横浜は、昨日から雨が降っています。
気温が下がり寒いです。
寒さが苦手なので、コートを着て出かけて来たのですが
到着した静岡は
雲は多いけれど爽やかな青空で、暖かいです。
う~ん、傘とコートが荷物になってしまいました。
生きるものは、生きるために水分と栄養が必要ですね。
私たちは体のための栄養は気にしますが
心の栄養は気にしないことも多いです。
カウンセリングは心の栄養補給や、
偏った栄養のバランスを整える過程と言えます。
そして、体が何を食べるかは心の健康に影響します。
心の栄養不足は体の健康に影響します。
私たちの体と心は、別々のものではないのですね。
ワークショップの日程をUPしました。
トップページからアクセスできるようになっています。
爽やかな天気の静岡に来ています。
写真は我が家のコバノランタナです。
私は剪定が苦手なので、年々ワイルドになってしまいます。
先日、定額給付金の申請書が来ました。
ずっと複雑な思いを抱いて、使い方を考えていたのですが
決めかねていました。
役に立つ使い道があるはず、と考えながら
支給されてしまえば
すぐに生活費となってしまう事情もあります。
理想と現実にちょっと憂鬱な気分で封筒を開けてみて
嬉しくなりました。
横浜市では、申請書と一緒に寄付金の案内がありました。
寄付する目的を選べるようになっています。
一部を寄付し、私個人も支給を受けることにしました。
自分だけでなく、誰かと分かち合えたことが嬉しい。
一人ではなかなか行動に移せないことも
サポートがあれば可能になりますね。
写真は我が家のコバノランタナです。
私は剪定が苦手なので、年々ワイルドになってしまいます。
先日、定額給付金の申請書が来ました。
ずっと複雑な思いを抱いて、使い方を考えていたのですが
決めかねていました。
役に立つ使い道があるはず、と考えながら
支給されてしまえば
すぐに生活費となってしまう事情もあります。
理想と現実にちょっと憂鬱な気分で封筒を開けてみて
嬉しくなりました。
横浜市では、申請書と一緒に寄付金の案内がありました。
寄付する目的を選べるようになっています。
一部を寄付し、私個人も支給を受けることにしました。
自分だけでなく、誰かと分かち合えたことが嬉しい。
一人ではなかなか行動に移せないことも
サポートがあれば可能になりますね。
横浜では、この3日雨が続いています。
5月の雨が、私には心地よく感じられて
ゆっくりとした温かな気分で雨を眺めています。
木や草花も、たっぷりの潤いを楽しんでいるようです。
人間は心の向きで、見えるものも変わります。
今見ているものは
向きを変えたら、違って見えるのかもしれません。
生きていると困難にぶつかります。
困難のない人生はないのですね。
そんな時
ゲシュタルティストのクリスティン・プライスの言葉を思い出します。
「困難に、苦しみを加えるのは自分です。」
今日の夕方、雨上がりのやわらかな日差しを感じて、見上げると
雲の切れ目に青空が見えました。
すがすがしい気分になりました。
私たちは、たとえ困難にぶつかっている最中でも
五感を通して自分以外と関わっています。
苦しみを付け加えることから離れるのは
自分の外側の世界、そして
自分の内側の世界に気づき、コンタクトすることから始まります。
5月の雨が、私には心地よく感じられて
ゆっくりとした温かな気分で雨を眺めています。
木や草花も、たっぷりの潤いを楽しんでいるようです。
人間は心の向きで、見えるものも変わります。
今見ているものは
向きを変えたら、違って見えるのかもしれません。
生きていると困難にぶつかります。
困難のない人生はないのですね。
そんな時
ゲシュタルティストのクリスティン・プライスの言葉を思い出します。
「困難に、苦しみを加えるのは自分です。」
今日の夕方、雨上がりのやわらかな日差しを感じて、見上げると
雲の切れ目に青空が見えました。
すがすがしい気分になりました。
私たちは、たとえ困難にぶつかっている最中でも
五感を通して自分以外と関わっています。
苦しみを付け加えることから離れるのは
自分の外側の世界、そして
自分の内側の世界に気づき、コンタクトすることから始まります。
さわやかな天気です。
Aさんは昨日、秩父に芝桜を見に出掛けたそうです。
山里に広がる白やピンクのジュータンを思い浮かべました。
写真は我が家のリビングストンデイジーです。
日中開いている花は、日が沈むと閉じます。
茎や葉は毛羽立っています。
植物を育てていると、それぞれの個性が面白いですね。
少々乱暴に、放っておいても元気に育つもの…
手をかけないと元気をなくす繊細なもの…
人間も同じですねぇ…
今朝乗ったバスで、こんなことがありました。
あるバス停からきれいな女性が乗車しました。
料金を千円札で支払おうとするのですが、何度入れても戻ってしまいます。
見かねた運転手が代わっても、なかなかうまくいきません。
急いでいるのでしょう、乗客から「先に発車してほしい」と声が挙がりました。
