木花咲耶姫と磐長姫の伝言-10「卯成る」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



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木花咲耶姫と磐長姫の伝言-9「十六菊花紋」より続いております。



👆👆👆のブログを9月19日の未明にアップし、

夫と銀座へランチしに行きました。







目の前に十六菊花紋用意されておりました。

シンクロ率凄いね。



これから、かなり、色んなことを突っ込んで書いて行きます。

私の内側で、恐怖と不安と戸惑いで、

遠慮しいしい、書いていたので、

それ、もう、止める。已めるぞっと。



上っ面とか表面的な何か、人からどう観られるかとか、

世間軸や他人軸を拠り所に生きていく、

引き続き、そういうことに翻弄されて行く極と、



真実(宇宙)とは何か、本質(魂)が何か、常に見極め、

そこに愛があるのか?の元に物事を捉え、

時代の波と共に生きる極と



本格的に二極に分かれていく境目が

9月22日(火)の「秋分の日」みたいなんですよね。



右足拘束されたり、右手拘束されたり、

自分の右側(未来・これからやること)に、

こんなに叱咤激励の合図されることってなかったのです。

今までは、ほぼ、左側(過去・ご先祖・氏神)が中心で、

合図が行われてきました。

2020年を境に、ますますの破壊と再生が繰り返されていくので、

未来に向けて、本格的な始動をすることが求められているから

右への合図が顕著になってきました。



「時間のみなもと」に辿り着いた-4「人差し指の付け根」に書きましたが、

6月13日と7月10日に房総半島の亀山湖に行っていて、

6月13日に、

仁王は、匂う。
仁王と閻魔は同義。


の夢を観たのですが、

7月10日にも夢を観ていました。

亀山湖に向かう前には、必ず夢を観せられていた、

ということになります。



その時に出てきた言葉がこれです。







何を伝えたいのか、全くわからなかったので、

メモだけして、寝かせておいたんですね。

恐らく、今、起きていることに繋がっているみたいなので、

この時点で、記しておきます。



8月25日(火)旧暦7月7日七夕の日。

六本木7-7-7の竜土神明宮天祖神社へ向かいました。








3×7=7-7-7

3週間後の9月17日(火)新月に

大井町の鹿嶋神社へ向かいました。

大森駅からのバスの道中、

その僅か5分間に、左手の拘束が始まりました。

過去の何と繋がっているというのか。

何と手を結べというのか。

そして、何を観よ、というのか。



到着して真っ先に目に飛び込んできた看板を見てびっくりしました。







中祭り七月十九日。



これ、私の誕生日なんですよ。

だから、伝えてきていることは、

祭りは、奉り、纏り。

纏りって、纏めるということですよね。

神と纏まる、神と一つということになります。

人間は、神の「分け御霊」「ワケミタマ」ですよ。

ということは、一人一人が既に神様。

「双子・二子・ツインズ・ダブル・相似」です。



「時間のみなもと」に辿り着いた-7「花は光」同様に、

関みゆ紀の誕生日だから、関みゆ紀の事でしょ?

ではなくて、これを読んでいる皆さんもそうである

ということになります。



本殿入って、まず氣になってしまったのが、

本殿の右横にある境内社でした。

正直、本殿より、そっちが氣になって仕方なかったので、

何が私の氣を引いているのかを確かめに、

本殿にご挨拶した後、そちらへ参りました。

そしたら、全く、変わらない。

本殿と大した変わりがない。

一体どういうことだろうと、その場で検索してみたら、



現在の社殿は1931年(昭和6年)に竣工した。

旧社殿は、1862年(文久2年)の造営で

精巧を極めた鎌倉彫の彫刻が施されており、

これを後世に伝えるため境内末社として移設して現存してある。


とありました。

旧社殿=元宮だったんですね。


同じだったわけです。

ということは、「双子・二子・ツインズ・ダブル・相似」です。



まきちゃんが、こんな風に言いました。

「何かここ、
お寺っぽくないですか?」



そう、ここは、お寺の空氣感が半端ない。

それもそのはずで、裏手の同敷地内に、

来迎院というお寺がありました。






1868年(明治元年)、
神仏分離を受け、

来迎院と同一敷地内で分離していたのです。

ということは、元は一つだったということになります。



同社社伝によると、安和2年(969年)9月19日

武蔵国荏原郡大井村字関ヶ原(現在の東大井6丁目)の

常行三昧寺住職であった尊栄法印が

常陸国鹿島神宮から分霊を勧請したことに始まり、


同日別当として、来迎院を建立、

慈覚大師(794年 - 864年)がつくった薬師如来像を安置したという。




そう、
昨日の9月19日が、元々一つの日だったのです。

道理で、昨日も、右足の拘束が激しかったわけだ。

この点に早く氣が付いてほしかったんですね。

私の後ろのチームは、

9月19日のうちに、

このことに氣が付いてもらいたかった、

もしくは、9月19日のうちに、

このブログをアップしてもらいたかった、

らしいのですよ。



ところが、情報が次々と送られてくるので、

私の左脳が大混乱を起こしてしまい、

右脳と繋げることに拒絶反応を起こしてしまいました。



私の中の、木花咲耶姫と磐長姫の話へ、

なかなか辿り着かないことに対する焦りと執着が、

インプットとアウトプットのバランスの崩れを起こし、

本来のタイムラインからズレを生じさせてしまったんですね。



だから、焦りとか執着とか禁物なんですよね。

力を抜いて、お手上げの状態にし、

真ん中に戻ると、浮力が上がるのにね。



今までの在り方って、

とにかく時間を速くすることに

人間の力の均衡が偏っていました。



その状態に、待ったを掛け、

今一度考えなおすように投げ掛けてきているのが、

コロナだったんですよね。



時間を流れを遅くする、

ゆっくり、ゆったり、のんびり進めることで、

自分の内側に目を向けさせざるを得ない状況に、

強制的に持って行かされた事象が、

コロナだったんですよね。



だからこそ、これからの世界は、

意識的に自分の「時間のみなもと」に目を向けて、

時間を遅くしていくことが大切になってくる

ということなんです。



今までの逆を行きますよ。

でも、螺旋で一つ上がってるから、

後退・退化していくのとは違います。



まあ、過ぎたことは、過ぎたこと。

ワケは後からわかるんだわ。

これから、私の「時間のみなもと」に意識を置いておけば好いことです。

いつだって、で?どうする?しかないからね。



それは置いておいて、

ここでも、「双子・二子・ツインズ・ダブル・相似」をタップリ見せつけられたわけです。



本当に唸る。

う~ん。

いや、




で、参ろう



世界は、認めることから、始まっていく。






う(有)
ん(無)

と認めていかないと、世界は分離していくからね。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-11「諏訪と厳島」へ続く。





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