【2025/GW】ネパール/エベレスト街道旅行記 vol.7(ナムチェ~クムジュン~クンデ)
4月30日(水) Day_7
5時過ぎに起床。
昨日、Google Mapで調べた町はずれにある"Everest View Point"に行ってみることにする。
白み始めている山の山腹を縫うように道を進んでいく。
まだ外気は冷たく吐く息は白い。
しばらくすると、上から降りてくる人達がいる。
みんな身軽なのでナムチェの街に泊まっている人達が同じようにここに朝の散歩に来ているのだろう。
15分ほど行くと、シェルパ歴史センターなるものが見えてきた。
どうやらここの敷地内に展望台があるらしい。
ゲートをくぐって園内に入るとぐにテンジン・ノルゲイの像が迎えてくれた。
エドモンド・ヒラリーと共にエベレスト初登頂に成功したシェルパの英雄だ。
20年程前にニュージーランドでヒラリー像ともご対面したことを思い出す。
そして、その像の先には、、、万年雪に覆われた白銀のヒマラヤの山々!
興奮のあまり若干早歩きになって、展望台の方に行くと、3人ほど先客がいる。
ドイツ人の女性と、ちょうどそのガイドがいたので、詳しく山の情報を聞く。
ローツェ(Lhotse;8,516m)、ヌプツェ(Nuptse;7,879m)、アマダブラム(Ama Dablam;6,858m)、、、
その一番奥にエベレストが見えているではないか!
20代の放浪旅の時にチベットのラサからネパールに向かう中尼公路の乗り合いバスの道中、ティンリー(定日)から見たエベレスト(正式には中国側からなのでチョモランマと言うべきか)以来、21年ぶりの再会。ネパール側の南から見るのは初めてだった。
ここまできた甲斐があった。
ヌプツェの奥からその剣先を突き出したエベレストは神々しく、そのヒマラヤの山々に囲まれたパノラマを眺めを涙がこぼれそうになる。
一旦、ロッジに戻り朝飯。
日本から持ってきた即席めん。
基本的にトレッキングコースのロッジに宿泊する時はそのロッジのご飯をいただくのが基本(山小屋のマナー)だけど、朝一とか夜遅く着いた時にちょっと軽食が取れるようにガスストーブとコッヘルは持って来ていた。
(山小屋は基本的に火気厳禁なので、ロッジの人に断って使うか屋外で使いましょう)
結局このロッジで一度も食事をしなかったので申し訳なかった。
8時過ぎにSakura Lodgeをチェックアウトして、ナムチェ(3,440m)出発。
今日の予定はシャンポチェの丘の登り、『Hotel Everest View(3,880m)』からクムジュン経由でクンデまで。だいたいツアーやガイド同伴で来ると、ここナムチェで高山病予防の高度順化のため2泊するケースが多いらしいけど、今日のうちにクンデまで行ってしまう。
途中までは朝登ったView Pointと同じ上り坂を進み、途中の分岐でシャンポチェ行きの道と別れる。途中で、パクディンで別れたシェルパのおじさんと偶然出遭う。一度クムジュンの自宅に帰った後、荷物を取りにまたナムチェまで来てたそうだ。
約1時間半ほど行くと眺めのいいカフェとホテルがあったが、ここが3,775mということでだいたい富士山の頂上レベル。
私の場合、過去3000~4000mクラスの高度に上がっても高山病になったことはない。チベットで最高5,900の峠を越えたことがあるが、ほとんど症状なく平気だった。高山病はアルコールと同じく先天的な耐性なので、先祖に感謝するしかない。
そこから1時間ほど眺めのいいパスをトラバースしていくと、観光名所・Hotel Everest Viewが見えてきた。
さすがに観光地だけあって人が多い。団体ツアーから友達連れ、家族連れなど、途中渋滞しているとこもある。ルクラから登ってくるだけでなく、ヘリでナムチェ・バザールに来る人達もいるし、短期のエベレスト街道ツアーだとここが最終目的地となっているものも多いらしい。
10時過ぎにホテル到着。
エベレストを望むカフェレストランのテラス席に出てみると、ヒマラヤの山々が見渡せるいい景色だ。
テラス席は満席に近いほどのトレッカーで一杯に溢れている。天気がいいとエベレストをはじめ7つピークが見ることができるが、残念ながら朝ナムチェからはキレイに見えていたエベレストは靄に隠れてこのテラスからは見ることはできなかった。まぁ、運とタイミングの問題なんで仕方ない。
せっかくなので、ホットチョコレート(Rs.800≒820円。Theツーリストプライス!)をオーダーしてしばし雄大なヒマラヤの絶景に癒される。
アマダブラムやがかっこいい。
30分ほどゆっくりして、クムジュン村に下って行く。
途中ちょっと道に迷ったが、11時にクムジュン着(3,780m)。
