開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -35ページ目

バツ2の女性からのご相談

先日ご相談に来られた四十代半ばの女性はバツ2だそうです。

そして今、ある男性からプロポーズをされているのですが、どうしたものでしょう、というのが相談内容でした。

この記事は彼女の許可を得て書かせていただきています。

最初の結婚は二十代半ば。結婚した翌年にはお嬢さんを授かったそうです。

が、元々体があまり丈夫ではなかったせいか、産後しばらく、寝たり起きたりになってしまったとのこと。

それでも頑張って赤ちゃんの世話をしていたある日、仕事で出ていった元旦那から一本の電話。

「うちの親が、そんな寝たり起きたりしているような嫁じゃしょうがないから、早く他の人見つけなさい、って言うから、じゃあね。バイバイ」

で、離婚。この前後のことは詳しく聞きませんでしたが、「極貧シングルマザー状態でした」とのこと。

しかし彼女は奮起してとある国家資格を取得して開業。「なんとか子供を育てられるようになりました」そうです。


そして月日は流れ、最初の離婚から十年近く経ってから二人目の男性からプロポーズされ、とても優しい男性に思えたので結婚。

しかし、だんだんとこの男は本性を現してきました。数百万単位の借金をしていた上にDVの嵐。

傷つけられる母親を見て娘さんは引きこもりになってしまい、結局七年間、学校に通うことが出来なかったそうです。

最初の結婚の時は自分も若かったから、きっと自分もわがままだったんだろうと思い、しばらく我慢していたそうですが、数年後、とうとう我慢の限界に達して離婚を決意。

最後は間に人を入れてなんとか離婚したそうです。


そして三人目の男性が現れたわけですが、実はその前に妻子持ちの男が声をかけてきたそうです。

「妻とはうまくいっていないんだ。じきに妻とは離婚するから」と言ってきたそうですが、いつまでたっても離婚しない、という鉄板のパターン。

そこで一年足らずでこの男の連絡は無視するようになったそうです。

この三人の生年月日の干支も、彼女の生年月日の干支も、四柱推命や算命学を知ってらっしゃる方には非常に興味深いとは思いますが、これを書いて解説するとなると、かなりの量になってしまうので、今回は周易の部分だけを書かせていただきます。


閑話休題
で、新たにプロポーズしてきた男性とはうまくやっていけるのか、というのが、彼女のご相談だったわけです。

一応、彼女と、彼女に関わった男性三人の干支を説明はしましたが、最後の抑えとして易を立てました。

占的は「新しい結婚で穏やかに暮らせるか」ということ。

これは分占せずに一つだけ、易を立てました。

得卦は

水風井 六四

水風井は井戸であり生活の卦です。結婚生活を占って生活の卦が出たということは、卦が占的にピッタリ。なので、こちらも自信を持って話すことが出来ました。

水風井は井戸であり、井戸は生活に欠かせないものですが、初爻、二爻では井戸としての役割を果たせません。枯れた井戸であり、桶の底が抜けていて水が汲めない井戸だからです。

三爻はきれいな水は出ているのですが、その存在に気づいてもらえず、やはり井戸として機能しません。

が、今回は四爻。四爻からは井戸としての役割を果たせます。きれいな水が湧いており、コミュニティの人々もこの水を利用します。

「(水風井の説明をして)これまでの二度の結婚は初~三爻だったわけですね。で、今回は四爻が出たのだから大丈夫。やっと普通の結婚生活が送れるようになりますよ」と説明すると、彼女も安心したのか、それまでちょっと堅かった表情が和らぎました。


