こんにちは、ぴろろです

(*´꒳`*)

 

 

今日はエジプト文明、新王国時代

(紀元前1550~1069年頃)

第18王朝ツタンカーメン王についてお話していきたいと思います。

 

 

ツタンカーメン王 

紀元前1341~1323年頃

 

帝国書院 最新世界史図説 タペストリー19訂版より



新王国時代 第18王朝 12代目の王であり

アメンホテプ4世(10代目の王)の息子。

 


アメンホテプ4世の死後、王の弟も相次いで亡くなったため

若干10歳前後で王位を継承。

 

 

ツタンカーメン王は幼くして王位を継承したことから内政は親戚関係にある大臣に、

外政は将軍ホルエムへブ(後に18王朝最後の王となる。14代目)に実権を握られていました。

 

 

 この時代に行われたこと


1)アメン(アモン)=ラー信仰の復活

 

エジプト王朝の歴代の王たちがアメン(アモン)神を信仰してきたことにより

首都テーベの神官たちは政治までも口出ししてくるほどの権力を持ちます。


 

そのことを懸念したアメンホテプ4世の宗教改革により

首都をアマルナに遷都し、

宗教をアトン(アテン)神に変更します。


↑詳しくはこちらから

 


このことはテーベの神官たちの

猛反発を招きます。ガーンガーンガーン

 


晩年のアメンホテプ4世はアメン(アモン)の祭司団との和解を考え

弟をテーベに住まわせるなど対策を行っていましたが、その最中に亡くなってしまいます。

 

ツタンカーメン王はこの状況の中

王位を継承するのです。

 


結果的にツタンカーメン王は

テーベの神官たちと和解し、アメン(アモン)=ラーの信仰を復活させます。

 



って、実際は若いツタンカーメン王ではなく

実権を握ってた誰かがしたことだとは思うのですがアメンホテプ4世が亡くなってからの圧はすごかっただろうなぁと想像してしまいますガーンガーンガーンガーンガーン💦

怖すぎる…

 



2)改名

 

トゥト・アクン・アトン

(ツタンカートン)


アトン神の生けるしるし”

 

トゥト・アンク・アメン

ツタンカーメン


アメンによって生けるもの”

 

 

アトン(アモン)神」から「アメン(アテン)神」に宗教を変えたことに伴い

名前も変わります。

 

 

よく知られている「ツタンカーメン」と言う名前は宗教にちなんだものだったんですね。

 

ツタンカーメン以外の名前があったなんて…

知らなかった笑い泣き 笑

 

 


3)遷都

父、アメンホテプ4世が遷都したアマルナ

から

メンフィスに遷都します。

 




山川出版社 詳説世界史図録より




その後、王は18歳で亡くなくなり、

王家の谷に埋葬されます。

 

 


次に「ツタンカーメン王の墓」の前に

ツタンカーメン王の墓がある「王家の谷」についてご説明します。

 

 

 

《王家の谷》

 

王家の谷と言うのは、テーベ(現在のルクソール)のナイル川西岸にある

岩山の谷にある岩窟墓群のことです。

 




山川出版社 詳説世界史図録より


 

ここには新王国時代の王たちの墓が集中しており

64の墓が発見されています。

(王の墓はその内24墓)

 

 

新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから

トトメス1世(第18王朝 3代目の王)によって自分の墓を隠す目的で

この谷に初めて岩窟墓が建設されます。

(紀元前1250年ころ)

 

 

しかし、長い歴史の中で

王家の谷にある墓の多くは盗掘されてしまいます。

 

 

その中でツタンカーメン王の墓だけは

唯一未盗掘の状態で発見されるのです。

 


この中で特に有名なのが

「ツタンカーメン王の黄金のマスク」ですねチューチューチューチューチュー


美術出版社 カラー版 西洋美術史より

アップにすると…ちょっと怖い滝汗




と、言ってもさすがは王の墓

この発掘に至るまでに多くの年月と、たくさんの人々が関わっています。

 


明日は、この「ツタンカーメン王の墓」の

発掘とその過程についてお話しますねウインク

 

 

 

王家の谷

首都カイロから南で670キロ

ルクソール(テーベ)にある岩窟墓群

 

歴代の王の墓が盗掘されていたことを懸念した

トトメス1世により紀元前1250年ころから建設される。

 

この中で、ツタンカーメン王の墓は多くの副葬品とともに

未盗掘の状態で発見される。

 

黄金のマスクもここで発見される。

 

 

2014年にミイラ約50体が埋葬された共同墓地が

新たに発見されるなど、現在も調査が行われている。