お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
おわりははじまり-221「四半世紀の問いと解い」の続きとなります。
25年前=四半世紀前の仕掛けを書きましたが、
更に遡って18歳の時(38年前)の仕掛けを綴ります。
2024年4月1日の仕掛けが最後でございます。
「空に変ったこと現れたなれば、地に変りたことがあると心得よ。」
日月神示の中にある一節です。
2023年は、特に9月4日に7つの惑星逆行が集中するなどの、
空(宙)に変わったことが忙しい年を経て、
おわりははじまりー55「空に変ったこと現れたなれば」
2024年1月27日から4月2日まで全惑星が順行に戻りました。
この約2ヵ月の順行期間が、本来あるべき
魂のタイムラインに戻る時間帯とするならば、
2024年3月30日の「先祖の結び直し」の型出しは、
私にとって、まさに今までの集大成を実感する一日でした。
そして4月1日の出来事が「おわりははじまり」のラストとなります。
この4月1日に半年前に録画しておいた、ある映画を観ることにしました。
あ、観るなら今だ!となぜか思ったんですね。
そう、4月1日に私が観た映画とは、
マーティンスコセッシ監督が撮った「沈黙」でした。
私が18歳の時に出合った小説、遠藤周作著「沈黙」を映画化したものでした。
沈黙の「問い」、沈黙の「井を汲む」ですね。
それが「春な忘れそ≒榛名忘れそ」の中にありました。
「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」を、
「吾妻風吹かば匂ひ起こせよ梅の花主なしとて榛名忘れそ」へ、
変換するのなら、榛名神社へ訪れた時のことを想い出すより他ありません。
榛名で一番忘れてはならないこと、2022年9月17日に、
榛名神社にて受け取った三つのメッセージのことです。
それを心に刻んでこれから歩めと。
まきちゃんへ降ろされた、この五つのメッセージの内訳は、
1と2の二つのメッセージが、妙義神社で受け取ったもの、
3・4・5の三つのメッセージが、榛名神社の本殿へ参拝し、
参道を(現世へ)戻る道すがらに伝えられました。
3)足跡は持ち帰れぬが、
来たあと(跡・後)に道は出来る
進むものが道を創る 後に続く者が進む道
4)進めど進めど 見えぬ道
なぜならあなたは拓く人だから
5)汝(な)が仕事は誰にも褒められはせぬ
だが我は観ている
3・4・5なので、日月神示の「みよいづの仕組み」が脳裏を過ります。
一二三(ひふみ)の仕組みが済みたら
三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが
世の元の仕組は三四五の仕組から
五六七(みろく)の仕組となるのぞ
五六七の仕組とはミロクの仕組のことぞ
3・4・5(みよいづ)を腑に落としたら
ミロク(5・6・7)の仕組みに繋がるのかもしれないですね。
まきちゃんは、メッセージを受け取ると録音しながら私に伝えてくれました。
5)の観ている「我」とは誰か、その御正体はわかりません。
でも、同じようなことを2018年7月23日にも伝えられておりました。
私とまきちゃんを、観ていると宣った「毘沙門天」です。
いつも私を静かに(沈黙=Silence)待ち受ける「毘沙門天」
その「毘沙門天」は、2018年7月23日、
ヒーラーとしてのまきちゃんの施術を受けている時に、
まきちゃんを通して私へこう宣いました。
「みゆちゃんの施術を始めたらすぐに、男の人が現れました!」
「えっ・・・それ、誰?」
「こうやって、立膝ついて跪いて。
じっと、みゆちゃんを見てるんです。」
「・・・(こわーっ)」
「それで、あの・・・どちら様ですか?ってお聴きしたら、
毘沙門天って仰ったんです。」
「毘沙門天?!」
「みゆちゃんのことずっと見ていて、
これからみゆちゃんがやることに関して、
一切手出しはしない。
見ているだけ。
そう言って、見守ってるんです。
ということは、私も見ているということですよね。
うわー!緊張するけど、ちゃんとやらなきゃ~って
だから、最初から最後まで、施術が終わるまで、
ずっとみゆちゃんの足元に跪いて、
見守ってました。」
それは、「無視」ではなく、「沈黙」です。
その違いは、「天意=愛」がそこに在るのかどうか。
「無視」ではなく「沈黙=Silence」のアイ。
わざわざ、まきちゃんを通して伝えてきた、
その意味を、その意図を、噛み締めるのです。
おわりははじまり-223「夏至の前日、沈黙の沼」へ続く。
大変申し訳ございません。
現在、個人的なご質問ご相談
お応えお答えすることをお受けしておりません。
どうかご了承くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。