お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー158「菊理媛ふたたび2」より続いております。
今まで、けっこう、横線と縦線の十字で表して、
女性性と男性性の話を書いてきましたよね。
過去の歴史の中で培われてきた
「母の愛」と「父の愛」を考えてみました。
母の愛は、包括、包含、内包です。
子を、十月十日(とつきとおか)宿しますので、
自分の一部であるという感覚が行き過ぎると、
母と子の間に、支配と依存や、共依存が生まれます。
どの子も、皆、可愛いの「全体性」が、母の愛です。
父の愛は、分断、分割、分離であり、個々の自立を促します。
血を残すという本能が働くと、
個々の能力の差を見極める厳しさが必要となります。
時に、父と子の間に、支配と隷属や、敵対関係が生まれます。
独り立ちする「主体性」を導き出すのが、父の愛です。
私が今まで、痛い目観てきたのを思い返すと、
母性を勘違いしてやらかしてきた、ということなんです。
何でも受け入れること、何でも許すことは、
お互いの為にならない。
掘り下げてみると、ただ単に嫌われたくないという依存心からだったり、
社会通念上、それが美徳であるとされてきたから、
という、安易な考えの元に、母性を捉え続けて来たということ。
簡単にいうと、情に振り回されていて、
問題の本質を観てなかったということですかね。
見えないチームから、
謎解きと称した氣付きのクエストを仕掛けられて、
観じていることがあります。
母性でも父性でもあり、母性でも父性でもない、
ということなんです。
ただ一言、これが愛なんだなって。
どちらか一方ではなく、両方の絶妙なバランスの元に、
「親和性=神和性」という要素が調和してるんですよ。
禅問答みたいな問い掛けって、不親切でしょう?
ついつい、最初から答えを教えてくれよって思うんですよ。
なぜ、こんな面倒くさいことをしてるの?って。
でも、キーワードを元に、クエストしていく中で、
自立を促されているということを、しみじみ感じるんですね。
冒険の旅に放り出されて、確実に、育てられてるんですよ。
母性でもあり、父性でもある。
母性でもない、父性でもない。
それを調和しているものが「親和性=神和性」という愛。
だから、毘沙門天は、まきちゃんを通して、
わざわざ伝えてきたんですよ。
これから私がやることに対して、
一切手出しはしない。
見ているだけ。
母性も父性も発動しない。
見ているだけ。
でも、母性も父性もあるんです。
これ、何かというと、見守っていますよ、ってことですよね。
手を出さないだけで、目は離してないんですよ。
存在の認識をされ続けてる。
無関心ではないわけですから。
天意(あい・愛)は常に在りますよって、
伝えてきているわけです。
これって、結構、人間としてはツライ。
情で、手出し、口出し、したくなるのが、母性と父性。
でも、「親和性=神和性」は、そこを超えたところにあるんですよ。
だから、イザナギ(父性)とイザナミ(母性)を取り成したとされる菊理媛も、
何を言ったかわからないんだと思うんですね。
菊理媛って、「親和性=神和性」でもあると思うので。
宇宙って、神性界って、そういうもんですよって、
伝えられてるような氣がして。
そういえば、「なんだか宇宙感があるきくりんですw」ってあやちゃん言ってたね。
三五太郎さんが私のこと30%怒ってたのってね、
私が、夫(太郎)に対して、母性(笑った顔)ではなく、
父性(怒った顔)を発動したんですよ。
それはいいんだけど、そのやり方が、
「私、かわいそうな人でしょう?」って、
夫の理解ではなく、夫の同情を買うような伝え方をしたもんだから、
お前、その本質何から来てるかわかってるだろうなって、
かわいそうな人を自分で作ってるんだぞって、
やるなとは言わんが、
自分の三密が一致してないことだけは自覚しとけよって、
「ミユキ」という名前を呼ぶことで、突き付けて来たんですよ。
いやぁ、表現力バツグンだわ( ゚Д゚)
トホホ・・・(死語の世界の黄泉の国)
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー160「宇宙の為の菊理媛」に続く
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