開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -35ページ目

ある日の出来事

ある日のこと。

おおかた仕事も済ませて時間が空いたので、前から気になっていた自転車用品を見に行こうかと思ったのですが、出かける前には易を立てるのが私の習わし。

ということで、これから出かけて良いかどうか、易に聞いてみたところ、出た卦は

風火家人 六二

ということで、何があるのか分からないけれど、今は出かけるのは止めておこうと、そのまま自宅にいました。

すると、10分くらいすると、宅配便。

もしかして、これのことかな? 荷物が来るから出かけるな、と言われたのかも。

ということで、荷物を受け取ってからもう一度易を立ててみました。

すると今度は

水地比 六二

とのこと。

この卦爻はとても面白く、易64卦384爻の中で唯一、自分に選択権があります。

つまり、自分の好きなようにして良いよ、と易に言われたわけです。


となれば、これはもう出かけるしかないでしょう。

こんな卑近なことでも易を立ててみることで、易は自分の身近にあっていつも寄り添ってくれるようになります。


今月から新しいクラスもスタートしました。このクラスの生徒さん達にも、易を身近に使ってもらえるようになってほしいものです。

不思議な経験

私のように世間一般的な常識からみれば怪しいことを生業にしているせいなのか、鑑定の際には勘が働くこともよくあります。

易なり干支なりが暗示するものの中から、目の前のクライアントさんの問題に添った答えを見つけ出すには、多少、勘が働くこともあります。

また、算命学でいう「異常干支」を宿命に持っているせいか、よく「あなた、見えるでしょ」などと言われることがあるのですが、はっきりと目に見えた記憶はありません。

が、神社好きのせいか、いわゆる不思議な体験は幾つかしました。

たとえば、子供の頃、我が家には風呂が無くて、毎日銭湯に通っていたのですが、自宅から銭湯までの道の途中に、とても恐い場所があって、いつもそこの前だけは走って駆け抜けていました。

いつも銭湯に行くのは夜、暗くなってからだったので、あるとき、昼間の明るい時なら恐くないだろうと思って、その恐い場所を見に行ってみたら、そこには稲荷神社の社がありました。

とはいえ、道に面しているのではなく、あるお宅が屋敷神として祀っているものだったので、塀に遮られていました。

しかし、子供の私にはとても恐く感じられました。

また、これは成人してからのことですが、師匠(易の師匠ではありません)に連れられて、ある近畿地方の神社を参拝したいた時のこと、拝殿の前で手を合わせた途端、身体中がしびれたような、気が激しく振動したような状態になったことがありました。

後にも先にもこのような体験は、この神社だけです。

しかし、地元のお氷川様や大好きな幾つかの神社に足を運ぶ際はまるでアイドルオタクが大好きなアイドルに会いにいくような気分です(違うかな?)。


そして、比較的最近のことです。

私達夫婦の仲人をしてくださった方が、定年後、自宅をレストランに改装して自らレストランを始められたのですが、けっこう大きめのギャラリーも併設されていました。

そこで、ある若いギタリスト二人の演奏会がありました。

特に有名なわけでもなく、半分趣味でギターを弾いているような二人だったのですが、これが予想以上で、目を見張ってしまいました。

数曲演奏した後の休憩の際、ふと二人の後ろに何かが降りてきた、ような気がしたのです。

目では見えていないのですが、大きなマスクのようなもので顔を覆っており、肩から裾まである大きなマントのようなものを羽織っている、ように感じました。

え、何これ? と思った瞬間、頭に「チベット」という言葉が響きました。

チベット? なんでここにチベットの神様(?)がいらっしゃるんだろう?

と思った瞬間、次の曲が始まりました。

と、そこでギタリストの一人が、「これから演奏するのは、チベットのマントラに曲をつけたものです」と言うのです。

ああなるほど、って納得してんじゃないよ、自分!

チベットの宗教についてはな~んにも知識が無いので、その降りてこられた方(って言っていいのか?)が誰なのかも全く分かりません。


まあ、世の中にはまだまだサイエンスだけでは解明できないことも多いのですね。

柳田国男の『遠野物語』を読むと、江戸末期~明治頃にあった話だけでもけっこうな怪異話が採録されていて、時代は変わっても、実は人はこの手の怪しい存在のすぐ側で暮らしているのではないかと思います。

そういえば、泉鏡花は『遠野物語』がいたくお気に入りだったようで「再読三読、なお飽くことを知らず」と書いていたようで、お化け好きの鏡花らしいですね。

親の情

一般的に、親は子供が可愛いものですし、出来ることなら良い暮らしが将来出来るようになって欲しいと思うことでしょう。

 

が、子供によってはそれが却って自分の運気を妨げてしまうこともあります。

 

先日、ご相談に見えられた方の心配の種は次男さん。

 

一度は医系の大学に入学して医者を目指したもののドロップアウト。

 

大学を中退した後、また医系の学校を目指して予備校に通うも成績は今ひとつ。

 

もう25歳になったし、これから先どうしたら良いでしょう?

