一石何鳥が動くー143「寅と西の酉のメタモルフォーゼ」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



一石何鳥が動くー142「キトラ古墳と縁・繋がりを感じる者よ」の続きです。



なぜ、高松塚古墳ではなく、キトラ古墳だったのか。

キトラ古墳と高松塚古墳の違いについて綴っているブログです。

一石何鳥が動くー63「双子古墳の井上の二枚看板」

キトラ古墳と高松塚古墳の違いとは何か。

両方とも「朱雀の門」から盗掘されているのですが、

「朱雀の絵」が破壊されてしまったのが高松塚古墳、

「朱雀の絵」が残されたのがキトラ古墳です。







一石何鳥が動くー76「ようこそ、日本のはじまりへ」ではこんなことを書いていました。


【QUOTE】

明日の5月3日は京都へ。

「上賀茂神社」と「下鴨神社」です。

本当にこの順番・行程はパーフェクトでした。

というのも、「高松塚古墳」と「キトラ古墳」の「双子古墳」を訪れた時に、

私の頭の中で、「上賀茂神社」と「下鴨神社」が、

このように振り分けられたからです。







高松塚古墳⇒上賀茂神社

キトラ古墳⇒下鴨神社

どうしてこんな振り分けになってしまったかというと、

「高松塚古墳」と「キトラ古墳」共に、「四神相応」が描かれておりますが、

「キトラ古墳」の方には、「十二支」が描かれているんですね。






~中略~


で、その「下鴨神社」って、本殿の前に「干支の社」が並んでたんですよね。







この脳内シンクロリレーって何なんだろうって。

【UNQUOTE】



そうなんです。

高松塚古墳は、当時の「貴族文化の様相」が壁画に描かれていましたが、

キトラ古墳は、「四神相応の霊獣」に加え







「下半身が人」「上半身が十二支」の「半神半獣」が描かれており、







キトラ古墳の完璧なる陰陽五行説の世界観を

「寒川神社」の「方徳資料館」に再現されていたのです。

まきちゃんとのやり取りの中で交わされた、







キトラの白虎が「北向き」なのと関係はあったと思います。







一石何鳥が動くー106「アクシアの森は知っている」あやちゃんは、

「寅と西の酉」と囁かれました。

「十二支」と「方位」の関係です。

 





この状況が、「寅と西の酉」です。

「女人禁制」からのメタモルフォーゼ「女人金性・女人均整・女人金星」です。







白虎が「北向き」とは、







天井図の北極星を指しているということ。







このキトラ古墳の世界観の下にある「八角形」に囲まれた緑の部分って何?







平安京でした。







一石何鳥が動くー83「タカオカミの結び役」に「平安京の風水」のこと書いてましたよね。







さて、寒川神社は、全国唯一の八方除の守護神として

古くから信仰されてきました。

八方とはあらゆる方角を意味しており、

身に降りかかるすべての厄災から身を守る御神徳と言えます。

寒川神社自体が、「THE八角形」「トップオブ八方」なんですよね?

御祈祷していただいた札のマーク「八方・八角形」です。







「魔法円」と「八方除け」はニアリーイコール(ほぼ同じ・等しい)エネルギー

ということは、一石何鳥が動くー141「ペンタクルスとフュージョンする」では、

寒川神社のエネルギーにアクセスして頭がぐわんぐわんに等しいのかも知れません。









あやちゃんは、一石何鳥が動くー97「水と土と火の九芒星」で、

図形が平安京にアクセスしていると伝えてきました。








あやちゃん、この時、図らずも、

寒川神社とキトラ古墳の繋がり、

寒川神社と平安京(下鴨神社)のエネルギーの繋がり、

その「匂わせ」をやってたんですね。







いやあ、参りました。

これだけじゃないんです。

今までの伏線回収は続きます。

それは「方徳資料館」入ってすぐ左にあるこのケースの中にありました。







一石何鳥が動くー144「さるぼぼのむすんでひらいて」に続く。







大変申し訳ございません。
現在、個人的なご質問ご相談
お応えお答えすることをお受けしておりません。
どうかご了承くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。