私も電車の時間が気になってきます。
無言で数回やり直して、運転手はバスを発車しました。
途中の信号待ちで、千円札はやっと機械の中に取り込まれました。
その間、女性はただじっと立っていました。
お釣りを取ると、何事もなかったように席に移動しました。
私の中にあれっという違和感がありました。
私は女性が運転手に「ありがとう」と言うことを期待していたのですね。
女性は料金を適正に支払った
運転手は料金を受け取るべく職務を遂行した
起こった事実はこういうことでしょうが
そこにいるはずの人間の存在や関わりを感じることができず
私の心は、バスを降りた後も、しばらく寂寞としていました。
日常には、ちょっとした瞬間、ちょっとした出来事があります。
どれも「私とあなた」がいるから生じるもの。
たった一言で、その瞬間、関わりが生まれます。
会釈だけでも、関わりが生まれます。
心がほんわか温まります。
Aさんは昨日、秩父に芝桜を見に出掛けたそうです。
山里に広がる白やピンクのジュータンを思い浮かべました。
写真は我が家のリビングストンデイジーです。
日中開いている花は、日が沈むと閉じます。
茎や葉は毛羽立っています。
植物を育てていると、それぞれの個性が面白いですね。
少々乱暴に、放っておいても元気に育つもの…
手をかけないと元気をなくす繊細なもの…
人間も同じですねぇ…
今朝乗ったバスで、こんなことがありました。
あるバス停からきれいな女性が乗車しました。
料金を千円札で支払おうとするのですが、何度入れても戻ってしまいます。
見かねた運転手が代わっても、なかなかうまくいきません。
急いでいるのでしょう、乗客から「先に発車してほしい」と声が挙がりました。
私も電車の時間が気になってきます。
無言で数回やり直して、運転手はバスを発車しました。
途中の信号待ちで、千円札はやっと機械の中に取り込まれました。
その間、女性はただじっと立っていました。
お釣りを取ると、何事もなかったように席に移動しました。
私の中にあれっという違和感がありました。
私は女性が運転手に「ありがとう」と言うことを期待していたのですね。
女性は料金を適正に支払った
運転手は料金を受け取るべく職務を遂行した
起こった事実はこういうことでしょうが
そこにいるはずの人間の存在や関わりを感じることができず
私の心は、バスを降りた後も、しばらく寂寞としていました。
日常には、ちょっとした瞬間、ちょっとした出来事があります。
どれも「私とあなた」がいるから生じるもの。
たった一言で、その瞬間、関わりが生まれます。
会釈だけでも、関わりが生まれます。
心がほんわか温まります。
タイムのかわいい花が咲きました。
自然の営みに触れる時、私の中に喜びが生まれます。
私たちは「わかってほしい」と思う時があります。
内心で「どうして、わかってくれないの」と不満に思う時があります。
そんな時に
「(私が)どうして~した(言った)と思っているの?」
「何でそんなこと言うの(するの)?」「~だって言っているじやない」…
こんなふうに言ってしまうことがありますね。
そして、相手の返事に満足できず
「わかってくれない」と嫌な気持ちになります。
私たちは、一体何を「わかってほしい」のでしょう?
それは、自分の欲求や気持ちです。
「~したい」
「~して(言って)ほしい」
「~して(言って)もらえなくて、悲しい」
「~されて(と言われて)、悲しい」…
状況や出来事を話しても、ましてや何故?と尋ねても
気持ちは伝わらないのです。
本当にわかってほしいことと、言葉の間にズレがあるのですね。
気持ちを伝えるためには、自分の気持ちに気づくことが必要です。
嫌な気分に気づいたら、そっと自分に尋ねてあげてください。
「今どんな気持ちなの?」
そして素直な気持ちを、ただ伝えてみてください。
きっと、今している嫌なやりとりが変わります。
あるがままの素直な気持ちに気づく…
素直に伝える…
私たち人間の自然な営みです。
満開の桜も葉桜になり、名残の花びらがはらはらと風に舞っています。
私たちは自分のやり方、慣れ親しんだ世界を変えることが苦手かもしれません。
そのやり方に大切したい思いがあるほど
変化することを拒絶したくなります。
私たちは新しいこと、見知らぬものには恐れを感じます。
愛する世界を手放すように思うとき、悲しみを感じます。
とても自然な感情です。
そして、変化することを
今のやり方を否定することのように思い込むことも多いです。
変化していくことは、否定することではありませんね。
これまでのやり方が大切な役割を果たしたからこそ、変化の時が訪れるのです。
必要なものは、しっかりとした土台として残ります。
それを発展というのですね。
満開の桜の木の内側では
すでに次の花を咲かせる変化が起きています。
私たちも同じです。
慣れ親しんだやり方を、手放すことが悲しいなら
悲しむことを自分に許してあげてください。
変化を恐れているなら、恐れを否定しないでください。
恐れる理由は何でしょう?