シェルパのおじさんのゲストハウスを探してチャイをご馳走になる。
行きのジープの時の話では「昔は山岳シェフをやっていてエベレストも登頂した」とは聞いていたものの、半分どこまでホントか疑わしかったが、シェルパ図鑑で昔の自分だと写真と記事を見せてくれて登頂歴4回と、本当に結構有名なシェルパだったようだ。(写真一緒に撮っておけば良かった・・・)
ここで一泊していくことも考えたが、明日の朝なるべく早めにクンデピークを目指したかったので、帰りにまた寄ると約束してここで別れる。
クムジュンを出て30分ほどなだらかな里山のようなところを歩いて、ちょうど12時ぐらいにクンデ(3,840m)に到着。
この村の事前情報はあまりなかったが、いくつかロッジがあることは知っていたのでしばらく村の中を歩く。
と言っても、何もない人気も少ない場所だ。
どんより曇ってきて風も強くなってきた。一雨降りそうで見つけたロッジに入った。
『Mandara Home』(Rs.1,000/シングル+Rs.500/食事)という平屋建ての簡素な山小屋だ。
ランチにチョウメンをいただく。昔はよく食べていたが、今回の旅では初チョウメン。
こんな山奥のロッジで出てくるものなんて、だいたい塩と味の素で味付けした程度のもの。そんなに期待はしてなかったが、やはりそんな感じだった。
3日前ブプサあたりの街道入口までは余裕だったが、モンジョ、ナムチェ、そしてクンデとここままで高度も上がってくるとさすがに寒い。
リビングでストーブにあたりながらチャイの飲みながら読書をしていると、一人シェルパがやってきて声をかけてきた。最初英語で話していたが日本人だと分かると日本語を話しはじめた。
日本人一人の専属ガイドでここまで来ていると言う。客の日本人は今は部屋で寝ているということで、後で連れてきてもらうとなんともう70になるという熟練のトレッカーさんだった。
話を聞くと50歳を過ぎてバックパッカーをはじめタイやフィリピン、インドなどいろいろ行っているようだ。バンコクのカオサンRdで使っている定宿が一緒だったのが笑った。
ナムチェの宿なら分かるが、こんな何もないクンデ村の山奥のロッジで日本人に会えるとは思っていなかった。
あとは、欧米客一組と近くの病院でボランティアで働くフランス人と4組ぐらいだった。
そして、この日ナムチェから上の地域広範に停電となったようだ。
3畳一間の簡素なベッドだけが横たわる部屋に戻り寝袋にくるまってウトウトしていると、雲とガスが晴れてきてヒマラヤの山々が見えてきた。
目の前のコンデ・リ(6,100m)がド迫力で迫ってくる。奥にアマダブラムも見えて窓の外がそのまま絵画のように見える。
夜は18時に夕食。
ダルバードを食べる。これも簡素な最低限のプレートでシンプルな味付け。
ここでクオリティーなど求めてはいけない。
こんな異国の僻地で温かい料理が食べられる、それだけで十分。
夜は満点の星空に囲まれて9時就寝。
【2025/GW】ネパール/エベレスト街道旅行記 vol.6(モンジョ~ナムチェ)
4月29日(火) Day_6
6時過ぎに目が覚める。
昨日の夜は雷雨が鳴り響き、結構冷え込んだがカイロと寝袋のおかげでぐっすり眠れた。
さすがに2,800mを越えてきて朝昼はそれなりに寒くなる。
朝はチベタンブレッドとチャイを注文。(Rs.650≒700円)
ネパールの山小屋にくると、朝食にチベタンブレッドを食べたくなる。
ハチミツはネパールの土産物としても人気だが、野生の天然ハニーは本当に旨い。
今日はナムチェ・バザール(Namche;3,440m)まで約3時間の道のり。
約600mの登りで登りとなるが、時間が短いので比較的な楽な一日になのでゆっくり出ても大丈夫。
パクディンやベンカーで泊まってしまうと、ナムチェまで結構キツくなるので、昨日モンジョまで登ってきて良かった。
朝食後スマホとモバイルバッテリーを充電させてもらいつつ、少しゆっくりして9時にチェックアウトし、最後にもう一杯チャイを飲んで9時半にモンジョ出発。
サレリのジープからここまで3日間ずっとお世話になったパサンとはここでお別れ。
帰路にまた立ち寄ると約束する。
モンジョを出ると、30分もしないうちにジョルサレ(Jorsale;2,855m)のチェックポイントに到着。
トレッカーやローカルの人達で道は結構混んでいた。狭い道にナムチェから降りてくる人達と我々のようにこれから登っていく人たちが入場チェックを受けながら交差し日除けのあるベンチや木陰で休憩をとっているので人が密集している。
