイレージも底を尽き始めてきた。ということで、久しぶりに自分で航空券を買わなければならず「SkyScannaer」で一番安くてタイミングがあったのがViet Jet航空のデンパサール行きだった。

コロナのちょっと前、ロンボク島の沖にあるギリ3島(ギリ・トラワンガン島/ギリ・アイル島/ギリ・メノ島)にハマり、2015、2016、2017年と3年連続でその時バリ島経由で2回、ロンボク島経由で1回行っていたが、あくまで経由地なので行きと帰りに1泊づつぐらいでバリ島を目的地として観光するのは久しぶり。ヌサドゥアでダイビング、ウルワツ寺院のケチャ・ダンス、タナロット寺院、ウブド、ライステラス、ゴアガジャ遺跡、エレファントサファリ、バードパーク等々・・・、だいたい南部の観光地やアクティビティは行っていたので、今回は初日の宿だけ取って、Noプランで行ってから気儘に楽しもうと旅に出た。

 

 

■スケジュール(7日間)

 

Day_1:東京 ~ ハノイ

Day_2:ハノイ ~ バリ島(クタビーチ)

Day_3:クタ ~ ウブド ~ キンタマーニ(トヤ・ブンカ)

Day_4:バトゥール山(トレッキング)~ キンタマーニ~ウブド

Day_5:ウブド ~ クタビーチ

Day_6:バリ島 ~ ホーチミン・シティ ~(機内泊)

Day_7:~ 東京 

 

■3月19日(火) Day_1 

 

午前在宅勤務で仕事して、午後会社の半休を取って、成田へ向かう。

これまでマイレージ生活にあぐらをかいてJAL/ANAやパタゴニア旅行でもAir Canada、LATAM、アルゼンチン航空など一応ナショナルフラッグの航空会社を選んでいたので、久しぶりのLCC。

旅先の国内移動で何度か利用はしていたが、国際線だと2014年ネパール旅行の時に中国東方航空、2012年にAir Asiaを利用したことがあるぐらい。ちなみに、Viet Jetは2019年に一度をハノイ~サイゴン間の国内線を利用したことがあったがそれ以来で、最近の口コミから遅延・欠航リスクをちょっと心配したけど無事On time運航になっていてチェックイン完了。

どうせ食事なんて出ないだろうし、ラウンジで早めの晩酌&夕食。

Bording時間は20分ほど遅れたが許容範囲。

搭乗してるみると、やはりシート間隔は狭く、膝が前シートに引っかかってしまうし、プライベートモニターもない。

と、言っても、そもそも、学生時代からエア・インディア、ビーマン・バングラデシュあたりのB~Cクラスのエアラインを格安航空券を喜んで買っていた貧乏バックパッカーあがりの僕なんかが「席が狭い!」とか、「機内食がちゃちい!」とか、そんなブルジョア的な発言をできるような身分ではない。

ちなみに、一流エアラインなんて恐れ多くて乗れるはずもなく、初めてJAL/ANAに乗ったのは社会人になって出張の時(たしか28歳ぐらい)だ。

まぁ、それ以降も基本的にマイレージの特典航空券以外で日系航空会社を利用することなんてほぼゼロ。

ただ、このViet Jetは機内食はおろか、水のミニボトルするら出なかった。1~2時間の国内線だったら分かるけど、5時間の国際線だったらそれぐらい出るものと思っていたが、モノの見事に「乗せて運ぶだけ」のまさにLCC。昔。Air Asiaでバンコク~コルカタ飛んだ時にはおしぼりと水とスナックぐらいは出てた気がするけど、世の中変わったんだろう・・・

 

 

 

 

20:55到着予定の飛行機は1時間ほど遅れてハノイに到着。

相変わらず、ベトナムの入管ゲートは混んでいた。去年サイゴンから帰国する時に痛い目にあったので、なんとなく、免疫はついていたが、夜22時過ぎにも関わらず、パスポートコントロールのゲートで長蛇の列。1時間以上並んでようやく空港の外に出れた。

明日は10:00発のデンパサール行きに乗るため空港近くのホテルを予約していた。

Arrivalゲートから徒歩で約20分(空港出るまで10分ぐらい)、空港前の大通り沿いにある『Thanh Huong 99 Hotel』(VDN262k=1,500円/泊)に着いたのは23時半を過ぎていた。

おそらく4畳半ぐらいの部屋にセミダブルのベッドと椅子が2脚、ユニットバスの簡素な造りで、決して清潔とは言わないがたかが6時間程度の滞在で寝るだけなら全く問題なし。まさにトランジット専用のようなゲストハウ。

