こんにちは、ぴろろです

(*´꒳`*)


 

 

今日は王家の谷で未盗掘の状態で発見された

ツタンカーメン王の墓

その発掘の経緯についてお話します。



「王家の谷」については昨日の記事をご参照ください↓




1)

ツタンカーメン王の墓の発見

 


支援者:イギリス貴族のカーナボン卿

発掘者:考古学者ハーワード・カーター

 

 

1916年よりテーベ(現在のルクソール)にある王家の谷で調査が始まります。


 山川出版社 詳説世界史図録より



調査は始められたものの、なかなか発見には至らず

カーターの前にも発掘班が調査していたことや

王家の谷も盗掘にあっていたことから

もうこれ以上は出てこないのではなかと考えられていました。

 

 

多くの支援者が援助を打ち切っていく中、

1922年の夏にはカーナボン卿も痺れをきらし

カーターをイギリスに呼び出し発掘権放棄の旨を告げます。

(最後の2年はカーナボン伯爵家の財産を崩して支援していたそうです。)

 

 


それに対しカーターは

強い熱意でもう1シーズンの延長を申し出るのです。

 

 

 

「今回が最後!」という

この追いつめられた状況の中、カーターは

1922年の11月4日

ついに、墓の入り口を発見することに成功するのです‼️‼️‼️

 


長かったよぉ…

よかったよぉ…笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き💦

 

 


入り口発見の知らせを受けたカーナボン卿はすぐにエジプトに向かい

カーターと一緒に封鎖された扉を開いていきます。

 


多くの墓が盗掘されていたのに対し

このツタンカーメン王の墓だけは未盗掘の状態で発見されます。

 


つまり、

3000年前に埋葬された時の状態で発見されるのです。



奇跡的すぎるーえーんえーんえーんえーんえーん✨✨✨

 

 


2)

ツタンカーメン王の呪いガーン

 


墓の奥に続く第3、4の扉も開かれていく中で

玄室(埋葬室)の中で王の棺が納められた黄金の厨子が発見されます。

 


その解体作業に取り組もうとする時に

カーナボン卿が突然亡くなりますショボーン

56歳でした。

 



これはカーターと一緒にツタンカーメン王の墓に入った5ヶ月後のこと。

療養中のカイロのホテルで急に亡くなってしまうのですぐすん

 

 


死因は傷からの菌血症と言われているものの、カーナボン卿が亡くなった後、

発掘関係者やカーターの秘書や助手など

何人もの死が続いたことから


マスコミより「ツタンカーメン王の呪い」として取り扱われました。

滝汗滝汗滝汗滝汗滝汗

 



ちなみにカーターは64歳まで生きます 笑

照れ

 


 

3)

玄室にあった厨子の解体作業

 

 

①②③④厨子

黄金張りの木製

四重の大きな木箱

⑤その中に石棺があり

更に3つの人形の棺

⑥⑦黄金張りの木製

⑧純金製

⑨そして最後に

純金製のマスクをつけたミイラが出てくるのです

 

帝国書院 最新世界史図説 タペストリー19訂版より



この⑨のミイラに辿り着くまで

木製の厨子には装置などが組み込まれていて

簡単に開かないようになっており

開くまでに2年の歳月を要しました。

(1924年)


※厨子:仏像や仏舎利、教典、位牌など大切なもの納める箱のこと。

 

石棺の中から布を取り除いた時

そこには黄金の人型の棺…


↓これが発見時の写真

帝国書院 最新世界史図説 タペストリー19訂版より




とてつもない感動だっただろうな…

チューチューチューチュー





そしてその三重の棺を開けた時

黄金のマスクをつけた包帯巻きのミイラがでてくるのですチュー



これぞまさに

ツタンカーメン王!!!



帝国書院 最新世界史図説 タペストリー19訂版より




そのミイラはたくさんの宝石や装身具、

護符をまとっており、棺の上には花も添えられていたそうですぐすん✨✨✨

 

 


1925年に黄金のマスクは墓から持ち出され

635キロ離れたカイロにあるエジプト考古学博物館に輸送されます。

(ツタンカーメン王のマスクと展示については後日記載予定です。)

 

 


カーターの強い意志によりツタンカーメン王のミイラだけは墓から出されることはなく、

玄室の中で調査が行われました。

 

 


ミイラの保存状態は劣悪であったため

2007年に従来の棺から、プレクシグラスの展示ケースに移され、

その後初めて一般公開されました。

 (プレクシグラスのケースは軽く透明な合成樹脂でできていて、気温や湿度を厳重に調整することが可能です。)

 


そして今も

ツタンカーメン王のミイラだけは

王家の谷で眠っているのです照れ✨✨✨

 



4)その他の埋葬品

 

墓の中からは数多くの埋葬品が発見され、

カーターの要請で1つ1つ慎重に記録されたこともあり

墓から持ち運ぶのに10年の歳月を要したそうです…ガーン

 


10年って…

発掘開始から何年経ってるんだぁ…

古代文明系は相変わらずスケールがでかい

笑い泣き笑い泣き笑い泣き💦💦💦


 

この時の発見物のすべてはカイロのエジプト考古学博物館に納められています。

 

 

って、そういえば

この博物館、2020年にリニューアルされましたよね?

 

 

2021年

新しい博物館にミイラ達が移動した際には

引っ越しのパレードも行われニュースになっていました✨✨✨

 

 

が、その頃私はコロナの騒ぎで心は上の空

そのニュースをちゃんと見ていないのです…

くぅーーー!悔やまれるーーー笑い泣き!!!

 



今後、コロナがもう少し落ち着いたら新博物館のレポートとかもネットに上がってくるのかな?

 

 


そして、私も早く現地に行きたいな…

(≧∀≦)💕💕💕

 







《ツタンカーメン王の墓の発掘》

資金援助者:イギリスの貴族 カーナーボン卿

発掘者:イギリスの考古学者 ハーワード・カーター


1922年に王家の谷でツタンカーメン王の墓を発見する。


墓に入った数ヶ月後にカーナーボン卿が急死

続けて何人もの関係者が亡くなったことから

「ツタンカーメン王の呪い」とマスコミに取り上げられた。


ツタンカーメン王のミイラを納めた石棺を開けるまでに2年の歳月を要した。