とりあえず、ゲート手前の右手に道端の宝くじ売り場のような掘っ建て小屋の前に十数人が列をなしている。ボロボロの看板に『Check Post』ので並んでみようかと思ったが、皆さんパスポートの他に何やら別の紙を持っている。
見渡してみると左手の大きな建物に別の窓口みたいものがあって、そちらはあまり並んでいない。
団体ツアーやガイド付きのトレッカー達は全てガイドが手続きをやってくれるが、こうゆう時、外国人のソロトレッカーは非常に困る。。。
とりあえず、長期戦を見据えてバックパックを降ろし、あまり並んでない窓口に行って、「チェックはここで受けるの?」と聞いてみると、まずここで公園の入場料を払って、そのレシートを持って、隣の窓口でトレッキングカードを作成してもらって、それを持ってボロ小屋のCheck Postで入場許可のチェックを受けるらしい。
『だったら、どっかにそう書いておけよ』・・・、心の中でぼやきつつ、このあたりの不親切さはネパールに限らず途上国に求めてはいけない。
パサンからも聞いていたとおり、合計でRs.6,000(≒6,200円)だった。
(サガルマータ国立公園入場料:Rs.3,000、トレッキング許可証:Rs.3,000。ちなみに、2014年のアンナプルナはたしかUSD20~30ぐらだった気がする。そして2004年はもっと安かったが、貧乏バックパッカーだったため、結局No Permitのまま最後までチェックされることなく済んでしまった)
国立公園のチェックポイントのゲートを通過すると吊り橋を渡ると、いよいよナムチェへの登り。
まずはドゥードゥコシ川の河原のルートを登っていく。
雲は若干あるものの、昨日と違いいい天気で気持ちがいい。
登山路は外国人トレッカーと地元のシェルパ族の人達と半々ぐらい。
地元民はどちらかというと、生活している人より荷揚げ屋さんが多い。もちろんラバもバファローも多い。
みんな重い荷物を背負っている。
僕の11Kgのバックパックなんて大したことない。
ちなみに今回は55Lのテント登山用の大きめのバックパックを持ってきたが、ネパールのトレッキングは基本的には山小屋(ロッジ)泊なので、1~2週間なら寝袋と防寒具ぐらいの装備で40Lぐらいでも足りると思う。(3Passトレイルとか数週間かかる長期トレッキングだと季節によってはアイゼンとかも入れて50L 以上ないとキツいかも)
ただ、僕の場合は山小屋で深夜早朝好きな時に飲み物飲みたかったので最低限の自炊セット(ガスストーブ、コッヘル、レトルト飲料)持参のため大きめの55Lで準備してきた。
1時間半ほど歩くと、ちょっと見たことのないレベルの吊り橋が出てきた。
遠目からでも高度感が分かる。
手前にバンジージャンプのジャンプ台もあるが、それよりも更に高いところに吊り橋が見える。
しかも距離もかなり長くて軽く50m以上はありそうな感じだ。
水牛やラバが来ない時を見計らって素早くわたるが、過去渡って来たどんな吊り橋よりも怖い吊り橋だった・・・
吊り橋を過ぎると、見晴らしのいい高台に出てあとはひたすら山道を登る。
ルートの途中途中にあるチョウタラでは地元民もみんな疲れて休んでいるが、ヒマラヤの山々に囲まれて気持ちがいい。
2時間ほど歩くと、2つめのCheck Post発見。
そこでジョルサレでもらった、『Trek Card』と公園入場料のレシートを提出し、チェックを受ける。
12:50、遂に過去何度も見聞きしてきた街・ナムチェバザール(Namche;3,440m)に到着。
下から登ってくると一気に視界が開け、色とりどりの屋根が余計に鮮やかに見える。
街は山の斜面を取り囲むように扇状にできており、大きなマニ車ある広場を越えて進んでいくと徐々に商店や土産物屋、ロッジなどがあり、人通りも多くなってきた。
ちょっと広めのスーパーや、トレッキング用品のショップ、銀行・両替なんとATMまである!(2~3年前のガイドブックでは、ルクラより先はATMが無いから現金を用意していくようにと、書かれていたがやはりここもどんどん開発と文明化と波が押し寄せているのだろう)
ナムチェではメインストリートから少し登った谷の上部の方にある『Sakura Guest House』という比較的大きめのロッジにチェックイン。
トレッキング中はいつもロッジなど予約せず、行き当たりばったりだが、このロッジはいくつか過去の旅行記やブログ読に出てきてきていたので、ナムチェではなんとなくここに泊まろうと決めていた。
2階に受付と食堂があるこじんまりとしたトイレ/シャワー共同の簡素なツインルームで一泊Rs.500(ホットシャワー別:Rs.500。入らず)、窓の外からはロッジの裏庭と急斜面の山肌・・・悪くない。
3階上がってすぐの部屋にスキーや登山で有名な冒険家・三浦雄一郎さんのサインがあった。彼がエベレスト登山に行く時、ナムチェではここを定宿にしていたらしい。
