精神的に動じやすく、物事を繊細にうけとめ影響されやすくなっている。
家に籠っていても、よくないのではとおもい、曇りになった夕方でかけようとしたが、どうしても気乗りしなかった。
テレビなどつけたり、ネットニュースなどよみ、不安定になったが、それからそもそも、こういうテレビやネットニュースは、世の中の一つの側面にすぎず、この世界ではないと、考えて、どういった報道がされていようと、距離をもつ、いまの状態では、見てもなんともおもわないとまでは、できないため、そもそも見なければよいとおもった。
考えたこと、言いたいこととして、テレビの視聴者はそもそも女性が多いと思われる。一見、女性にたいする性犯罪ニュースなどやっていて、女性は弱いように、見られるが、そもそもテレビの視聴者は女性が多ければ、多数決で、女性が喜ぶテレビ放送になりがちで、そもそも性犯罪ニュースも、女性が好きなのかもしれないとおもった。紅白歌合戦ではジャニーズのファンの女性がつめかけ、テレビのまえを陣取りなぜいつも白組が勝つかといえば、ほとんど女性からのジャニーズへの投票である。マスメディアはこういた、男性アイドルの不祥事は揉み消して利権を守っているのでは、と疑いたくなる。
男女差別の問題は、男女が対等になることである。そもそも男性も女性も、同じように、男性と女性から埋めれる人間である。
性的に男性は誘惑され向かい、女性は誘惑する努力をして、自分から迫らないだけだ。そもそも対等である。ともすれば男性は男性の言いたいことだけいい、女性は女性の言いたいことだけいいがちである。誘惑するうえで、自分に男性が優しい獣のように、性的に迫って来るようなのが好きだというのは、男性には理解しがたいし、女性も自覚していないかもしれない。
わたしは最近自分が性的なことを考えると自分の体から獣のような匂いを発するのに気がついた。最近ジャニーズタレントも、獣の格好になり、自分は獣だといってステージをして、女性ファンを喜ばしていたが、そもそも女性は獣のような男性が好きなのがある。
ともすればこの、テレビメディアにおいて、まだまだ専業主婦や、育児休暇をとり、テレビを見るのは女性であり、一見、女性の性的被害のニュースがながれるが、そもそも女性の視聴者にむけて、やっているかもしれず、テレビメディアの強権力は、女性であると、考えた。
だがそもそも、こうした隔たった可能性のおる報道やテレビにあれこれ考える労力も無駄だと考えた。ネットニュースにも、意味のわからない批判があがり、公開処刑をするショーのように、薬物などやった芸能人をメディアは吊し上げエンターテイメントにしている。
いくらこうしたものがなにをいっていようと、そもそも影響されなければよいのではないか?
見た上で感じないのが、理想だが、いまはそもそも見なければよいと考えるに至った。たとえば、もし誰かが自分を批判していたとしても、そうではないとなにも感じなければどうでもいいし、そもそも耳に入らず、視界にはいらなければ、どうだっていい。
無論世界はメディアなどでは断じてないのだから。