開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -24ページ目

思いの残った家

先日、とある初老のご夫婦の鑑定依頼をいただきました。

 

ご家族のことや経営されている賃貸アパートのことなど、あらかじめご相談内容はお聞きしていたので、それらのことを一通りお話してから、他にお聞きなりたいことはありますか、とお尋ねしました。

 

すると、もう築40年くらいになる自宅を新しく立て直したいのだが・・・

 

というお話。

 

お子さん達も結婚したり就職したりで家を出ていったし、夫婦二人には今の家は大きすぎるし、何しろ築年数も経っているから、今の家は取り壊して新しく耐震の家を建てたいとのこと。

 

そこで易を立ててみました。

 

すると、まず新しく家を建てることについては

 

澤水困 六三

 

方針が、

 

火山旅 初六

 

と、易は良い返事をしてくれません。

 

そこで時期も考えて、来年が良い、再来年が良い、3年後が良いと易を出してみましたが、どれも良い返事をしてくれない。

 

 

少々困ってしまい、今のまま住む、新築する、リフォームする、という3つの占的で易を立てたところ、新築するという占的に対して、

 

地澤臨 六三

 

という、とても激しい易が出ました。

 

地澤臨六三には

「甘んじて臨む。利することなし。既にこれを憂れば咎なし」

という言葉がついています。

 

つまり、お前は考え方が甘いから、何も良いことが無い。中止すれば悪いことは無いだろう、という意味。

 

師匠からは、「これで失敗したら監獄行きだ」と説明されたのをはっきりと覚えています。

 

なぜこれだけ激しい易で新築を反対するのだろうと思い、ふと頭に浮かんだ疑問をクライアントさんに聞いてみました。

 

「このご自宅はご主人が建てられたのですか?」

 

すると、「いえ、私の親父が建てたものです」とのお答え。

 

そこで私は、

「これはあくまでも私の推測でしかありませんが、このお家はご主人のお父様の強い思いが残っているように思われます。だからこそ、これだけ強い易で新しく建て替えることを反対するのでしょう」と話しました。

 

この話を聞いたクライアントさんは、

「そうかもしれません。家が大変な時に、大変な思いをして親父が建てた家なんですよ。いや、分かりました。では、耐震とか少しリフォームするだけにしておきます」とおっしゃってくれました。

 

 

こういったことは目に見えないことではあるし、このご自宅に対するご主人のお父様のお気持ちがどのようなものだったかなどは確かめようがありません。

 

しかし、目に見えないこともさりげなく教示してくれることも、これまで度々経験しています。

 

いつか、そんなお話の記事を書くこともあるかもしれません。

易が示す暗示

これは半年前くらいにあった話で、具体的な名称等は一切出さないということで掲載許可をいただきました。

 

以前の鑑定で、お嬢さんの結婚を見てほしい、という依頼をいただいたことがあります。

 

そのお嬢さんは、学生時代からお付き合いされている男性がいて、そのままゴールインされるそうです。

 

で、ご両親が娘の結婚についての鑑定を依頼に来られたわけです。

 

その時に出た易は

 

震為雷 初九

 

え? とは思ったのですが、これは出た通りのことをお話しておかなければと重い、この易の話をさせていただきました。

 

震為雷とはいわば地震であり、初九(つまり1番目のポジション)は本震を表します。

 

大きな地震が来て、みんながワ〜っと大騒ぎをします。でも、地震はそんなに長い時間揺れているわけではなく、すぐに収まってしまいます。

 

そこで大騒ぎしていたみんなも、な〜んだ、たいしたことなかったな〜、なんぞと話して大笑いする。

 

そんな意味のことが書かれています。

 

そして震為雷には「声あって形無し」という意味が強くあります。

 

結婚を占って「声あって形無し」ということはどういうことでしょう。

 

 

私はご依頼をいただいたご両親にこういうお話をしました。

 

「お嬢さんとお相手の方は結婚すると話しているかもしれませんが、この結婚話は、最後には消えてしまうのではないでしょうか。」

 

ご両親は

「そうですかね〜・・・本人達は結婚する気でいるようですが」

とおっしゃいました。

 

それから半年くらいした後で、このお嬢さんの結婚が正式に決まり、結婚式も挙げたというご報告をいただきました。

 

私はこの震為雷初九を思い出しながら、ふ〜ん、易も外すことがあるのかな〜・・・と、なんとなく腑に落ちない気分でしたが、事実は事実。

 

その時は私の立てた易が外れたと思わざるを得ませんでした。

 

 

が、それから三ヶ月くらい後、このお話のご両親を紹介して下さった以前からのクライアントさんから驚くようなお話を聞きました。

 

「実は××ちゃん(結婚したお嬢さん)、旦那さんと別居して離婚調停をしているそうです」

 

う〜ん、と唸ってしまいました。

 

易が言っていたのはこのことか!

 

震為雷=声あって形無し

 

まさにその通りの結果となってしまったわけです。

 

 

易の示す暗示に驚くことは数多くありますが、今更ながら背筋が震えるような思いをしました。

 

水天需の日

先日の日筮(にちぜい・その日の運勢を示す易)は「水天需九二」でした。

 

水天需の大きな意味は「待つ」ということ。

 

はて、何を待つのだろう?

 

と思っていたのです。宅配で届くような荷物は頼んでいないし、来客の約束も無いし・・・

 

と、易を立てた時は考えたのですが、いざ当日にはそんなことは全く忘れていました。

 

が、お彼岸中だったので、浅草の観音様にお参りに行こうかなと、ふと思い立って、カミさんを誘いました。

 

「久々に浅草行かない?」

 

すると行くというので二人で出かけました。

 

以前、子供達が小さい頃は観音様にお参りがてら、花やしきに良く行ったものでしたが、子供達も成人して親が誘っても乗らなくなってしまい、家族で浅草に出かけることもすっかりご無沙汰していました。

 

観音様はもちろんですが、他にも個人的には外せないお社を幾つか参拝した後、昼食をどこかで食べようか、ということになりました。

 

 

と、この時思い出したのが、その日の日筮「水天需九二」。

 

あ、そうか! 

 

水天需には待つという意味の他に、食べ物という意味があったのを思い出しました。

 

そういえば師匠の水天需の占例に「血のしたたるようなステーキを食べた」というのがありました。

 

この場合は私の日筮とは違い、水天需の六四だったはずですが。

 

水天需六四の爻辞は「血に待つ」

 

そこで「血のしたたるようなステーキ」と連想されたのでしょう。

 

私の場合は九二で「泥に待つ」だったせいか、ステーキではなく天ぷらにしましたが。

 

これまた、子供達を連れてよく行っていた、大人の拳ほどもある大きなかき揚げが有名な天ぷら屋さんに入りました。

 

私の場合、毎日日筮を立てるのではなく、一週間分まとめて立てるのですが、一日を振り返りながらその日の日筮を考えてみるのも、易の楽しみの一つ。

 

この日のように納得できる場合もあれば、何を言っているんだかさっぱり分からないこともありますが、それはそれで楽しいもの。

 

易のと付き合いは、まだまだ続きそうです。