荷物を降ろし、早速ナムチェの街を散策。
まずはメイン・ストリートから近い見晴らしのいいレストランで遅めのランチ。
あいにく雲が多くてあまり山は出ていないが、ナムチェまで着いた達成感でとりあえず地元のクラフトビールで祝杯。ボリューム満点のフライドライス(味はほぼ炒飯)は感じで美味しかった。
ランチ後、ナムチェの村を見渡せる丘へ向かう。
だいたい感覚的には街を歩いているのは、地元のシェルパ族の人達も外国人観光客と半々ぐらいのイメージ。
ここより標高の高いエベレスト街道の村々に住んでる方々にとっては、買い出しや銀行・郵便その他、インフラ、公共サービスは全てこのナムチェで行われる。
ただ、経済自体は観光に完全に依存しているわけだから仕方がないことだ。
ドラクエのダンジョンのような細くて狭い坂道を丘の方に登っていくと、ナムチェ全体が見下ろせるようになってくる。
しばらく登ると、大きなマニ車とともにチベット語が書き込まれた黒塗りの大きな岩がある。どうやらここがView Pointらしい。
辺りには人気はなく、もちろん車やバイクもなく、キラキラと光るネオンや灯りもない。
一人静寂の中、クンビラ(5,761m)に抱かれた”シェルパの里”を堪能する。
やはり風が吹くと肌寒い。
帰りに水とガス缶を買って宿に戻る。
これでいつでも自由にお湯が沸かせて、コーヒー、お茶、カップラーメンいつでも食べれる。
別にお金をケチっているわけではなく、むしろなるべくロッジの売上にも貢献してあげたいところだが、夜中・早朝お湯だけのためにスタッフ起こすのは気が引ける。あと、山小屋の待機の時間が長くなった時、たまには自分の好きな飲み物でリラックスしたいだけ。早朝出発時に朝ごはんは。
(ロッジ内は部屋の中は火気厳禁のところが多いのでガスストーブ使う時は一言伝えましょう。家族経営の小さいところならだいたいOKしてもらえる)
一旅人がイランについて思うこと
『さすがイラン! 石油立国の金持ち国は違うぜ~』
2004年9月、パキスタンのクエッタから国際バスに乗り、イラン国境を越えザヘダーンという街の近代的で整備された大きなバスターミナルに着いた時、そう感心したことを今でも鮮明に憶えている。
当時のインド北部やパキスタンの公共施設は全く貧弱でゴミに溢れかえり、2ヶ月ぶりにそれなりのインフラ設備が整った国に来た感じがした。
旅行中、バム遺跡では大地震で倒壊した家屋が多い中でも優しい地元民に歓迎を受け、ペルセポリスからシラーズに向かう道ではヒッチハイクを快く受け入れてくれたり、ヤズドの市場では地元の大学生達と親しくなり、夜遅くまでゲストハウスの部屋で語り明かした。ダブリーズではクルド人達にもお世話になった。
ムスリムはハッジ(聖地メッカへの大巡礼)の文化があるから旅人には優しいんだと教わった。
それは異教徒の外国人であっても施されるものである。
だから、彼らへの敬意の一つとしてコーランの第一章説だけはいつでも諳んじられるようにしていた。
イラン国内を旅している中、イスファハンの「イマーム広場」を訪れた時にこの国に横たわる深層心理が窺えるものを目にした。
“Down with USA, Down with ISRAEL”
多くの観光客が訪れるその場所の石垣のあちこちにこのような落書きがあった。
その筆跡から昨日、今日書かれたものではないことはすぐに分かった。
美しい庭園とモザイク画が施されたイスラム建築やモスク、、、イラン観光の目玉ともいうべき所にそのような刻まれたその文字が消されることもなく残っている。とてもただのいたずらによる落書きには思えない。
この国の人々が両国に持つ意識が如実に表れていた。
それからテヘランに移動した後にもまた衝撃的なものを見つけた。
市街地のビルの側面に大きく描かれた反米の壁画。そして、1979年のイラン革命後、国交断絶の舞台となった旧アメリカ大使館の壁一面に描かれた強い反米感情。
もう20年も前の話であるし、イランの人々がみんながみんな強い反米感情を抱いていると画一的に考えるのは危険な偏見だろう。
そして、今日ついに米軍の空爆が始まった。
戦後間もなくイスラエル建国時に国連決議で決まったパレスチナ分割案を無視し、4度の中東戦争でヨルダン川西岸を含む領土拡大を行ったのは米国の手厚い軍事支援を受けたイスラエルの筈である。
そして、今回もまた同じことが行われている。歴史は繰り返す・・・
2023年10月のハマスによるテロ行為が正当化されることはない。
ただ、長期間に亘りパレスチナ人を迫害し、ハマスに我慢の限界を越えさせてテロ集団化させたのは一体誰なんだろうか??
