まず、神霊の世界は「モノ」ではない世界である。

 

とくに神や意識の世界が影響するものは「運」、つまりは「確率」だ。

 

そして、運や確率が「何の?」かというと、「現象化」する確率である。

 

 

 

 

この世界の理は、まあこんな感じだ。

 

「+1,+2,+3、−1,ー2,ー3」の面があるサイコロを思い浮かべて欲しい。

 

まあ、簡易的に「+」はなんか創造的な良いことで「ー」は破壊的なことでだいたいの人はネガティブに感じることだとおもってください。

 

 

 

で、

 

まずサイコロが目をだすためには、

 

必ず必要なことがあります。

 

それは「サイコロを振って、目を出すこと」です。

 

 

 

これが私たち「人がすべき」ことになります。

 

「モノの世界」は私たちしか動かすことができないのです。

 

だから、突然にモノが飛び出してきたり、別のモノに変わってしまったりしないのです。

 

 

 

たとえば、

 

「+3」のサイコロの目が出る確率がすごく上がっているとします。

1/2になっているとしましょう。

 

でもそのときに、サイコロを誰かが振らないと、そもそも+3の目は出ません。

 

 

 

あと、一度サイコロを振って、別の目が出てしまったとします。

 

そのときにもう一度振りさえすれば「+3」の目が出るのに、

 

やめてしまえば出ませんね。

 

 

 

1/2という確率はあまりに高いものですが、

 

「+」の出現する確率がせっかく高くなっているのに、

 

サイコロを振らなければ、良い目に出会うことがなくなってしまうかもしれません。

 

 

 

だから私達は、

 

「たくさんの人と出会い、やれることをとにかくたくさんやってみる」

 

という必要があります。

 

「マッシブ・アクション」が必要です。

 

 

 

でも、運が悪い時にマッシブ・アクションをすれば、

 

悪い目ばかりが出てしまいます。

 

そりゃ、いつかは良い目もでるかもしれませんが、

 

その前に精魂尽き果ててしまうかもしれません。

 

あまり効率が良いとは思えませんね。

 

 

 

 

で、話は「確率」に戻って、

 

この世界の確率はおそらく+とー、それぞれ1/2で、結局「±0」です。

 

ただ、ここで私達によって重要なのは、

 

私たち人間の寿命は「有限」である、ということです。

 

 

 

たとえば、私の人生が100年あるとして、

 

「100年での+ーの確率」を取ろうとすると、1/2で合計+ーで「±0」になってしまいます。

 

でも、

 

「100年」で確率を取る必要があるのか?という問題です。

 

 

 

たとえば、サイコロは1度だけ振ってそれで終わってしまえば、それぞれの目が1/6ずつ出ることはありません。

 

「+3」が出れば、その「ゲーム」は+3なのです。

 

 

 

サイコロは数をたくさん振れば降るほどそれぞれの目の出現率は1/6に近づき、

 

上記のサイコロなら+とーは1/2に近づいていきます。

 

 

 

でも、目の出現率には必ず「波」があり、

 

「+」が続いて出るときもあれば、「ー」が続くときもあります。

 

サイコロを2000回振って、はじめに+だけ1000回出ても、その後にーが1000回出るのでOK、「1/2」だよね・・・というのが、

 

現実的に、この世界を支配している法則なのです。

 

 

 

しかし、

 

2000回振る予定で、はじめの1000回で+ばかりが出て、

 

それでサイコロを振るのをやめてしまえば、

 

そのゲームは「+」ばかりになります。

 

 

 

この2000回を振る予定があり、

 

そこで「はじめの方に+を持ってくる」というのが、

 

神や潜在意識などの働きで可能なことなのです。

 

 

 

2000回予定しておいて、

 

1000回でうまく人生の有限期間が終わってしまえば、

 

その人の人生は+ばかり、ということになりますね。

 

 

 

実際、ギャンブルでは「ツキ」があって、「勝っているうちに止めてしまう」のが勝利の方程式と言います。

 

だからこそ、本来は意図的に「(勝利の)確率に偏り」が(親に)あるはずのテーブルで、

 

勝ち続けるギャンブラーというのが存在するわけです。

 

 

 

あと、「物理的」で「線形的」で「実体のある」の私たちの人生には

 

「順序」というものが存在します。

 

人生のはじめの方で「成果」を出した人と、

 

人生の終わりの方で「成果」を出した人では、

 

できることが変わってきてしまいます。

 

 

 

物事の発生する確率が同じでも、

 

良い運のときに「できること」が大きい人の方が、

 

「大きい現象」を発生させられます。

 

なので、「+」が人生のはじめの方にまず集中的に起こった人は、物質的な意味では得なのです。

 

 

 

他の問題は、

 

上記の例でいう

 

「2000回振る予定」をどうやって決めるか・・・?

 

ということですが、

 

まあこれはまだはっきりしませんが、おそらく「意識」でなんとかなりそうです。(このあたりはとくに水口清一先生の仮説による)

 

ようするに、

 

「ここからここでひとまとまりね」と誰かが「決める」ことによって、

 

そこで+ーの確率が「±0」になるよう(普通のサイコロなら一つずつの目が1/6になるよう)辻褄が合うように「設定」される、ということです。

 

 

 

2000回を、「私一人」で振らなくても、

 

5人で振ることにしてもいいかもしれません。

 

私だけは1000回振って、私のところでは「+」がたくさん出ますが、

 

他の4人・・・ある人のところでは「ー」がとくにたくさん出て、

 

5人合わせて「±0」です。

 

でも、世界は実際にはたぶんこんな感じです。

 

 

 

総論として、

 

私たちは、

 

ただやみくもに行動するばかりでもダメで、

 

ラッキーなことを願ってばかりでもダメ、

 

ということになります。

 

 

 

「良いことが起こる確率=運を上げることをする」

 

と同時に、

 

「たくさんの人と出会い、できることを可能な限りいっぱいする」ことで、

 

『良いことがいっぱい起こる』という結果(=現象)を生きられるようになる、

 

ということですね。

 

 

 

テキストで記述するのは限界があるので、

 

なんとなくダラっと書いてみました★

 

 

 

PS.

ちなみに

 

「運命」

「宿命」

 

というものがあるようです。

 

 

 

上の話は

 

「運命」の話なので、

 

こっちは変更できるようです。

 

「運命」=「あなたはこれこれに関してこういう確率を持っている」

 

ということです。

 

 

 

「宿命」というのは、

 

基本的に変えられないと古代から思われていたようです。

 

「宿」なので、

 

「宿」をどうにか変えてしまえば変えられるんちゃうか?

 

というところですが、

 

誕生日・・・とかになってくるのかな?

 

そうなると、生まれるときから変えないといけないので、たしかにあとからは無理そうです。

 

・・・・で「帝王切開」・・・ということになってきたんでしょうねえ。。。