あいみょんというノスタルジア① 〜マーケティングとしての郷愁 | 走ることについて語るときに僕の書くブログ

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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。

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ノスタルジア(郷愁)研究家、ワタナベです。キリッメラメラ

 
 
 
ワタナベは1980年代に20代だったモノですが、あいみょん聴くとノスタルジア出ますね、はい。
 
「君はロックなんて聴かない」などは浜田省吾のカバーだと聞いても疑わない、とか「愛を伝えたいだとか」って吉田拓郎っぽく歌ってね?とか思ったりします。
 
そしてふと、
もしかすっと、歌手あいみょんのマーケティングせんりゃくって、40〜50代をターゲットにしてねえか?と思ったりします。
 
 
だってほら、俺らの世代って金を持ってると誤解されがちじゃね?子どもの学費もそろそろ終了、レコードとかCDとかを買う習慣があった世代だし。悠々自適??
音楽の売れない昨今のマーケット。ターゲットにされてもおかしくないじゃないかと。
 
 
だから、それなりの歌があったりします。
「ナウなヤングにバカうけするのは当たり前だのクラッ歌」
 
「古きよき言葉たちを忘れてしまうのだろう。忘れないでいてくれたらマンモスうれピー」(「ナウな…」)
 
 
とか、
「憧れてきたんだ」
 
動画自粛
 
 「あなたたちが見せた芸術であたしは変わったんだ」(「憧れてきたんだ」)
 
 
とかいう歌詞はターゲット世代を刺激する楽曲と思うす。
 
「マンモスうれピー」を連発してたあの方の苦い経歴を物おじすることなく、「あなたたちの奏でた音」に「古き良き言葉」に「憧れてきたんだ」、と熱く言って下さるあいみょん。大人をひとくくりにして「大人なんて信じらんねー」的なこと言わないし。フェアで心地よいよなあ。
 
「若いのにキミ、見どころあるねえ〜」と肩ポンしたくなるのが人情。
 
 
「マーケティングせんりゃく」とか書いたけどあいみょん自身は「古きよき言葉」を使うことはビジネスこだわりだけじゃないみたい。
 
「埃まみれのドーナッツ盤」とか「ブラウン管の外」とか…。「あんた、ソレみたことあんの?」と聞き返したくなる言葉が使われてたりしてさ、知らんうちにノスタルジア。
 
 
 
で、で、それでね、
単に古きよき言葉や弾き語りギターを奏でても懐かしいとは思う。
だけだとホントのノスタルジアにはなんないと思うのです。←持論
 
 
過去を踏まえて現代をとらえるのがノスタルジア。過去だけじゃダメ。過去から現在、そして未来に繋がってノスタルジア。
 
 
遺物のみ持ち出して奏でる音楽は今までもたくさんありました。それらは懐メロでしかないす。オヤジの昔話す。世代を超えて、紡がれ繋がれて、「いーまーがーある」。繋がる時の流れがあってノスタルジア…なのだと思います。
 
過去を踏まえて、今風に歌う。
温故知新すかね?
過去と現在、そして未来を思わせる…のがマイノスタルジア。
 
 
じゃあ、あいみょんの現代的はどうなの?・・・って部分。
しょーじき、音楽の和声とか音そのもののことはよく分かんない。
自分は歌詞のリズムやライム(韻を踏む)あたりに平成生まれっぽさを感じますね。
 
古き良き世代が歌いこなせない歌詞の詰め込み方をするもん。「生きていたんだよな」の語りなどは幼い頃からポケモン数え歌を聴いて育って、リップスライムを鼻歌して、ケツメイシに涙して育たないと無理ポ。
 
 
たとえば、
「マリーゴールド」の大サビ
 
「遥か遠い場所にいても繋がっていたいなあ」
 
おじさんは日本語の歌詞どおりに歌っちゃう。そうすっと字余りになっちゃうの知ってました?
 
 
あいみょんは、「場所にいても」を「場所にても」と歌ってる。「に」の子音 I をホンの気持ち伸ばして歌うから「いても」の「い」を発語しない。←母音つなぎよく使うよね
 
そして、「繋がっていたいなあ」も「繋がってたいなあ」というよおに「い」を省いちゃう。
 
 
さだまさしはそんな歌い方しないしみなみこうせつもバンバンも荒井由美もしない。
 
だからあいみょんを聴いてると古き良きものを引き継いで発展させてんなあ、と思うわけです。
 
ヒトって性や個や場所や世代や時を超えて繋がりたがる本能があるからさ、繋がるのが好きで気持ちいいみたい。そしてそれをノスタルジアと呼んでうっとりするんだと思う。←持論
 
 
長くなりそうだから、いったんここでつづく。
 
 
 
あいみょんと同じように歌えるとなかなか気持ちがよい。
文中引用した大サビは2分50秒あたりから。