少なくとも僕が初めてイスラエルはを訪れた25年前はまだアラファトPLO議長も存命で、ヨルダン川西岸のベツレヘムや死海も我々旅人でも自由に行き来できた。緩やかなギブツ開拓は行われていたものの、パレスチナ人地区への入植活動もそこまで酷いことになっていなかった。
ハマスだけでなくレバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派など対イスラエル/親パレスチナを掲げる勢力の盟主であるイランが核爆弾を持つことへの「脅威」だけを背景に空爆という形で戦争を仕掛ける正当性がどこにあるのか僕には分からない。
政治的に色々な見方があるのも事実ではある。
歴史は歴史家の数だけあるし、人間の数だけある。
だから、部外者の人間が限られた情報の中で、その善悪を軽々に言えないことも確かだ。
あの壁画が現在どうなっているのか、僕は知らない。
ただ、多くの民間人を巻き添えにしている今回のこの空爆の中、あの「ハージュ橋」で見かけた平和に穏やかに暮らす人々の優しさや屈託のない笑顔は今でも目に焼き付いている・・・
【2025/GW】ネパール/エベレスト街道旅行記 vol.5(ブプサ~モンジョ)
4月28日(月) Day_5
朝4時半、起床。
この旅、最初の寝袋使用だったがぐっすり眠れた。
ここブプサ(Bupsa)はまだ標高2,350m、テント泊でもないので寒さも問題ないレベル。
パッキングをして集合時間の5時半にダイニングに行くと、予想通り一番乗り。
だいたいこうゆう時、日本人ぐらいしか時間をも守る人はいない。
それにしても、昨日は街灯もない山道をひたすら走り宿に着いたのが22時近く、どんな道を走っていてどんな宿に着いたのが全く分からなかったが、明るくなってやっとどんな場所にいるのか理解できた。
遠くに雪山が見え、ようやくエベレスト街道のトレッキング・ルートに入ってきたことを実感した。
6時前になり、ようやく運転手含め6人全員揃う。
ブプサからスルキャまでは2~3時間とのことで他の乗客一同の合意で朝食はとらずに早く出発することで一同合意。そんな朝早くから食欲もないし、なるべく早くスルキャに到着したいという思いはみんな同じだった。ということで、ミルクティーだけ飲んですぐに出発。
昨日と同様、身体がバウンドする悪路が続くが夜道ではない分、外の景色が見えるだけまだマシだ。九十九折の道をジープで進み2時間ほどすると、遠くに谷向かいの山に大き目の村が見えてくる。
隣に座っていたシェルパ族のおじちゃんが『あれがルクラだよ』と教えてくれる。
(ちなみにこのおじちゃんエベレストに3度も登頂しているやり手のシェルパで、今はクムジュン村の自宅でロッジをやりながらたまにトレッキングのシェフとしてアルバイトしているとのことだった。その後も彼には色々とおお世話になることになった)
飛行機で行けば、カトマンから40分ほど。ラメチャップ空港からなら20分で着くが、昨日の朝5時から1泊2日かけてようやくここまでたどり着いた。(サレリ~スルキャの乗合ジープ:Rs.3,000≒3,100円、宿泊代別)
とは言っても、ちょっと前までは車両で行けるのはサレリやファプルぐらいまでだったようで、さらに僕が放浪旅をしていた20年前はジリから歩いて一週間ほどかけてここまで来なくてはならなかったのだから、短期トレッカーにしてみればエベレスト街道もだいぶ近い存在になったことには変わりはない。
急坂を下り8時過ぎ、弱雨が降る中、スルキャ(Surkya;2,290m)到着。ブプサからかなりのアップダウンはあったとはいえ、標高はほとんど変わらず。
スルキャはルクラの直下にある谷合にできた小さな集落で、サレリ方面から車両が入って来れる終点でありトレッカー達にとっては、ここがトレッキングの出発ポイントになる。
谷間の川がちょうど車両の終着点になっていて、そこは乗合ジープや荷揚用のラバ(ロバと馬の交配種でネパールではよく見かける)や水牛などが駐留している。
川にかかる吊り橋を渡ると、そこから先がトレッキングルートになっていた。
昨日からのジープ旅ですっかり仲良くなった、クムジュンのおじさん、日本語が話せるお兄さん(カトマンで旅行代理店を経営しながらこの季節はモンジョのロッジで働くらしい)、カトマンから季節アルバイトのガイド2人組(彼らは今日ルクラに飛行機で到着する欧米人ツアー客と合流するため自分たちは陸路で来ていた)と私の5人で、スルキャの食堂で朝食をとる。
