お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
一石何鳥が動くー46「一年越しの神意」の続きです。
私が奈良へ来るきっかけともなっているこのメッセージで、
ずっと氣になっていたことがありまして、
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー132「北の矢印」
「矢印」という言葉を選択して知らせて来たことでした。
連鎖するように「意味」を引っ掛けてきてるよね?って。
「矢留め」とは、矢を射ることを一時中止し、休戦すること。
そして、こちらのメッセージ。
昨日の敵は、今日(京)の友。
一石何鳥が動くー40「まきちゃんの予告」
カミの系図が浮上(不浄)する。
一石何鳥が動くー33「辻褄合わせは楽しかろ」
日本の神社の数というのは、八万社以上もあり、
摂社末社も含めると20万~30万もあるそうでして。
そんな中、私たちは、身近の、遠くの、
「氏神様」をお参りしております。
「氏神」のはじまりは何か。
古代の豪族の「一族の祖先神」ですね。
祖先神ということは、先祖の人間を神格化する、ですから、
「神の物語」ですが、「人間の物語」でもあるので、
「やったやられた」の歴史が背景にあったりします。
あやちゃんを通して瀬織津姫より、
「ニギハヤヒの麓」という伝え方をしてきておりますので、
一石何鳥が動くー37「みたまふるいとお柱建てよ」
「ニギハヤヒの麓」
「麓」とは、山の下の方の部分。山すそ。
なのですが、ここでは、
「ニギハヤヒの配下」みたいな意味なんだと思います。
「ニギハヤヒ」は、物部(もののべ)氏の祖先神と言われていて、
日本書紀には、天皇家よりも先にヤマトに舞い降り、
ヤマトを統治していたと記されているので、
そういう埋もれたり、下地になったりしている、
歴史の認識を促しているのだと思います。
この風の時代に望まれている「再生」は、
「やったやられた」の繰り返しのパターンを踏襲しない、
「好い塩梅」=「バランスと調和」が基本だから。
この物部氏(もののべし)ですが、
「もののふ」という言葉の元になっています。
「モノノフ」とは、戦場で戦う人。武人。武者。兵 (つわもの) 。
「物」⇒「モノ」は、「鬼」「霊魂」を意味しており、
「軍事」と「神道の祭事」に長けていた一族だったのでしょう。
「もっけのさいわい」とは、「物怪の幸い」と書き、
「思い掛けない幸運」のことを言いますが、
おそらく、物部氏の「モノ」にも引っ掛けて
メッセージしてきているなぁとも思われます。
その物部氏はどうなったかというと、
飛鳥時代の丁未の乱で、衰退してしまいます。
仏教推進派の蘇我馬子(聖徳太子もこちら側)と戦い、
仏教反対派(神道派)の物部守屋は殺されてしまいます。
「井上の二枚看板」で表すと、こんな感じ。
ところが、神も仏も「和を以て貴しとなす」の聖徳太子も
謎の死を遂げ、(暗殺の疑いもあり)
その息子の山背大兄王も、皇位継承の争いに負け、
蘇我入鹿に滅ぼされてしまいます。
しかしながら、天皇家の利権を握った蘇我氏は、
中大兄皇子&中臣鎌足タッグに乙巳の変で暗殺され滅亡、
大化の改新が行われることになります。
まあ、「矢留め」とは程遠く、
「やったやられた」の歴史を、矢継ぎ早に繰り出す繰り出す。
その後の藤原氏は、一族の女人を天皇家の皇后・妃にし
「外戚」となって政治に介入、我が世の春を謳歌します。
藤原道長もこの歌を詠むわけでございます。
というわけで、第一日目の旅、
木島(このしま)神社「秦氏」
平等院鳳凰堂「藤原氏」
春日大社「藤原氏の氏神」
に続き、
2022年5月1日は、聖徳太子の「法隆寺」
聖徳太子にやられちゃった物部氏ゆかりの
「石上(いそのかみ)神宮」
「大神(おおみわ)神社」へ参拝し、
まきちゃんから伝えられていた
「八大龍王」の元へ行くことになるのでした。
一石何鳥が動くー40「まきちゃんの予告」
一石何鳥が動くー48「法隆寺と石上神宮」に続く。
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