干支学を知ってらっしゃる方なら、彼女の命式を見ればきっとこの話も納得してもらえることでしょう。

いつか時間のある時にでも、彼女や三人の男達の命式を書いて解説したいと思います。



ある日の出来事

ある日のこと。

おおかた仕事も済ませて時間が空いたので、前から気になっていた自転車用品を見に行こうかと思ったのですが、出かける前には易を立てるのが私の習わし。

ということで、これから出かけて良いかどうか、易に聞いてみたところ、出た卦は

風火家人 六二

ということで、何があるのか分からないけれど、今は出かけるのは止めておこうと、そのまま自宅にいました。

すると、10分くらいすると、宅配便。

もしかして、これのことかな? 荷物が来るから出かけるな、と言われたのかも。

ということで、荷物を受け取ってからもう一度易を立ててみました。

すると今度は

水地比 六二

とのこと。

この卦爻はとても面白く、易64卦384爻の中で唯一、自分に選択権があります。

つまり、自分の好きなようにして良いよ、と易に言われたわけです。


となれば、これはもう出かけるしかないでしょう。

こんな卑近なことでも易を立ててみることで、易は自分の身近にあっていつも寄り添ってくれるようになります。


今月から新しいクラスもスタートしました。このクラスの生徒さん達にも、易を身近に使ってもらえるようになってほしいものです。

不思議な経験

私のように世間一般的な常識からみれば怪しいことを生業にしているせいなのか、鑑定の際には勘が働くこともよくあります。

易なり干支なりが暗示するものの中から、目の前のクライアントさんの問題に添った答えを見つけ出すには、多少、勘が働くこともあります。

また、算命学でいう「異常干支」を宿命に持っているせいか、よく「あなた、見えるでしょ」などと言われることがあるのですが、はっきりと目に見えた記憶はありません。

が、神社好きのせいか、いわゆる不思議な体験は幾つかしました。

たとえば、子供の頃、我が家には風呂が無くて、毎日銭湯に通っていたのですが、自宅から銭湯までの道の途中に、とても恐い場所があって、いつもそこの前だけは走って駆け抜けていました。

いつも銭湯に行くのは夜、暗くなってからだったので、あるとき、昼間の明るい時なら恐くないだろうと思って、その恐い場所を見に行ってみたら、そこには稲荷神社の社がありました。

とはいえ、道に面しているのではなく、あるお宅が屋敷神として祀っているものだったので、塀に遮られていました。

しかし、子供の私にはとても恐く感じられました。

また、これは成人してからのことですが、師匠(易の師匠ではありません)に連れられて、ある近畿地方の神社を参拝したいた時のこと、拝殿の前で手を合わせた途端、身体中がしびれたような、気が激しく振動したような状態になったことがありました。

後にも先にもこのような体験は、この神社だけです。

しかし、地元のお氷川様や大好きな幾つかの神社に足を運ぶ際はまるでアイドルオタクが大好きなアイドルに会いにいくような気分です(違うかな?)。


そして、比較的最近のことです。

私達夫婦の仲人をしてくださった方が、定年後、自宅をレストランに改装して自らレストランを始められたのですが、けっこう大きめのギャラリーも併設されていました。

そこで、ある若いギタリスト二人の演奏会がありました。

特に有名なわけでもなく、半分趣味でギターを弾いているような二人だったのですが、これが予想以上で、目を見張ってしまいました。

数曲演奏した後の休憩の際、ふと二人の後ろに何かが降りてきた、ような気がしたのです。

目では見えていないのですが、大きなマスクのようなもので顔を覆っており、肩から裾まである大きなマントのようなものを羽織っている、ように感じました。

え、何これ? と思った瞬間、頭に「チベット」という言葉が響きました。

チベット? なんでここにチベットの神様(?)がいらっしゃるんだろう?

と思った瞬間、次の曲が始まりました。

と、そこでギタリストの一人が、「これから演奏するのは、チベットのマントラに曲をつけたものです」と言うのです。

ああなるほど、って納得してんじゃないよ、自分!

チベットの宗教についてはな~んにも知識が無いので、その降りてこられた方(って言っていいのか?)が誰なのかも全く分かりません。


まあ、世の中にはまだまだサイエンスだけでは解明できないことも多いのですね。

柳田国男の『遠野物語』を読むと、江戸末期~明治頃にあった話だけでもけっこうな怪異話が採録されていて、時代は変わっても、実は人はこの手の怪しい存在のすぐ側で暮らしているのではないかと思います。

そういえば、泉鏡花は『遠野物語』がいたくお気に入りだったようで「再読三読、なお飽くことを知らず」と書いていたようで、お化け好きの鏡花らしいですね。