ホントはダルバードやシェルパシチューでも食べたかったが、全く用意がなかったらしく仕方なくインスタント麺を食べる。(Rs.300ぐらい?、クムジュンのおじさんが奢ってくれた)
朝食後、9:15スルキャ出発。
いよいよここからがバックパックを担いでのトレッキングの始まりだ。
ガイド二人は待ち合わせ時間があるとのことで、スタスタとルクラに向かって先を行き、クムジュンのおじさんは頼んでいた荷物が届いてないとのことで途中引き返して別れ、結局モンジョのお兄さん(パサンさん)と一緒に歩くことになった。パサンは日本の北海道や長野のスキーリゾート地で働いていた経験もあり日本語堪能なうえ謙虚で慎ましい感じの好感の持てる人だ。
団体ツアーやガイドを雇って登る登山客が多い中、ソロトレッカーである僕を気にかけてくれていて優しさが伝わってくる。
やや霧が残っているものの、雨はやんで日差しも強くないので歩きやすかった。
ただ、ルクラへ向かう道との分岐点になっているチャウリカルカ(Chaurikharka;2,530m) まで約250mの登りは結構きつかった。飛行機でルクラから来ると下りだが、スルキャからだと登りになる。
早速、ストゥーパやマニ車が出てきてネパールっぽい感じが出てきて、アンナプルナのトレッキングを思い出して懐かしく思う。
パサンは荷物も少ないうえ何度もこの道を行き来しているだけあって早い。
そこからこの先にあるパクディンの村までは平坦な道なので楽になるからと言って、そこで待ち合わせしてランチ休憩するのがいいということで待ち合わせして別れて歩く。
荷揚役のラバやバファローの他、ここでは人力の荷揚仕事の人も多い。この辺りに住む地元のシェルパ族の人達にとっては貴重な収入源のようだ。
水、食料、ガスタンク、鉄パイプや木材板などの建材関係(メチャクチャ重そう)など積まれている物は多種多様で生活感がある。
12:30ぐらいにパクディン(Phakding;2,610m)到着。
ここはナムチェに向かう街道沿いでは比較的大きな村でロッジやレストランが何軒もあったが、村の手前辺りにあるロッジでパサンを発見。手招きして呼んでくれたのですぐ見つかった。
お昼はこの辺りの名物・シェルパシチューをいただく。(Rs.500)
アンナプルナの道中ではなかなか出会うことのないメニューだったので今回はどこかで食べたいと思っていたが、噂通りじゃがいなどの野菜がゴロゴロたっぷり入った食べ応えのあるスープで塩味の優しい味わい。疲れた身体に沁み渡る。
ブプサで入れてきた水も少なくなってきたのでペットボトル(1.5L;Rs.100)をウォーター・バッグに詰め替えて補充。
今日の予定としては当初パクディンかチュモア辺りで一泊して、明日ナムチェ・バザールまでの行程を考えていたが、パサンが働くモンジョまで3時間ぐらいというので、まだまだ体力にも余裕があったのでそこまで行くことにする。
パサンは既に食べ終わっていたので、ロッジの名前を聞いて、またここで別れてソロトレッキングとなる。
1時間ほどゆっくり休んで、13時半にパクディン出発。
パクディンの村は多くのトレッカーがいたが、ここから先は人影もまばらになってのんびり自分のペースで歩けて気持ちがいい。パサンが行ってたとおり多少のアップダウンはあるものの、そこまでキツイ登りはなく、1時間ぐらい歩くとベンカー(Benker;2,770m)という村に到着。
ここもそれなりにロッジがあって、ナムチェまでの中継地としてはここで一泊してもなかなか良さそうな村だ。
ちょうどこの季節に咲く花畑や吊り橋もあって、飽きないコースで、途中の"チョウタラ"(ネパールの登山路に点在する石畳の休憩場所。背負った荷物がそのまま置けるような気の利いた高さの造りになっていて地元民もよくここで休んでいる。アンナプルナのトレッキングルートでもよく見かけた)で小休止。
ミックスナッツやチーカマを食べて一服する。
また、吊り橋を渡ってしばらく川沿いを歩いていると、また小雨が降ったりやんだりしてきたが、レインウェアを着込むレベルではない。
そこからチュモア(Chumoa;2,950m)の村を通過すると、かなり急坂の下りが始まった。谷底の川を渡り、登り返した先がモンジョだった。このチュモアからの登り返しは疲れた身体には結構きつかった・・・
15:40、モンジョ(Monjo;2,835m)到着。
村に入ってから少し歩いた先に探していた『Mount Kailash Lodge』を発見!
