おわりははじまり-228「沼にハマって引いてみた」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



おわりははじまり-227「過去を遡っての祓いと結び直し」の続きとなります。


岡本太郎氏、遠藤周作氏、 「たろう」と「じろう」

両氏に共通しているのは、

「母性への思慕」なのだと思います。



岡本太郎作「母の塔」

おわりははじまりー72「宇宙へむかってひらく戦い方」



特に遠藤周作氏は、母親を捨てた(離婚)父親に対しての複雑な思いが絡み、

「母性」と「キリスト教」が密に繋がる作家だと思われますもので。

作家論はさておき、「沈黙」なのでございます。




すわ!あわあわ?!過去と未来の自分の伝言8「諏訪神社編」



「沈黙」には、3人のポルトガル宣教師が登場します。

1人は、先に日本に入った高名なフェレイラ司祭、

音信不通となった師が棄教したとの噂を耳にし、

あの高潔な偉大なる師匠に何があったのか知りたいと、

後を追って日本へ潜入した弟子のロドリゴ(主人公)とガルペの2人です。




おわりははじまり-222「沈黙の榛名忘れそ」



パードレ(カトリック司祭)の教えを渇望していた隠れ切支丹たちに匿われるのですが、

キチジローの裏切りなどにより、幕府側に捕らわれることになります。

ここからが、私のこじつけと思い込みと勘違いです。

長崎奉行 井上筑後守のセリフを

「和の國の民族意識である瀬織津」「問いの投げ掛け」だと捉えました。

解いのキーワードは、日本の風土を「沼」と表現していることです。




おわりははじまり-182「吾妻の井を汲む(組む)音立花姫」
おわりははじまり-224「18歳のパズルのピース」



ロドリゴを棄教させ日本に取り込もうとする

長崎奉行・井上筑後守はロドリゴへ語ります。

(井上を演じるのは、イッセー尾形さんです。
噛めば噛むほど味が出るスルメの如く
醸す間の演技、一挙手一投足に目が離せなくなります。)



街を統治していた大名の面白い話がある。
彼には側室が4人いた。4人だ。
4人とも美しかった。

大名の側室たちは、互いに妬み合い争いが絶えなかった。
そこで大名は4人とも城から追い出して
やっと平和が訪れたそうだ。

この話に学ぶところは?

大名は日本と同じだ。
4人の側室とは、スペイン・ポルトガル・オランダ・イギリス
各々が自分の利を求めて画策し、ついに家を滅ぼしてしまう。
大名が賢いと思うなら、日本が切支丹を禁じる理由が分かるだろう。








〇=和の国である日本に近付く、十=キリスト教の4ヶ国です。

ロドリゴを日本側へ取り込もうと長崎奉行・井上は、じわじわと仕掛けてきます。

尊敬する師・フェレイラは、本当に棄教しており、

残酷な現実(再会)を見せられるロドリゴ。

既に日本人の名を与えられ、仏教に帰依させられ、

キリスト教の棄教を促す側に取り込まれていたフェレイラは、

日本という国の姿を、かつての弟子であったロドリゴへ語ります。



私は15年間この国で布教した。
お前より詳しい。
我々の宗教はこの国に根付かない。

違う、この国は沼地なのだ。
苗を植えても育たない、根が腐る。

日本人が信じたのは歪んだ福音だ。
我々の神など信じてはいない。

ザビエルは”神の御子(SON=サン)”を教えるため
神をどう呼ぶのかと尋ねた。
答えは”大日”だった。
”大日”が何か教えようか。
見よ。
あれが”神の太陽(SUN=サン)”だ。





自分の太陽に従おう 原始、女性は太陽だった。



神の独り子”太陽”だ
聖書でイエスは三日目に甦る。
だが日本では”神の太陽”は日々昇る。
彼らは自然の内にしか神を見いだせない。
人間を超えるものはないのだ。
キリスト教の神の概念を持てないのだ。




日本の質が沼だったからこその神仏習合の概念だったんですね。

そもそも、「付喪神(九十九神)」や「八百万の神」の概念って、

万物はそれぞれ周波数を持っているということを、

自然に受け入れて(包括・包含・内包)きたってことなのでしょうから。

人でもなく神でもなく一柱でもないと告げた

「和の國の民族意識のククリに在る瀬織津」が頭を過ります。




宇宙の真ん中で愛智を学ぶー159「母性と父性」



棄教した師・フェレイラを軽蔑するのですが、

見せしめとして、一晩中逆さづりにされ(穴吊り)

苦しみ続ける切支丹たちを見るに堪えかね、

ついに棄教するポルトガル宣教師・ロドリゴ。



踏絵のなかのイエスが
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。
踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、
お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」
と語りかける。




ここで描かれる棄教したフェレイラ、ロドリゴは、

迫害する側・迫害される側(ヤッタ・ヤラレタ)の

両者の質を持つ人物として登場しました。

(裏切り者の弱者として描かれるキチジローも両者の質を持つ)

思い起こされるのは、まきちゃんが受け取っていた、

過去を遡っての祓いと結び直し、次 (の世代) へと橋渡しする、

祝詞・Kyrie eleison (キリエ・エレイソン)= ”主よ、憐み給え”でございます。

そこにあるのは責めではなく労りという慈悲。



長崎奉行・井上筑後守が棄教したロドリゴに対し告げる言葉です。



言っておくが、生月や五等の島々では、
いまだに切支丹と称する百姓が多くいる。
どうだね?
切支丹でいても構わん。
お前には満足だろうが、もはや根は絶たれておる。

沼地には何も育たない。

いかにも日本はそういう国なのだ。
お前たちが持ち込んだ宗教は、
得体のしれぬものに姿を変えたのだ。
お前は私に負けたのではない。
日本と申すこの沼に負けたのだ。




この世は二極の間を行ったり来たりなので、

「沼」もあれば「池」もある世界なのでございます。





すわ!あわあわ?!過去と未来の自分の伝言8「諏訪神社編」



沼にハマって引いてみたら、どうなるか。

足掻けば余計にズブズブに引き込まれてまいります。

日本の風土が「沼」だとするのなら、受け入れるがゆえに、

混濁し澱みもする、そういう、清濁併せ吞む質に対し、

±0⃣の振り子を振ったことも、天秤で測ったことも、

私の人生で無かったことでございます。




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おわりははじまり-206「天秤と剣の糸を結ぶ」



沼の質は強みであり、弱みでもある、それが、二極の世界。

天使も悪魔も、視点によって変わっていく。







もう一方の「池」とどう折り合いを付けていくのか、

それは、女♀という〇に十の性を生きる私が立てる「問い」です。

「沼」にも矜持がありますゆえに。

日本(和の國)の「沼」の世界は深淵でございます。




奇異ワード-9「高山町 まことの光」



それが「和の國の民族意識である瀬織津」が

私の目の前に提示してきた「解いのおわり、問いのはじまり」だと、

こじつけルンバのスイッチをONにするのでございます。







なんか、夏休みの読書感想文の課題やってるみたいだな。



おわりははじまり-229「水は育む・繋ぐのは人」へ続く。



大変申し訳ございません。
現在、個人的なご質問ご相談
お応えお答えすることをお受けしておりません。
どうかご了承くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。