運命は決まっているのか? 自由に選択できるのか?(エイブラハム㉑) | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

テーマ:

ダイアー博士が人生の諸問題についてエイブラハムに問いかける対談集。

さらりとすごい宇宙目線で答えるエイブラハム。

 

運命は決まった選択しかできないのか(doomed)?

 それとも選択可能(make choice)なのか?

これはだれでもきいてみたい問い。原書の72ページからの部分です。

 

★「この点について尊敬する心理学者カール・ユングの発言は上の2種類あって一貫していないように思える」

と言うダイアー博士は、「私が思うに、例えば生まれたときの外見や遺伝などの運命は決まっているが、その中でどういうふうに体をケアすることなどは選択可能ということなんですか?」と、問いかけます。

 

すると、エイブラハムはこう答えます。(全然次元レベルの違う答えです)

 

「(ユングのような賢人が何かを説明するさいに)、その相手が現在ハイ・フライング・ディスクの上にいない場合は、その相手に対して『運命は決まっているdoomed』という言葉を使う理由は、わたしたちもわかりますよ」と。(ココ訳書が違っています。自分ではなく、「相手がハイ・フライング・ディスクの上にいない場合」が正しい)

 

つまり「運命は決まっている」という一般的な命題は、ロー・フライング・ディスクの上にいる人には方便的表現として正しい。「望まない選択を強いられる」というような感じです。

 

☆なぜ、そうなるのか、しくみはこうです。

「人々が人生の中で、自分個人の好みを知るようになると、自分がなにものかが、何を望んでいるのか、がだんだんクリアーになる。そして、自分の現実realityをもっとコントロールできるようになりたい、と願いはじめる。が、どうすればそうなれるのかがわからない

 

 そしてエイブラハムのような宇宙存在たちと出会う。

 

「コントラストを通じて人はさらに、自分らしさ、自分の好みを追求してゆく。しかしその中で人は比較ということを覚え、しばしば「これは良い実現化」「これは悪い実現化」と性急に決めつけてしまう。この三次元的な判断により、「物事とは我慢して折り合うべきもの」という観念、肉体に入ったとき抱いていた意図とは、まっこうから対立するような観念を抱きはじめる。そういう考え方は、自分の中の「意識(気づき)の不足・足りなさ」を創りだし、おおもとのエネルギーにつながるのを忘れ、人生の不備不具合を何とかしようと戦う姿勢になる」これが、動かせない運命がある、という人生を創り出す。(※自分が発信元であることを忘れ、スクリーンに近寄っていって、そこを切り貼りしようとする姿勢)

 

 だから、エイブラハムはソースに立ち返ることを勧めます。

 

「でもあなたは波動なのです。肉体に入ったソース・エネルギーです。……だから「感情のナビゲーション」という羅針盤を使って、(心地よさ、いい気分を選んで)ソースに同調してゆけば、「ほんとうのあなた」に、そしてこの肉体に入ってきたときの意図に、ふたたび同調してゆけます。こう言うと、ソースの操り人形になったように聞こえるかもしれませんが、そうではありませんよ」

 

「心地よさ」を選べばあなたは(ソースへと)拡大してより広い視野を得、何よりも「クリアにものが見える」ようになります。ほんとうの自分がわかり、何をいつどうするか、だれと結婚すべきか、すべてわかるのです。ソースの波動にチューニングすることによって、ほんとうのあなたに戻る。」

 この段階にいたると、大きな自分(ソース)とつながっているので、(自分なりの正しい)選択がずばり、クリアにできます(※できる、というか、できる、ということ自体を思い出す地点に戻る)。

 

(しかし、ソースと離れていると、悲惨なことになる、とエイブラハムは言います。まわりじゅうから、「あなたはこうすべき」「ああすべき」と振り回されるのです)←ほんとうの自分軸(ソースとのつながり)と切れているので、五里霧中になり、乱雑な具現化を生じ、不本意なことを(押しつけられる気分で)選ばざるを得ないという現実です。これが運命決定論の世界。

 

ソースとつながっているときの何よりの特徴は「クリアーさ」だとエイブラハムは言っています。

 

「ハイ・フライング・ディスクの上にいるときは、何よりもクリアさ(clarity)が感じられるものだ」(原書66ページ)

 

(これこそ自在な選択の境地、なのだと思われます。ソースとともにあたりが見渡せるのです。)

 

☆Happyさんの毎朝のソース・チャンネルでは、いつも「ソースである自分」「肉体である自分」をつなぐことをリマインドし、またつないでゆきますが、ソースが流れ込んだ自分であるときは、迷いなく的確な選択になってゆく……的確で唯一なのに自由。まさしく、このことだと思います。(今日は寒いので八時からになりました!)

 

★冬至も過ぎた第一日。朝から「ハイ・フライング・リスク」に乗ろう。ソースはいつもあなたを愛している……