受付に行くとすぐパサンが出て来てくれて、ハーブミルクティーを淹れてくれた。
ロッジに着くとちょうど雨が降ってきて、ギリギリセーフで濡れずに済んだ。
ここはタムセルク(6,608m)への登山路の拠点になっている村のようで、本来であれば東に大きくタムセルクを眺められるようだが、あいにくの雨で霧がかっていて見えない。
部屋はトイレ/ホットシャワー付きのツインルームで一泊Rs.1,000だったがパサンが一人だからRs.500でいいと言ってくれた。(ちなみに一般的にホットシャワーは別料金を取られることが多い)
ホットシャワーはかなりぬるめでとても"Hot"と呼べるようなレベルではなかったが、昨日のブプサではシャワー浴びてなかったので安くしてくれたし、トイレ付きの部屋であれば文句は言えない。
2日分の汗を流し、テラス席で日記をつけつつシナモンミルクティー(Rs.200)で一服。
初日は休憩込みで約6時間、アップダウンしながら約650mの登りの行程だったが、なんとか無事踏破。このレベルのバックパックを担いで山に入ったのは、瑞牆山/金峰山に行って以来約1年半ぶりだったが、意外とまだいける感じで良かった。
ロッジのドアにアルピニスト・野口健さんのシェルパ基金活動のステッカーがあった。
20年前に初めてアンナプルナに行った時には、宿のオヤジから『たまにマオイスト(いわゆる"毛派"と呼ばれる中国由来の反政府組織の共産ゲリラ)や山賊(今風に言うなら半グレ集団のただのゴロツキども)が出没してお金を巻き上げられるから注意するように!』と言われていて、結構ビビりながらのトレッキングだったが、こうゆう日本人の活動も盛んにやっていることが分かると、心強くちょっと心が救われる。
夕食は17時までにオーダー予約して18~19時に提供というシステム。
さすがにお腹が空いていたので夕食はNon-Vegのダルバートをオーダーし色々お代わりした。(Rs.750)
ちなみにダルバードは通常どの食堂でもごはん、ダルスープ(豆スープ)、タルカリ(カレー味の野菜炒め物)、漬物類などお代わり無料で腹いっぱい食べられるので空腹時には非常に助かる!
標高3,000m弱まで来て、さすがに夜は冷えこんできてホッカイロを腰に張って寝袋に入る。
朝6時ブプサからジープで3時間、スルキャからトレッキング6時間、とハードな一日で早めに就寝。
明日はいよいよシェルパ族の里・ナムチェ・バザールだ。
【2025/GW】ネパール/エベレスト街道旅行記 vol.4(カトマンドゥ~ブプサ)
4月27日(日) Day_4
朝4時半、薄暗い中、ゲストハウスをチェックアウト。
タメル・チョークの繁華街付近行くと朝早くから暇そうなタクシーがウロウロしいてる。
チャベルのバスステーションまで、と言うと運ちゃん達がRs.1,000とか800とかほざいてくるが、車は無視してバイクタクシーを捕まえる。(Rs.300≒310円)
バイクの後ろに跨り、夜明け前のカトマンドゥ市街を走る。
渋滞もないし、日中のような厳しい日差しもなく、流れていく風がアジアっぽくて気持ちがいい。
20分程でチャベル付近に到着するが、昨日ジープの予約をした時に旅行代理店で聞いた集合場所の『Burger House』なる店が見つからない!
