お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
おわりははじまり-202「みかみくもがメビウスの輪を創る」の続きとなります。
こじつけと思い込みと勘違いを、大人の常識にて鼻で嗤われたって、
ここまで来たから、和多志を貫いて終わらせるよ。
関みゆ紀ワールド全開で花散りましょう。
徳川さんって、「十九川=19川」で「おわりははじまり」なので、
その流れには、なんらかの「型出し」があるはずよ。
一石何鳥が動くー209「松平はもう平らではないじゃろう」
まきちゃんからポップアップした「徳川御三家」
「ラフィンノーズ」は、「真ん中でひらく」の暗号ですので、
「ハナ=真ん中」に入るものが何か追っていきます。
2024年3月28日に訪れた「紀尾井」
う~ん、「気負い」って変換されちゃうなぁ。
氣負いとは、《「競(きお)い」から》自分こそはといった態度や氣持ち。
「氣負い」は、±0⃣の振り子で臨むことが肝要ってことね。
0⃣の俯瞰(事実)を意識しないとズレる元になりますゆえに。
「紀尾井≒氣負い」から導き出される暗号は
「紀伊=KEY」
「尾張=おわりははじまり」
「井伊=井(宇宙)のイを汲め(組め)」
そして、「水戸(癸・みずのと)➡女性性の叡智」が抜けております。
おわりははじまり-202「みかみくもがメビウスの輪を創る」
「尾張徳川家」「紀州徳川家」「水戸徳川家」
江戸時代に、全国に存在した藩は300以上、
「徳川家康」が徳川将軍家の血を絶やさないようにするために、
徳川将軍家から独立させて創生した大名家が「徳川御三家」です。
将軍家に後嗣が絶えた時は、「尾張家」か「紀伊家」から
養子を出すことが前提で構築されたものでした。
当初は「水戸家」は想定外だったのです。
3名の息子を主要ポジションに配置しました。
九男「徳川義直」➡尾張62万石
十男「徳川頼宣」➡紀伊56万石
十一男「徳川頼房」➡水戸35万石
石高で観ても、格的に「水戸徳川」は一番低い存在で
「東北鎮護」のポジションでした。
一石何鳥が動くー215「天海と統制」
「近畿五芒星」に近い「尾張」「紀伊」が要所で、
燻る豊臣家の外様大名勢力、
朝廷の権威のコントロールが必要だったのでしょう。
それは、封じ込めとも言えますし、
緊張の緩和、均衡と調和の謀とも言えます。
一石何鳥が動くー116「あれ?八咫烏って3本足だったの?!」
ここが興味深いところなのです。
「水戸(癸・みずのと)」が「女性性の叡智」の
メタファー(隠喩・暗喩)だとして、
読み進めて(読み解いて)みましょう。
想定外の3番目の「水戸徳川家」を台頭させた礎が、
十一男「徳川頼房」の三男である「徳川光圀」だったんですね。
はて?(虎に翼の寅子ちゃんにだいぶ毒されてる)
孔子の論語より言葉をお借りしましょう。
子曰わく、吾十有五にして学に志し、
三十にして立ち、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、六十にして耳従う、
七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。
黄門様は、齢五十にて天命を知ったのでしょうか。
9歳から名乗っていた「光国」を、
56歳の時に「光圀」へと字を改めます。
「圀」の「ルート(root[s])を確保せよ」してみましょう。
「圀」という字は、中国史上唯一の女帝「則天武后」の則天文字です。
スンゴイね~、北条政子に続いて「強かな」女性が続いてますよ。
改変・改革好きの女帝・武則天は
「國」という字の「或」が「惑」を想起させたり
地域を限定的に指し示すとして嫌い、
クニは八方に広がるものだということで、
中身を「八方」にした「圀」という字を作り出したそうです。
という「圀」を用いた「光圀」です。
「水戸徳川家」の「はじまり」が「十一男」というのも見逃せない。
「十一≒±」より「土」と「士」の振り子が出てきます。
おわりははじまり-127「にしむくさむらいに託されたこと」
この紋所が目に入らぬかで葵の御紋(三つ葉葵)を
有名にしたドラマ、水戸黄門様でございます。
黄門ちゃまとしてパチンコ界にまで降臨した水戸光圀公でございます。
祖父・徳川家康➡
父・徳川頼房(十一男/初代・水戸藩主)➡
子・徳川光圀で、徳川家康の直系の孫ですが、
母が正室ではなく身分が低かったので、
家臣の三木之次の屋敷で生まれたそうです。
しかも、堕胎せよとの命を圧して、出産したという生い立ちらしい。
なんだか「3」が付きまとってるのが氣になっちゃいます。
「水戸の光圀」は、日本史編纂など学芸振興に力を入れ、
結果として「水戸学」を生み出すこととなりました。
その分、経済(農民)に負荷が掛かり、財政難だったようで。
その水戸学が尊王攘夷のベースとなって
大政奉還へ繋がったので皮肉なものです。
その話は、横に置いておいて、先を進めます。
徳川幕府は、実際に7代将軍・家継が
8歳で死去して宗家が断絶となりました。
8代将軍として紀伊家から「徳川吉宗」が養子に迎えられ、
7と8で変わったので「ハナが咲く=割く・裂く」ですねぇ。
以降14代将軍家茂までは紀伊家の血筋が続きます。
徳川吉宗は、松平健演じる「暴れん坊将軍」のモデルでございます。
今度は、「8」が「KEY・鍵・紀伊」になってますね。
尾張徳川家から将軍が出ることはなく、
最後の将軍は水戸徳川家から出ました。
15代将軍・徳川慶喜ですね。
「水戸(癸・みずのと)≒女性性の叡智」より将軍が選定され
それが江戸幕府の「おわり」でした。
でも「おわりははじまり」ですから、
「水戸(癸・みずのと)≒女性性の叡智」からはじまるはずだったのです。
しかしながら、明治時代は「軍事≒もののべ」が主導権を握る時代でした。
進化の為の13番目の使者3「日本の記憶と叡智」
さて、転換点となった
「水戸の黄門様=3」と
「紀伊の暴れん坊将軍=8」です。
この暗号を梅の令和へ変換して図にしてみます。
「水戸(癸・みずのと)≒女性性の叡智」が圀(クニ)に拡がるんですよ。
3と8を和足しすると11なので、
またもや「十一≒±」の振り子が浮上しますよ。
おわりははじまり-127「にしむくさむらいに託されたこと」
帯刀(台頭)許されし者は、優しさと強さを併せた、
女性性の叡智を持つ者です。
おわりははじまり-196「えぼしのとりが動く」
そして、水戸にルーツを持つ最後の将軍は15代です。
梅の令和の平和の「和足し」の暗号は、6+9=15です。
「平和の祭・祀・政」に繋がっています。
おわりははじまり-185「乙巳と甲辰に託されたもの」
令和に代替わりした徳川宗家第19代当主は、徳川家弘さんです。
そう、19代なんですよね。
「19=おわりははじまり」は追いかけてきますよ。
梅の令和に「型」の更新がやってきました。
アクエリアス=風の時代の到来です。
「はじまり」がやってきたんですね。
おわりははじまり-204「磯ノ浦は五十の裏で百の鍵穴」へ続く。
大変申し訳ございません。
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