おわりははじまり-224「18歳のパズルのピース」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



おわりははじまり-223「夏至の前日、沈黙の沼」の続きとなります。



これは、新潮社の「沈黙」のキャッチフレーズです。

【QUOTE】

神様って、いないんじゃない? という疑問を、
ここまで考えぬいた人達がいる。


島原の乱が鎮圧されて間もないころ、
キリシタン禁制の厳しい日本に潜入した
ポルトガル人司祭ロドリゴは、
日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と
悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、
ついに背教の淵に立たされる……。
神の存在、背教の心理、
西洋と日本の思想的断絶など、
キリスト信仰の根源的な問題を衝き、
〈神の沈黙〉という永遠の主題に
切実な問いを投げかける長編。


【UNQUOTE】

この「沈黙」を乱暴に掻い摘んで説明すると、

ポルトガルから来たロドリゴという宣教師が、

苦悩の末に踏絵を踏む(棄教する)話でございます。




2020年2月17日(コロナ渦中のはじまり)に開催した

東京世界旅行というイベントで、

普天間さんとこんな会話をしておりました。

「小さい時から見えましたとか、霊能者の家系ですとか、
そういう血筋だとか、特別な人がやるもんだと思ってたんですよ。
そういうんじゃないから、私は。
雑草だから、ハイブリッド(混合・掛け合せ)だから。
小さい時に見えたこともなければ、
親からのこの子は昔から敏感だったんですよ、とかのエピソードもない。
大人になってからこんなになって、大混乱ですよ。」


普天間さん は、少し目を閉じてからすぐに目を開け、

ニヤリとして、こう言いました。

「あなたの守護霊の三五太郎さんは、
こう言ってるよ。
いや、お前は幼い頃からわかってたはずだって。」


私は、幼い頃に漠然と考えていたことを口にしました。

「思い当たる節があるならば、
私は小学生のころ、毎晩寝る時に、布団の中で、
自分の中の神様に、ありがとうございますと、
おやすみなさいを言って寝ていました。
色んな神様があって、こっちがホントだとか、
アレがホントだとか、色々と言ってるみたいなんだけど、
どうしてこんなに分かれちゃってるんだろう?
どうして戦争起こしたりしちゃうんだろう?
神様って自分の内側にいるもので、
そのどれも、否定したり、拒絶したり、
しないもんだぞって。
とりあえず、「有る・在る」は認めてくれるものだから、
安心して、自分の中の神様と繋がってればいいのになって。」


それを普天間さん に話したら、少し目を閉じてから頷いて、

「うん。その言い方ならわかる。
何かが見えるとか見えないとかの話じゃないから。
本質が何かだから。」




しかしながら、神は沈黙したままだから、忘れちゃうのですよね。

私が日本という風土に在るからなのかもしれないのだけれど。

それが「池or沼」の話に繋がっていますが後回し。

いつしか、寝る時に呟いていた「ありがとう」も「おやすみなさい」も

忘却の彼方となった18歳に成長しておりました。

そんな時に出合ったのが高校3年の現国の教科書に掲載されていた「沈黙」です。

遠藤周作の描く「沈黙」は、ロドリゴが踏絵を踏む時に語り掛けてきたんですね。



踏絵のなかのイエスが
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。
踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、
お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」
と語りかける。




この箇所が、18歳の私の心に突き刺さりましてね。

無条件の、母性で、受容の、包括の概念により委ねられた沈黙だったから、

そんなことを考えたこともなかった私にとって衝撃的だったんですね。

キリスト教って「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。」というくらいですから、

やはり、父性(解き・自立)が重めの概念です。




宇宙の真ん中で愛智を学ぶー122「東と西の枠を超える」



それなのに遠藤周作が描く「沈黙」って、

母性(結び・包括)的なキリスト教だったんですね。




宇宙の真ん中で愛智を学ぶー159「母性と父性」



その概念は、私にとって青天の霹靂だったのです。

その流れは卒論の題材に「遠藤周作」を選択するまでに及びました。

喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、よくいったものです。

私に杭を打ち込んだ「沈黙」という作品は、

特別な思い入れがある小説だったにも拘わらず、

学校卒業しちゃったら、読み返すこともなくなってしまったのですから。

日常に埋没し、生活(欲)に侵食されていく「沈黙」です。

だから2024年4月1日に「沈黙」の映画を観た時に、

隠れキリシタンを弾圧をする幕府側のトップの名前が、

長崎奉行の井上筑後守だということをすっかり忘れておりました。

というか、18歳の私は名前なんて氣にして読んでないものね。

バックアップチームは、この名前を承知の上で、

「井上≒瀬織津姫」を投入してきているはずなんですよ。

いや、投入してこないはずがない。

それくらい巧妙にプランニングしてると、

こじつけの「目が見」は思い込む。




おわりははじまり-182「吾妻の井を汲む(組む)音立花姫」



「和の國の民族意識である瀬織津」は、

人でもなく神でもないのですが、

「井上はア(天)」なので、

当然、天(神)へも道は通じてるはずでして。

18歳の時に渡された「沈黙」というパズルに、

「井上」と「沼」のピースを嵌めていきます。



おわりははじまり-225「主なしとて春な忘れそ」へ続く。



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