バイタクのおっちゃんも頑張って探してくれたが、なかなか見つからないので近くで降ろしてもらい、自力で探す。店名からオシャレなCafeのようなところを想像していたが、ようやく見つかったのは幹線道路から少し奥まったところにある雑居ビルの一角だった。
昨日もらったバウチャーを見せると、10分程度で一台のジープに案内してくれる。
事前に聞いていたとおり、やはりギュウギュウすし詰め状態の後部座席に座らせる。
といっても、普通の乗用車と大して変わらない程度の横幅のジープに大人の男4人が並んで座るので、ほとんどお尻が入らず、肩も横に座って入らないレベル。中腰になって、ちょっと斜め掛けみたいな形でなんとか収まる感じ。ただ、同乗者のイスラエル人3人組はなかなかいい奴らで道中みんなで苦笑いしながら乗れたのは唯一良かったことだ。
運転席と助手席の後ろに4人×2列で計10人が乗車。普通に考えればキャパ的には6人がいいとこだろ・・・
ジープが揺れるたびに圧死するんじゃないかと思うぐらいの道のりに耐え、7時過ぎに最初の休憩ポイントに到着。
軽食を食べる人達もいたが、チャイだけ頼んで、あとは日本から持ってきた魚肉ソーセージとスナック菓子で朝食代わりにする。普段の旅行から長時間移動用にある程度の軽食は持ち合わせているが、今回はトレッキングの行動食も含め、多めに持って来ていた。(カロリーメイト、チーカマ、ビスコ、ビッグカツ、諸々)
その後、エベレスト方面の拠点となるルクラ空港行きの拠点となるラメチャップ空港との分岐を過ぎる。現在、カトマンドゥのトリブバン国際空港からルクラ行きのフライトは非常に少なく、ほとんどの旅行者はこのラメチャップ空港まで3~4時間かけてきて、ここからルクラに向かうのが定番らしい。
分岐を過ぎると未舗装のダート道が続き、さらに揺れが激しくなる。
90年代後半のカンボジアやラオスの道やグアテマラ~メキシコ間の国境越えのダート道を思い出す。
を思いだす。ただ、その時はここまでのスシ状態ではなかった。後部座席の窓の突起が揺れるたびに肩に食い込みシャツをめくると真っ赤になっている。
11:30、道沿いのロッジにてランチタイムの休憩となる。
ここで、この旅初のダルバート(ネパールの国民的定食)をいただく。(Rs.350)
エベレスト街道に向かうジープやバスの休憩ポイントに使われるようなロッジだけにちゃんとしたダルバートが出てきておいしかったがやはり若干高めだ。
そこから約3時間、苦痛のジープ旅行が続く。
もはや、心を無にして、肩、腰、お尻の痛みなどないものかと考える。
凸凹道に天井に頭をぶつけながら、必死に耐える。
15時過ぎ、ようやくサレリ(Salleri;2,380m)に到着。
外は雨になっていて、ここからどうしようかと思っていたところ、一緒に乗っていた地元民の人が声かけてきて、すぐにこのままスルキャ行きのジープに乗り継げるという。運転手に聞くと、今夜は途中のカリコーラ(Khari-Chola;2,035m)で一泊して、明日の午前中にはスルキャ(Surkya;2,290m)に到着するという。
旅行前に色々調べた時にもサレリから先の村まで非定期に乗り継ぎジープがあるのは知っていたが、タイミングよくそのままスルキャまでのジープに当たるとはラッキーだった。迷わず誘いに乗ることにする。(Rs.3,000)
ここまで一緒に旅してきたイスラエリーの3人は最初からスルキャ行きだったらしく乗って来たジープでそのままで、私と地元民3人が降りて、小雨の降る中、一回り小さめのジープに乗り換える。
これまで、3列シートに10人(2-4-4)から2列シートに8人(3-3)にの座席配置になって、少し座席に余裕が出たが、道はまた一段と厳しさを増す。
雨でのぬかるみ、泥まみれになった工事現場のような急勾配の上り坂、下り坂を九十九折に進んで行き、17時に休憩に入る。
ここでも何人かはダルバートやチョウメンなどを食べていたが、私はチャイだけにしておいた。
こんな道でご飯を食べたら
だいぶ標高が上がってきて、かなり冷え込んできたのでここでアウターを着込む。
雨の中ボヤッとではあるが山の稜線が見えてきてエベレスト街道に入ってきた感覚。
1時間ほど休憩を取ると、陽は落ちて辺りは真っ暗になってくる。
道はまた一段と急勾配になる。
数年前までは車は入り込めず、徒歩でしか行けない完全なトレッキングルートだっただけに
そろそろカリコーラかと思ったところで、まだもう少し走れると判断したらしく、今日はさらに先のブプサ(Bupsa:2,350m)の村まで行って、そこで宿泊することになった。
脳ミソもだいぶシャッフルされ続けここまでくるともはや何も感じない。無の境地。
結局、この日の宿泊先の「Sundap Lodge」に辿り着いたのは21時半だった。
荷物を降ろしロッジに入ると我々以外に客はいない。
オーダーを聞かれることなく、6人みんなでダルバートを食べ(Rs500)、裸電球にシングルベッドが2台置いてある殺風景な部屋で一夜を明かす。(Rs600)もちろん宿の選択肢などない。
晩飯を食べ終えると、明日は朝5時半集合、6時集合ということになった。
ここまで悪路で16時間の長時間移動で身も心もヘトヘトでシャワーも浴びる気にはなれず、最低限の着替えと歯磨きだけして22:45就寝。
長い長い移動の一日が終わった・・・












































































































