徒然と書く。
独り者またはパートナー持ちだけの人(Aとする)と、
子供を持った人(Bとする)とは、
必要とする心理学が違う。
独り者またはパートナー持ちは、
「自己実現または自己解放」の心理学で良いが、
子供がいる場合には、それは十分には可能ではない。
パートナー持ちは、
本当の責任関係にはないので、
実質独身者とあまり変わらない。
あくまで「大人と大人」の関係である。
AとB、なにが違うか、というと、
子供は100%、親(または保護者)に依存しているからだ。
親は必ず、
自分の人生の幾分かを、
こどものために使わないといけない。
自分の時間、お金、エネルギーといった資源は、
確実にこどもに使われる。
自分で使えていた資源は、
一人では使えなくなる。
こどもの一生に親の行動、親が与えたものは深く関与するから、
自分で考えて行動できる大人を相手にするときのように、
「私がどうしようとあなたの人生を決めるのはアナタ」
というわけにはいかない。
たとえば一人なら、
自分が好きなことに全財産をつぎ込んで、
あとは車で生活して、パンの耳で暮らしていく・・・ということも可能だが、
子供がいたらそうはいかない。
まあ、実際にそれを極端にやってる人はいて、
ようするに・・・いわゆる「虐待」をしている人なのだが。
ただ「やりたいことをやっていて」はいけない、のが子育てなのだ。
しかも、自分が「望まないタイミング」であっても躊躇なく。
このAとBの違いは、
本質的に大変に大きなものだ。
それゆえに、
まあ、「自己実現」や「個人主義」が猛威を振るう先進国では、
「少子化」が進んでいるわけだ。
「自己実現」は子供を減らす。
これは間違いがないといっていい。
ときに、自己実現の「優先度」的に、
「こどもがいる家族を持つ」
という意識が高い人の場合は問題ないが、
それ以外の場合は、基本的に子供は自己実現の「重荷」にしかならない。
「じゃあ、子供なんていらないじゃん」
と思うのがある種ロジカルではあるけれど、
いつも「未来」を運んでくるのは子供であり、
希望を運んでくるのは子供だ。
批判を覚悟でいうが、
子供を産まない人たちに未来はない。
(※1: なお、あくまで「集合的」に捉えることが大事で、個人個人に対して考えるべき問題ではありません。)
これは「不都合」かもしれないが、単純で揺らがない「自然の摂理」、現実だ。
ウ◯コをしなかったらお腹が痛くなって発生したガスが体中に回って最後には死んでしまうようなことと・・・なにも変わらない、極めて単純なこと。
(この例えも、たぶん怒られるんだろうな。苦笑 「どんなに面倒とか、したくないとか考えようとも」・・・という意味であえて。)
しかし、心理学は、個人主義の国で誕生したためであろうが、
家族持ちのため(家族を持つことを優先とした考えたをベースとした)の心理学、
というのは存在しないんだ、これが。
(旧体制の精神論的なものは残ってるが)
自己を犠牲にすること、
自分を抑えること、
自分ではなく「家族」という単位で考えて行動することなど、
それは決して「悪いこと」でも、「抑圧的なこと」でもないんだよ。
と僕は声を大にして言いたい。
それはただ、ぜんぜんきちんと欧米で研究されていないだけなんだ。
なんでこんなことをわざわざ書いているか、というと、
子育てをしている親が迷っているからである。
「自己実現」がメディアで流れるほど、
本来は尊い仕事をしているはずの子育てをしている親たちが自分のやっていることについて、自分の人生について悩むからだ。
子育てはあちこちで「邪魔モノ」扱いされ、
自己実現はただひたすらにもてはやされる。
日本社会でニグレクトなどの虐待が増えているのは、
間違いなく「自己実現」「自己解放」がひたすらに強調されることの悪しき側面だ。
子育て者が、
自分を抑え、自分を犠牲にしていることは、
子どもを産まなかった/産めなかった人を含めての「必ず訪れる未来」への、尊い貢献であることを決しては忘れてはいけない。
自己実現/自己解放は、決して「影なき太陽」ではない。
子育て支援は「社会福祉」ではない。
私たち未来に生きているすべての人への「投資」だ。
(※2:なお、この考えは、木全慎也個人一人のみに属するものであって、その周りの友人知人家族一切で共有・理解されているものではありません。)