 

というご相談。

 

あらかじめ、ご家族の生年月日は知らされていたので算命の命式はプリントアウトしておきました。

 

で、このお父さんと次男さんの命式を並べて見てみると・・・

 

お父さん        次男

癸 己 戊       戊 癸 庚

巳 未 戌       寅 未 午


あ~、このお父さん、この次男さんのことが気になって気になって仕方ないんだろうな~

 

と予想。二人の年月日の干支がけっこう絡まりが多いのに加えて、ある要素が大きく関わっていました。

 

これは私の算命学の生徒さんならすぐにご理解いただけると思いますので、後でご自分で命式を出して考察してみて下さい。

 

すぐに納得していただけます。

 

閑話休題

 

この親子、並々ならぬ絡みがありながら、次男さんにとっては親の援助はかえって悪影響を与えてしまいかねません。

 

これは次男さんの命式で日干は戊。そして十二支には夏の、つまり火の十二支だらけ。

 

これじゃあ、いつ爆発してもおかしくない火山のようなもの。

 

幸い、月干に癸、年干に庚があるので、多少は爆発を抑えていますが、癸は戊に干合されていることもあり、蒸発しているようなもの。

 

そして、五行の関係から見れば、この次男さんにとっては親は火。

 

つまり親が援助すればするほど爆発に近づきます。

 

幸か不幸か、この次男さんは天将星(四柱推命では帝旺)をお持ちなので、援助が無いほど自分の実力を発揮します。

 

というか、いつまでも親元でくすぶっていると星が輝きません。

 

そこで、「お父さんがこの次男さんのことが気になって仕方ないのはよ~く分かります。でもね・・・この子、親の援助が無い方が自分の力を発揮しますよ。」

 

「お前が家に居て良いのは寝に帰ってくる時だけ。自分の予備校のお金、食い扶持は自分でアルバイトでもして稼いで来い。」くらいのことは言っても良いんじゃないですか?

 

というお話をさせていただきました。

 

するとお母さんが(ご両親でご相談にいらっしゃいました)、「そうなんですよ! 私も本当にそう思うんです。でも、この人(ご主人)が××(次男の名前)がかわいそうで、と言うんです。私はもっと突き放した方が良いと思うんですが・・・」

 

じゃあ、ということで、この次男さんを突き放してどうか? ということを易に聞いてきました。

 

すると、天雷旡妄六二。

 

あら~、これはまたなんとも妙なるかな。

 

天雷旡妄の六二とは、「耕していない畑が豊作になる。開墾していないのに土地が肥える」という意味の言葉が書いてあります。

 

よく生徒さん達には、この天雷旡妄の六二を『待ちぼうけ』のいう童謡を引き合いに出して説明します。

 

自分は何もしていないのに、思いがけない収穫がある、という意味です。

 

そこでお父さんにこの易の説明をしたところ、「う~ん・・・」と唸ったまま。

 

私としてはこれで決まりだろう、と思いました。これで納得してもらえるだろうと。

 

 

が、この後、このお父さんから出てきた言葉は、「××(次男の名前)がいじらしい」

 

これぞ親の情というものでしょうか。

 

私はついつい理詰めで説明してしまいがちですが、理屈では分かっていてもどうしても思い切れないこともあります。

 

そこで、とどめの一撃。これは私の師匠がよく言っていたことです。

 

「これは私の師匠が良く言われていたことですが、『おれぁ、絶世の美女が一糸まとわずに俺に言い寄ってきても、易にダメと言われたら、指一本出さねぇぜ』だそうです。」

 

「で、さらに『おれぁな、易がダメと言ったことに手を出して地獄を見た客を大勢見てきたからな。だから易の恐さが骨身に沁みているんだ』とのことです。」

 

ここまで聞くと、さすがのこのお父さんもがっくりと頭を垂れて、「分かりました。そこまで言われたら私も覚悟を決めました。××(次男)のためですから。」

 

ということで、次男さんの話は終わり、今度はこのお父さんの仕事のこと、投資(FXがやりたいそうです)に話が移りました。

 

それについては割愛させていただきますが、親の情について改めて思い知らされたお客さんでした。