もし、その恐れれがなかったとしたら、あなたはどうしているでしょう?
勇気を持って、変化の意味を見つめたいと思います。
私たちは自分のやり方、慣れ親しんだ世界を変えることが苦手かもしれません。
そのやり方に大切したい思いがあるほど
変化することを拒絶したくなります。
私たちは新しいこと、見知らぬものには恐れを感じます。
愛する世界を手放すように思うとき、悲しみを感じます。
とても自然な感情です。
そして、変化することを
今のやり方を否定することのように思い込むことも多いです。
変化していくことは、否定することではありませんね。
これまでのやり方が大切な役割を果たしたからこそ、変化の時が訪れるのです。
必要なものは、しっかりとした土台として残ります。
それを発展というのですね。
満開の桜の木の内側では
すでに次の花を咲かせる変化が起きています。
私たちも同じです。
慣れ親しんだやり方を、手放すことが悲しいなら
悲しむことを自分に許してあげてください。
変化を恐れているなら、恐れを否定しないでください。
恐れる理由は何でしょう?
もし、その恐れれがなかったとしたら、あなたはどうしているでしょう?
勇気を持って、変化の意味を見つめたいと思います。
ロボットのパロに癒やされることについて、書き忘れました。
暖かく、柔らかな、触覚を通じて得る感覚
表情や、形、視覚を通じて得る感覚
呼びかけや、触れる行動に反応してくれる、聴覚や視覚を通じて得る感覚
私たちは五感を通して、相手の存在を知り
五感を通して、自分の存在を確認します。
あるがままの自分を受け止めて、呼びかけに応えてくれる存在は
歓びや安心感という感覚・感情を呼び起こします。
歓び、嬉しさ、安心感、温かさ…
このような感覚・感情を感じることが、心の栄養なのです。
患者さんたちにとって、パロはそんな役割を果たしてくれるのです。
そして、心の栄養が必要なのは
病気の方たちだけではありません。
お互いを認め合い、気持ちを伝え合える人との関わりが
私たちには必要なのですね。
暖かく、柔らかな、触覚を通じて得る感覚
表情や、形、視覚を通じて得る感覚
呼びかけや、触れる行動に反応してくれる、聴覚や視覚を通じて得る感覚
私たちは五感を通して、相手の存在を知り
五感を通して、自分の存在を確認します。
あるがままの自分を受け止めて、呼びかけに応えてくれる存在は
歓びや安心感という感覚・感情を呼び起こします。
歓び、嬉しさ、安心感、温かさ…
このような感覚・感情を感じることが、心の栄養なのです。
患者さんたちにとって、パロはそんな役割を果たしてくれるのです。
そして、心の栄養が必要なのは
病気の方たちだけではありません。
お互いを認め合い、気持ちを伝え合える人との関わりが
私たちには必要なのですね。
桜が満開です。週末はお花見した方も多いことでしょう。
4/6の朝日新聞「ひと」欄で
“ 癒やしのアザラシ型ロボット「パロ」”の開発者が紹介されていました。
身近にパロがいることで、認知症の高齢者から言葉が出たり、
闘病中の子どもたちに笑顔が戻ったりするそうです。
アニマル・セラピーのロボット版ですね。
衛生面などから、生き物を入れることが難しい病院等で活躍しそうです。
私たちは、どうして動物に癒やされるのでしょう。
動物たちは、自然体だからです。
生まれながらにある本能的欲求や
その時その時に感じるまま、言ってみれば感覚・感情に従って生きています。
感じるままに在ること、行動することを、自然体と言うのですね。
人間が動物と違うのは、思考力が発達していることです。
私たちは日常レベルで考えることによって、
感覚・感情をたいしたものではないかのように扱ってしまいす。
心と体が離れていて、エネルギーが滞った状態です。
私たちは、そうしていることに、なかなか気づきません。
動物や植物に触れるとき
彼ら自然体の発するイキイキしたエネルギーを
私たちは無意識に受け取ります。
感覚・感情が自由を感じてラクになるのですね。
4/6の朝日新聞「ひと」欄で
“ 癒やしのアザラシ型ロボット「パロ」”の開発者が紹介されていました。