受付のおにーちゃんも既に寝ていたようだが、愛想よくチェックイン完了。

非常に弱い霧雨の中、部屋にバックパックを投げ出して、近くでまだやっている食堂を探し、寝酒に『333』を2本平らげる。LCCの極小シートに挟まれ5時間伸ばせなかった足を広げて解放された。もう数時間トランジット時間が長ければハノイの街中で他のバックパッカーに混じって賑やかなビアホイで飲みたかったが、サイゴンと違って、ハノイは空港と市街地が離れているので断念。朝一のフライトなのが残念だ。

部屋に戻り1時過ぎに就寝。

 

 

 

 

■3月20日(水) Day_2 

 

朝6時前に起きてシャワーを浴び、6:30にチェックアウトし、朝のハノイの街並みを散歩しながら空港へ向かう。

ちょうど7時過ぎに空港到着。

出国手続きは昨夜ほど混み合っておらず、デンパサール行きのVietJetもOn Time運航になっており順調。

Priority Passで入れるラウンジを探して朝食をとる。どうせここからまた5時間近く、飲食無提供のLCCということで、朝からビール、ワイン、フォー、ゴイクン、デザートまでまるで子供のバイキングのように暴飲暴食。

貧乏性のためPriority Passの元をとろうとしてしまう。(と言ってもクレジットカード付帯だから実質無料なんだけど)
 

 

 

 

 

飛行機は16:30ぐらいデンパサール到着。

空港敷地外に出てGrabを呼ぼうと思ったが(空港内からだとドライバーの入場料/駐車料があるので高い)、Amazonで購入したSIMカードがうまく接続できず・・・

これまで、何度か日本からネット販売の海外SIMカードを利用してきて一度もトラブルなかったが、ここにきて遂に失敗作をつかまされた感じ。

諦めて、そのへんのバイクタクシーのにーちゃんと交渉してクタビーチまで行ってもらう。(IDR75k=約750円)

たかが20分程度のニケツで高いのは分かっていたが、まぁ早くクタに行ってゴロゴロしたかったので仕方なし。たぶんGrabなら30kもしないかな。

そして、クタでの定宿『Bakung Sari Resort』(Superia W:IDR252k=約2,400円)にチェックイン。

7年ぶりにただいまー!

特に安宿というわけではないが、クタ中心地にも近く、プールもあってエアコン、衛星TV、バルコニー付きというこのクオリティーでこの価格は本当にコスパの高いホテル。

これまで10年以上、いろいろな想い出が詰まったこのホテルがコロナ禍でも生き残ってくれてて有難い。

 

 

 

荷物を置いて、早速久しぶりのクタビーチを散策。

レギャン通りから『Poppies Lane』を歩く。

昔はバックパッカーのたまり場的なエリアで小汚い長期旅行者やサーファー達がこの辺りに多く沈没していたが、今やだいぶ寂れた感がある。土産物屋、雑貨ショップ、マッサージ店などはあるがだいぶ減った感じもするし、まだ夕暮れ前ということもあってか人通りもあまりない。おそらくコロナ禍で閉店したと思われるシャッターを下ろした店も目立つ。この辺りも新しいお店が入ってくれればいいが、きっと一昔のような両替商やネットカフェやランドリー、海賊版CD/DVDなどの店ではないことは間違いない。

その代わりと言ってはなんだが、ビーチ通りに面して『Beach Walk Bali』なる大型ショッピングセンターが出きていて驚いた。ちょっとだか中に入ってみると、警備員、持ち物検査付きの高級ショッピングモールだったが、僕にとっては何の興味もそそらない場所である。

 

そこからビーチへ出て散歩。

ちょうど夕暮れが迫り、Sunsetのベストショットを狙う多くの観光客で賑わっていた。

強い夕陽を浴びながら、このビーチの風、匂いを感じると、やはりバリ島に戻ってきたことを実感する。

一旦宿に戻り、バルコニーで一杯飲みつつ、DAZNでサッカー観戦。

夜、再度レギャン通りに出掛けると、やはり夕方よりは若者の姿が増えていたが、ここも昔よりも店の数は減ったというか、建物だけは残っていても営業をしていないお店も結構目についた。ただ、相変わらずナイトクラブやピンク系マッサージの客引きやプッシャー達が次々と声をかけてくる。この辺りの光景はコロナ前経っても変わらない。夕食代わりにBarで一杯飲んで就寝。

 

7年ぶりのクタの街は大きく変貌をしていたが、それでも僕にとっては懐かしさの残るお気に入りスポットであること再認識した。