【生と死のお話】大切な人が旅立ったあとに ~ もし、あなたが同じ立場なら ~ | アチューンメント&ヒーリングをお届けして16年*神聖な私に還り、気づきと変化を促すエネルギーワーク ~Clearness Work~

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死後の世界のお話を~、と書いていましたけど、

その前に今回は違った観点で書いてみます。

 

お別れをご経験になられた方の場合、

もしかしたらお辛くなってしまうことがあります。

 

・・・この手の話は苦手という方も同様です。

 

 

でも、

お心に少しでも想像することができる余裕があるのなら、

ご覧いただければ幸いです。

 

 ゜☆゜+.☆゜+.

 

どんな関係であっても自分が大事だと思う、

あるいは、存在していて当たり前だと考えていた方が

いなくなってしまうことは大きな喪失を伴うことが

あります。

 

 

ご一緒に暮らしていたご家族やお子様などであれば、

そのお辛さは測りきれませんし、

旅立った方のことを折に触れては思い出します。

☆すべての方に当てはまるとは限らないのだけれど。

 

個人差があることを踏まえても、

旅立った方が

自分の中で大きな存在感を放っているなら、

いなくなってから【初めて気がつくこと】も多いです。

 

愛情だとか、

存在感の大きさだとか。

 

たとえば、それは、

 

いなくなった後に届く郵便物だったり、

今まで頼んでいたことを自分でする時だったり、

一緒に行っていた場所を一人で通りすぎる日だったり、

季節のさまざまなイベントや移り変わりの頃などに。

 

・・・というように

折に触れて顔を出してきたりするものだから。

 

 ゜☆゜+.☆゜+.

 

死後の世界の存在はそういった私たちに希望を与えて

くれる世界観でもあります。

 

 

けれども、その前にちょっと考えてみてください。

 

 

自分が、大切な人と立場が逆だったら、って。


 

 

以前の記事でも書いたかもしれませんが、

思い入れがあればあるほど、

至らなかったことが目についちゃうかも知れません。

 

特に立場が逆でない観点で向き合っている場合。

 

~しなければ良かった、

~しておけば良かった、

 

その他いろいろ、できないこと/できなかったことを

1つずつ数えて自分を責めてしまう。

 

これらが、離別に伴う時に生じる類の【後悔】なのかも

 

知れないなあと考えることがあります。

 

 

そして、

離別を受け入れることが難しい方にとっては

とても残酷なお話ではあるのですが、

どんなに悔やんでも、

悲しんでも、

嘆いても、

時間が巻き戻ることはないんです。

 

 ゜☆゜+.☆゜+.

 

 

しかしながら、

後悔をすることができるくらい誰かのことを一途に

想うことができる。

 

 

それは尊くて、かけがえのない愛情だとも言えます。

だからこそ、

自分と相手との立場が逆だったら、

どのようにお感じになるか。

 

そんなことに思いを馳せてみると良いかもしれません。

 

自分がだれかを置いていく立場だったら。

あるいは置いていってしまったら。

 

 

大事な人が悲しんでいたり、

後悔していたり、

自分を責めていたら、どのように想うでしょうか。

 

 

愛情が深ければ深いほど、

自分の中で生じている何かとは、

違う答えを与えてくれる気がします。

 

 

よしんば、何らかの行き違いで、

生きている間にそれを伝えることができなくても、

以心伝心で、必然的に、伝わっていくものでもあるから。

 

・・・もし、【逆の立場だったら】、まずは、謝るかなあ。

 

同時にお相手に幸せになって欲しいと。

心から思い、願います。

 

 

肉体は消えてしまっても、

誰か一人でも覚えていてくれる人がいる限り、

その人の中で生き続けることができます。

 

 

だからといって、

そのことでお相手の自由と幸せを奪ってしまうのも

本意ではありません。

 

なので、たまに思い出してくれたらうれしいけど、

幸せになってほしいなあと、言う感じです。

 

 ゜☆゜+.☆゜+.

 

 

・・・もしかしたら、

これは私に限ったお話ではないのかも知れません。

 

 

遺していくからこそ、幸せになって欲しい。

 

 

誰かと別れていかざるを得ない方は、

そういったお気持ちを抱えながら旅立っていくのでは

ないでしょうか。

 

 ゜☆゜+.☆゜+.

 

 

【時薬】とはいったもので時間がかかるお話です。

 

 

なので、

今すぐにこの内容を消化する必要もありませんし、

反発を覚えることがあったとしても

それはお心の自然な流れです。

 

 

でも、これだけは言えることがひとつあります。

 

去った方のことについて嘆いたり、

自分を責めてしまうことがあるならば、

絶対的に、

寿命については誰にも責任はありません。

 

 

どんなに健康管理に気をつけていても

寿命は、宿命のようなもの。

 

 

その日が来たら、

ご病気ではなくても別の原因で旅立ってしまうようなもの。

 

 

人の命はとても儚くて、

別れは時に深い痛みを伴いますが、

その痛みの分だけ、愛情をお持ちであり、

 

お相手もまた、遺していく時に

同じようにその方の幸せを願っていることが

少なからずあるのだと私は思うのです。

 

 

この記事を必要としている方がいらっしゃるので、

死後の世界とは別の観点で書きました。

ただし、特定の方を想定しているわけではありません。

 

ご覧になった方の中で、

ご見解が異なる際には、

そういう考え方もあるのだなあ、と読み流してくださいね。

 

 

・・・必要な方のところに届きますように。

 

 

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必要に応じて、ちまちまと書いていきます。