もともと評価を気にする自分がいたとおもう。
そのなかでなにをしても駄目な人と思われたかった幼少時代だった。
精神疾患になり、よくなるためには、医師にきちんとしたところをみせて、きちんとやるべきことをやる、ような発想なのでそもそも違うのである。それは表面的であり、精神疾患そのものと向き合ってない。
もともとわたしは漠然と壮大な自分を夢みていた。そして、多くの歌に歌われたり、メディアのニュースが自分を反映してるようにおもい、そのプレッシャーから、また自分が神なら完璧な評価をえなければならないし、択一メディアがあつかうなら、なにもかも完璧にしないといけないと、それをモチベーションに生きていた。これを書くうえでも、わたしは評価を気にし、誰かの原因にしたくはないから、書かないでおこうかと考えていた。
原因はどうでもいい。むしろわたしの歴史において、それは必要だったのかもしれない。それによりわたしは紛れもない神のような人間になったのだから。
いま評価を気にするのを意識してやめようと思うわたしはもぬけの殻である。いまだに評価を気にすることを繰り返し、いさめている。
全てどうでもいい気分である。もぬけの殻なのだから。それでも作業所に行きたいとおもい、なぜかといえば、なにかした気になる達成感のためである。もはや作業所はどうでもいいのだろうか?まったくよくわからない。