こんにちは、ぴろろです

(*´꒳`*)

 

時代はメソポタミア文明



昨日のハンムラビ王がメソポタミア全土を支配下に治めたバビロン第一王朝(紀元前1894~)滅亡後のお話です。

 

ハンムラビ王が亡くなった後は反乱と外敵の侵入など、安定しない統治が続きます。

 



その後この土地を治めたのはカッシート人でした。カッシート人はバビロン第三王国(カッシート朝)を建国し約400年間近くこの地を治めます。


 ↓


紀元前1157年にエラム人がこの地に侵入し、

この時の王シュトゥルク・ナフンテがバビロンを制圧し、バビロン第三王国は滅亡するのですが


この時、戦利品としてスーサに持ち帰ったのが

「ナラム・シンの戦勝碑」と「ハンムラビ法典の石碑」です。

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その後 イシンエラム人を一掃して建国した

イシン第二王朝 


全オリエントを初めて統一した

アッシリア帝国と 経た後に


「新バビロニア(紀元前625年~)が建国されます。

 

帝国書院 最新世界史図説 タペストリー19訂版より



新バビロニアはカルデア人が建国したことから

”カルデア”とも呼ばれます。

 


前置きが長くなりましたが、今日はこの「新バビロニア」時代に建設された

「イシュタル門」について説明していきます。

 

 




「イシュタル門」

紀元前575年頃 

ベルリン ペルガモン博物館所蔵


美術出版社 カラー版 西洋美術史より


当時のバビロンは紀元前689年アッシリアの王”センナケリブ”のバビロン破壊により荒廃していました。


それを新バビロニアの王

ネブカドネザル2世が帝国都市としてのバビロンの威信を高めるべく壮麗な改築を行ったのです。



この時に建設されたのがイシュタル門です。

 


市は東西南北約5キロの外壁を持ち、その内側の中心部は約2キロにおよぶ二重の内壁に囲まれていました。

そして、この城壁には8つの門が建設されます。

 


山川出版社 山田重郎著 ネブカドネザル2世より


この一つがイシュタル門です。

 


8つの門には「王の門」以外、すべてメソポタミアの神々の名前が付いていて、

”イシュタル”

金星・愛欲・戦争を司る女神に由来しています。

(お供の聖獣はライオン。ライオンは女神イシュタルの象徴でもある。)

 



モザイクで装飾されたこの門は高さ

11.4メートルにも及びます。

 


門に続く行進通りは

青い釉薬瓦でライオンやオーロックス(滅亡した家畜牛)などが浮彫で描かれ、

当時は全長が約180メートルあったそうです。

 


この門と行列通りの一部(約30メートル)は

ベルリンのペルガモン博物館に復元、展示されています。

 


帝国書院 最新世界史図説 タペストリー19訂版より

 


高さ11メートルの門と長さ30メートルの通りが建物の中に再現されているって…

どうなのよ…ガーンガーンガーンガーンガーン

想像を超えてくるーーー🤣💦

 

 

私は以前、上野でこのライオンの浮き彫りの一部を見たのですが、とても色鮮やかだったことを思い出します照れ



それが30メートル並んでるって…

すごいんだろうなぁ照れ照れ照れ照れ照れ





世界は広いなどこまでも

行ってみたいなペルガモン(≧∀≦)💕💕💕

 

 

 

 

「イシュタル門」

紀元前575年  

ベルリン ペルガモン博物館所蔵

ネブカドネザル2世により建設された城壁の門の一つ

「イシュタル」はメソポタミア神話に出てくる愛の女神に由来する