おわりははじまり-220「フレームに入れないワケ」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



おわりははじまり-219「新型現る」の続きとなります。



まきちゃんの受け取った五角形は横になり、

風が吹き込み、底から水が流れ出しました。




メッセージは言葉以外にも1~世界を構成する要素(心に降りてくる言葉)



五角形が横になるメタファー(比喩・隠喩)は、

五角形が水瓶(アクエリアスの暗示)だとして、

それまでの価値観の転覆や転換を表しているのだとしたら、

縦の軸を通すものは「力」よりも「愛」「愛ある力」「力ある愛」です。




宇宙の真ん中で愛智を学ぶー171「光の十字」



男性性優位(力優位)の社会の在り方、

その役割の逆転やswitchの仄めかしなのだろうし、

陰陽五行説の南北とは縦のラインを表すので、

上下という高低差を均すという意も読み解くことができる。







ニニギノミコトは、仁王のように横になる(並ぶ)。




おわりははじまり-218「ニニギノミコトは阿吽でお願い」



夫と従妹の旦那様は、南北(縦のライン)に分かれた、同じ誕生日の

「ツインでお願い」「阿吽でお願い」ですからね。

絶対的な上下の服従という支配の構造からの脱却なんですよね。

Mr.関&Mrs.関の間には、血を分けた子どもはおりません。

これが「フレームに入れない」理由の一つでもあります。






2018年6月19日にむーらんから、伝えられたことです。

(おうちのエネルギー=御先祖様のエネルギーということだと思います)


たくさんの人がこれからファミリーになっていく、

今でもそういうものは創ってきてるんだけれども、

自分の血縁とかを超えた、例えば、自分の子供のような、師弟のような、

その色んな関係性が家族のように発展していく

今までのようにおうちっていうもののエネルギーの質を、

おうち自体のエネルギーが地球全体的に変わりつつあるそうで、

おうちっていって分けられていたものが、

少しずつ融合していく時代がそろそろくるっていうことを言っていて

ご先祖様は、ご先祖様はで繋がりだからそれはいいんだけれども、

これからの家族、これからのエネルギー的な交じり合い、

そういうものを実現していくこと。

今でも既に、自分の子供のように誰かを愛しているとか、

何かそういう想いをもっともっと広げて行くこと


例えば自分が亡くなるところに際しては、

その色んな人が下からありがとうとの氣持ちを伝えてくれるような家族が

いっぱいいるような状態を観ていてください。



それが結果的におうちのエネルギーも喜ぶし

おうちっていう固定したエネルギーがもう溶けている状態であることが、

おうち自体も望んでいるような感じなんですね。

新しい時代を作ってほしいということを言っています。

だから、その自分の子供がとかそういうところが

問題では決してないというところから始めてください。


ということだそうです。

今、意識を向けようとしていることが、これからドンドン広がっていくことの

後押しをさせてくださいということみたいですね。


中略


血縁を超えた家族みたいなものを創る。

皆が家族として繋がれるようなそういうものを

施設なのかシステムなのかわからないですが、

それを創る感じですよね。

皆のお母さんの感じでたたずんでるみたいな感じをされるそうです。


中略


魂の彩どりにこれから取り組んでいく感じです。

皆のお母さんになるということをやりたくって、今の環境であるとか、

皆のお母さんになることを選んで、大きい家族みたいなものを残そうとしている。




親族写真の「フレームに入れない」のは、

ファミリーという概念が進化(新化・神化)し、

更新されていくからだと思うんですね。

それだけに収まってはならなかったから、

フレームに入れなかったのだと思っています。

相変わらずの、こじつけの「目が見」ですが、

私の世界は私の意識が創造していきますゆえにね。

なぜ、私たち夫婦だけでなく、義妹ちゃんも入れなかったのかは、

私と義妹ちゃんが「ツインでお願い」だからです。

「同時で、共時で、連動で、お願い」だからです。

義妹ちゃんは、自分が住んでいる場所で、

愛あるファミリーを更新していくのだろうし、

私は、私の住む場所で、愛あるファミリーを更新するからです。

血を分けた愛も、血を超える愛も、大切だということ。

殺人事件の6割近くが、親族間で起きているのだそうです。

血を分けていなくても、夫婦間の揉め事も多いものね。

「厄を落として役に当たる」為に一緒になっているのだと思うけど。

歴史の「ヤッタ・ヤラレタ」の繰り返しのパターンは、

血族(自我)を残すことに起因が
あると考えると、

なんという皮肉なことなんでしょうかね。

だからこその、概念の更新が愛なのだと思います。

私の母(星)は、血の繋がらない祖母「よつさん」に育てられました。

でも、その祖母から愛をたくさん注がれたんですね。

母は、よつさんのことを「ばっぱちゃん」って呼んでたなぁ。

以下は、2018年8月15日(終戦記念日)にアップした出来事です。

2024年3月30日の三嶋大社で、よつさんのことを想い出していました。







【QUOTE】

「お母さんって、おばあちゃん(私にとってはひいおばあちゃん)に育てられたんだよね?

