一石何鳥が動くー201「Y極との向き合い方」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



一石何鳥が動くー200「金は百歳、銀も百歳」の続きです。



ルートを確保せよ。

routeを確保せよ。

√を確保せよ。

rootを確保せよ。



20年という時空を超えて、

天意=愛を知る、女人金性のきんさん・ぎんさんの姉妹のツインは、

女人均整と女人金星のルートを女人近世へ敷いてくれていた。

有り難くその轍を歩ませていただきます。

では、そのルートを土性の山の姉妹のツインへ繋ぎます。

木花咲耶姫と磐長姫です。







「ニニギノミコトはおおわらわ」から「人⇒大人」へ。

「ニニギノミコト」は、木花咲耶姫の夫、配偶者。




木花咲耶姫と磐長姫の伝言-85「木花咲耶姫と磐長姫」



「おおわらわ」とは、夢中になって暴れまわる様子などを意味する表現。

古典作品に見られる、いつもは束ねている髪を振り乱し、

稚児のようになって合戦で暴れる様子に由来する表現。

合戦の「殺め」に臨む時、手にするのは「金の武器」です。

「金=道具・手段・行動」の使い様の±√は人間次第です。




一石何鳥が動くー70「水と土を結ぶ」



そして何より「金性」のキーワードは「女人均整」と「女人金星」だから。




一石何鳥が動くー174「2022年11月27日のワケ」



二ニニギノミコトの「アイするカタ」である

「木花咲耶姫と磐長姫」の立ち上がりに掛かっている。

心の内の「声=音」を聴くということは、

永遠の象徴である磐長姫との統合が果たされているということ。

「女性が先」=「ア(天)が先」であることの取り掛かりは、

音姫たちそれぞれの「タシとタシ」の「アワの道」の「横軸」と




宇宙の真ん中で愛智を学ぶー65「アタシとワタシ」



「私と和多志」の「縦軸」の統合が先ですよね。




木花咲耶姫と磐長姫の伝言-100「姫は秘め」



2024年(甲辰)の大河ドラマって、「紫式部」なんだそうです。

「源氏物語」って、光源氏が母の面影を胸に、

幼い紫の上を自分好みの女性に育て上げる話

(端折ってすみません)なんだと思うのですが、

最後には、「紫の上」が「光源氏」追い越して

内面の成長をしてしまった話だと思ってます。

未来の予定へもメッセージは含まれているから。







古来からの物事のややこしさは、「Y」が男子の状態で、

極端な方向性=おおわらわに陥ることにもある。

AMATOからを引きます。

AMATO「天戸」になります。




一石何鳥が動くー158「ずっと、いっしょに、生きていく。」



「金の根」で「天岩戸」を開かなければ始まらないんです。

アマテラスが天岩戸を開けた時、

目の当たりにしたのは鏡に映る自らの顔でした。

鏡に映る輝く自分を観たアマテラスの姿は、

木花咲耶姫と磐長姫の水鏡の話とニアリーイコールです。




木花咲耶姫と磐長姫の伝言-85「木花咲耶姫と磐長姫」



三と五の天岩戸の間には四があり、




宇宙の真ん中で愛智を学ぶー101「月は両手で日を抱く」



太郎が入る契約がありますが、




宇宙の真ん中で愛智を学ぶー101「月は両手で日を抱く」



四は、安定=凪の状態ということでもあります。







今まで出てきた太郎を纏めてみたら四つの要素が導き出されました。

1.封建制の太郎(上下)

2.天狗の太郎坊(優劣)

3.坂東太郎(川)

4.出雲太郎(山)


これを三と五の間に入れてねってことなんですよね。

1.が支配に変わると人の思考や創造性を奪う。

2.天狗になると我に偏るので愛から遠ざかる。







3.4.の「川の氾濫」「
山の噴火」は、安心・安定=人の営みを阻む。




木花咲耶姫と磐長姫の伝言-101「西解脱門」



川はやがて海へ流れます。

水は、個体↔液体↔氣体と循環のルートを辿ります。

てぇことはだよ、八つぁんよ。

三と五の間に地球を抱け(懐け)ってことかい?

おぅよ!ってぇことだな、熊さんよ。







それには、巫女(女人)の太郎の部分が凪の状態であることが大切です。

三と五の間に入るのは、まず、自らの太郎性です。




一石何鳥が動くー169「Are You Ready?」



太郎は自立の要素を担っているので除くものではありません。

自立が無いと、「面倒をみる人」「面倒をみられる人」

「癒す人」「癒される人」のような二極で、

「かわいそうな人」or「かわいそうな私」を存在させることによって、

自己の存在価値、理由、軸、物差し、アイデンティティーを

保持するをずっとやり続けることになる。

目の前の太郎は私がいないとダメなの。

(ミクロ:夫・息子・恋人 マクロ:組織・会社・社会)を

ずっと「おおわらわ」のままで対峙し続けたら、

「おおわらわ」はずっと「人」にも「大人」にもならず、

互いの自立と自律の成長を阻み続ける。








自分の「内はホラホラ」の中にある「望」は

「見返り」の「渇望」を「要望」しちゃうし、

「間(魔)」を取るというのは必要なんですね。

私がいないとダメな太郎ではなくて、

太郎がいないとダメな私の「歪曲」の軸で

本来「Y=ア」は「歪曲」ではなく、

均整(バランス)のセンサーである「Y極」なのですが、

人の意識が「歪曲」にしてしまう。







私と和多志が生きるのは、

氣(霊・意識)と身(体・物質)の「Y=和意」の世界が前提の

肉体を持った意識体としての尊重の世界です。

太郎が居る、私が居る。

私が在る、太郎が在る。



厄介なことに、私の中に永遠のクソガキという「Y」がいるんですよ。

「異能へ(井上)御隠居倶楽部」に所属しているのに、

みうらじゅん氏のいう「老いるショック」の打撃も受けているというのに、

困ったものでございます。

だから、こういう謎掛けされてるんだと思うんですけどね。

私の中にはいないですって人はスルーしてください。

それでも「歪曲」の意識はあるものだと思います。

しかしながら私の中の太郎の部分を否定するものでもない。

その「望」が何なのか見極めて、折り合いを付けて、

個性として存在すればよいだけです。

これが先祖の記憶の要素(業)でもあり、

私の人格の要素(業)でもありますゆえ。

それはまた別に綴るとして、

「習合」という習い合わせをしていくことが

「グリーン」という「ミドリ・三十理」なのだと思っています。

てやんでぃ!べらぼうめ!

ま~た、こじつけてやがるぜぃ。



一石何鳥が動くー202「アヤとマキの暗号再び」に続く。







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