身近にパロがいることで、認知症の高齢者から言葉が出たり、
闘病中の子どもたちに笑顔が戻ったりするそうです。
アニマル・セラピーのロボット版ですね。
衛生面などから、生き物を入れることが難しい病院等で活躍しそうです。
私たちは、どうして動物に癒やされるのでしょう。
動物たちは、自然体だからです。
生まれながらにある本能的欲求や
その時その時に感じるまま、言ってみれば感覚・感情に従って生きています。
感じるままに在ること、行動することを、自然体と言うのですね。
人間が動物と違うのは、思考力が発達していることです。
私たちは日常レベルで考えることによって、
感覚・感情をたいしたものではないかのように扱ってしまいす。
心と体が離れていて、エネルギーが滞った状態です。
私たちは、そうしていることに、なかなか気づきません。
動物や植物に触れるとき
彼ら自然体の発するイキイキしたエネルギーを
私たちは無意識に受け取ります。
感覚・感情が自由を感じてラクになるのですね。
仕事で静岡に来ています。
今日はうす雲りの空に、富士山がぼんやりと幻想的に
まるで浮かんでいるように見えます。
横浜で見るより、はるかに大きくて幻想的な富士山を眺めてながら
この3年間を、感慨深く思い起こしていました。
独立して4年目の春です。
あせらず、惜しまず、誠実に、をモットーに
丁寧に生きようと願い、歩いてきました。
山あり谷あり嵐ありでしたが
たくさんの相談者の方から、たくさんのことを教えていただいています。友人、知人、たくさんの方に支えていただいています。
そして私は、勉強を続けています。
迷うことはないのですか?
Bさんに聞かれました。
迷うことはたくさんあります。
そして迷ったときは、気持ちが心地よい方を選びます。
例えば二つの選択肢があるとき
一方を選んだら、どんなことをしているか、どんな気持ち、気分かをイメージします。
もう一方を選んだときもイメージします。
そして気持ちの心地よい方を選びます。
時々、私の考えは心配します。
たいてい、気持ちの良い選択肢を否定する理由を考えついたり
もう一方を選ばないことで、得られないかもしれない何かを思いつきます。
でもこれは、ただの考えなのですね。
事実ではありません。空想です。
もう一度、両方をイメージして
心地よくいたいか、イヤな気分でいたいか、を自分に尋ねます。
その結果は、いつも正解のようです。
考えより、気持ちの方が賢いのだなぁと実感します。
みなさんも迷ったときは
どちらを選んだら心地よくいられるか、自分に尋ねてみてください。
今日はうす雲りの空に、富士山がぼんやりと幻想的に
まるで浮かんでいるように見えます。
横浜で見るより、はるかに大きくて幻想的な富士山を眺めてながら
この3年間を、感慨深く思い起こしていました。
独立して4年目の春です。
あせらず、惜しまず、誠実に、をモットーに
丁寧に生きようと願い、歩いてきました。
山あり谷あり嵐ありでしたが
たくさんの相談者の方から、たくさんのことを教えていただいています。友人、知人、たくさんの方に支えていただいています。
そして私は、勉強を続けています。
迷うことはないのですか?
Bさんに聞かれました。
迷うことはたくさんあります。
そして迷ったときは、気持ちが心地よい方を選びます。
例えば二つの選択肢があるとき
一方を選んだら、どんなことをしているか、どんな気持ち、気分かをイメージします。
もう一方を選んだときもイメージします。
そして気持ちの心地よい方を選びます。
時々、私の考えは心配します。
たいてい、気持ちの良い選択肢を否定する理由を考えついたり
もう一方を選ばないことで、得られないかもしれない何かを思いつきます。
でもこれは、ただの考えなのですね。
事実ではありません。空想です。
もう一度、両方をイメージして
心地よくいたいか、イヤな気分でいたいか、を自分に尋ねます。
その結果は、いつも正解のようです。
考えより、気持ちの方が賢いのだなぁと実感します。
みなさんも迷ったときは
どちらを選んだら心地よくいられるか、自分に尋ねてみてください。





