我が家の小2娘の参観がありました。



参観の時間は、国語


今やっているのは

「スイミー」




懐かしい。




子供の頃、私は音読魔だったので、

毎日読んでいた「スイミー」が、

本当に懐かしい。




スイミーって、

たった1匹だけ黒い魚で、

スイミーの兄弟達はみんな真っ赤。



楽しく暮らしていた赤い魚達と、

スイミーが、ある日、

大きなマグロに襲われてしまう。




1匹逃げ切ったスイミーは

暗い海の底を泳ぎながら、

海の中の生き物を見て、

元気を取り戻していく。




そうしてまた、岩場の影に隠れている、

赤い魚達を見つけて

「一緒に遊ぼう」

って声をかけて、

みんなで大きな1匹の魚のふりをして、

悠々と海を泳ぐ、って話。



この話を自分も読んだし、

上の娘達3人も読んで、

何度も音読を聞いていて、

ただのそういうストーリーだと

思っていたのだけど。




今日、参観で子供達の音読を聞きながら、

ふと、

「これって、私の内側みたいだな」

って、ふと思った。




小さな赤い魚たちも、スイミーも

私を構成する、感情や反応みたい。



赤い魚達やスイミーが

楽しく暮らしているのが、

たとえば

「こんなことしてみたい」

「こんな世界を見てみたい」

という、自分だとして。




でも、それを口にしたり、

どこかで表現した時に

「そんなの無理」とか

「現実的に難しそう」とか

「そんな変なこと言わない」とか。




そんな風に周りから言われる時。


それって、一気に赤い魚達が

食べられてしまう

マグロのようなものだな、って。




だけど、そんな経験もしながら、

「それでも私は〇〇をしてみたい」

ってわずかながらの希望を持つ。




それがスイミー。




そうこうして、わずかながらの

希望を持ちながら

暮らしていると、

協力者が現れたりして、

また元気を取り戻していって、

「私は〇〇がしたい」

「私は〇〇な世界が見たい」

というような、気持ちを

強く持てるようになってくる。




なんだか、

今回スイミーのお話を聞きながら、

初めてそんなことを感じた。



こうして、1つのストーリーでも、

自分の経験が色々と重なってくると、

そのストーリーがまた、

別のメッセージだったり、

表情を持っているように、

感じられることもあるなぁって。




末っ子の参観に行って、

そんなことを思いました♪




大学の時に

「児童文学」っていう講義を

履修して、その時にも、

「スイミー」や「白雪姫」など、

数々の名作の生まれた背景を聞いたけど、

ほとんど忘れてしまった。




あの講義、もう1回受けたいなーって、

そんなことも感じた「スイミー」。




これだから、言葉や物語の世界って、

面白いなーって思う照れ


 

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