名前なんて言うんだっけ?」




「よつさんっていう名前だよ。

おばあさんは、とにかく人間深い人だった。

物のない時代だったから、長男以外の人たちは大変でね、

何にも持たさず家を出される。

貧乏子だくさんのおうちの人がお米を借り来たら、

絶対に渡していたし、返せっていうことも言わなかった。

だから、うちのおばあさんの後ろ姿、その人たち拝んでいたよ。

私の母ちゃんが、お嬢さん育ちで身体が弱かったから、

きょうだい、みんな、おばあさんに育てられた。

後妻に入ったのに、本当によくしてくれた。」




「ちょっと待って!!後妻に入った?

育ててくれたおばあさんと、お母さんは、血が繋がっていないってこと?」




「そうだよ。血が繋がってる本当のおばあさんは、

凄い美人だったらしいんだけど、24歳の若さで亡くなってしまった。

その後妻に入ったのが、育ててくれたおばあさんのよつさんだよ。

だから、私の父ちゃんにとっては、継母になる。」




「じゃあ、私にはひいおばあちゃんが二人いるってこと?」



「そうだね。」



図にするとこんな感じになります。





母は、続けました。



「私のことを目に入れても痛くないほどかわいがってくれた。

正子のお婿さんになる人は、幸せだよ。

正子は本当にいい子だからね~って。

とにかく、褒めてくれた。

実家が学校の先生とかやっているところからお嫁に来ているから、

頭が良い人で、芸は身を助けるからねって、

おばあさんのお陰で洋裁学校に行かせてもらって、

色んな事を教えてもらった。

人と争わない生き方を教えてもらった。

だから、私はおばあさんのことを想い出すと、どんなことでも耐えられる。

あのおばあさんがいなかったら、今の私はいない。

今でも、おばあさんは、私のことを守ってくれてると思うよ。」




実は、この話を聴いている時に、

ず~~~っと、右手の薬指を温かくされていました。

右は、未来にやること、薬指は、結び、契約、約束。

これが何を意味するのかというと、

このことを未来に繋いでいってほしいということになります。

それと、もう一つ、涙がずっと流れ続けていました。



「あのね、今朝ね、よつさんが、私のところに来てたんだよ。

だから、今日、お母さんのところに来たの。

ひいおばあちゃん、これを私に伝えたかったんだ。」




「え?おばあさんが?

おまえのところに来てたの?」




「うん。だから、私、お母さんにこの話を聴きに来たんだよ。」



よつさんがいなければ、今の母はいなかった。

ということは、マインドを残したことになります。

自己肯定感というものを、私は母から与えられたし、

母はよつさんから与えられたのです。



よつさんは、血は残さなかったのでしょうか。



「よつさんは、子供は生まなかったの?」



「男の子が一人いたんだけどね、旧制中学に上がったら、銃剣の授業があってね。

間違って衝かれて、それが元で、肋膜炎で亡くなってしまったって。

だから、二十歳にもならないで、亡くなっちゃったんだよね。」




母は、なぜか最後に、私に、こう言いました。



「ミユキ、ありがとう!

ありがとうね~~~。」




よつさんが生きた時代は、とても封建的な時代だったでしょう。

女性にとっても、いえ、男性にとっても、

生きる選択肢が少ない時代だったのです。



それでも、よつさんは、争わない生き方というマインドを、

生きる術を、母に残しました。

おばあさんがいなかったら、今の自分はいない。

母は私にそう言ったのです。

今の母がいなければ、今の私はいません。

よつさんから受け継いだマインドは、私にも受け継がれています。



人は、血を残さずとも、残すものがあります。

作品であったり、マインドであったり、生き方であったり、在り方であったりします。

良いとか悪いとかのジャッジは抜きにして、

それらのどれが欠けても、今は存在しないのです。



血の繋がりだけが、全てか?!

そうではないんだけど、何て説明したらいいのだろう?




その答えがこれです。



但し、昔のマインドのままでは、同じことが繰り返されます。

昔のマインドに加えて、今にあった進化したマインドを融合させていくことが、

私が受け取った桂馬で進めの意図になります。

一個飛び越しても、真上に行っちゃったら同じ轍を踏むでしょう。







斜め上を行き、視点と方向を変えていかないとね。



私の母方には、ひいおばあちゃんが、二人います。

血を繋いでくれた方と、マインドを繋いでくれた方です。

その二人に愛と感謝を込めて、

終戦記念日の今日、お盆の今日、全てを繋いできてくれた人々へ、

心よりの敬意と感謝を込めてお祈りいたします。

私たちは、より進化した今を、繋いでまいります。

【UNQUOTE】



何をするというワケではないけれど、

「新型」の三姉妹を見守っていこうと思っています。

愛ある生き方をすれば、百匹の猿は動き出すから。



おわりははじまり-221「四半世紀の問いと解い」へ続く。



大変申し訳ございません。
現在、個人的なご質問ご相談
お応えお答えすることをお受けしておりません。
どうかご了承くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。