水天需の日 | 開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ

水天需の日

先日の日筮(にちぜい・その日の運勢を示す易)は「水天需九二」でした。

 

水天需の大きな意味は「待つ」ということ。

 

はて、何を待つのだろう?

 

と思っていたのです。宅配で届くような荷物は頼んでいないし、来客の約束も無いし・・・

 

と、易を立てた時は考えたのですが、いざ当日にはそんなことは全く忘れていました。

 

が、お彼岸中だったので、浅草の観音様にお参りに行こうかなと、ふと思い立って、カミさんを誘いました。

 

「久々に浅草行かない?」

 

すると行くというので二人で出かけました。

 

以前、子供達が小さい頃は観音様にお参りがてら、花やしきに良く行ったものでしたが、子供達も成人して親が誘っても乗らなくなってしまい、家族で浅草に出かけることもすっかりご無沙汰していました。

 

観音様はもちろんですが、他にも個人的には外せないお社を幾つか参拝した後、昼食をどこかで食べようか、ということになりました。

 

 

と、この時思い出したのが、その日の日筮「水天需九二」。

 

あ、そうか! 

 

水天需には待つという意味の他に、食べ物という意味があったのを思い出しました。

 

そういえば師匠の水天需の占例に「血のしたたるようなステーキを食べた」というのがありました。

 

この場合は私の日筮とは違い、水天需の六四だったはずですが。

 

水天需六四の爻辞は「血に待つ」

 

そこで「血のしたたるようなステーキ」と連想されたのでしょう。

 

私の場合は九二で「泥に待つ」だったせいか、ステーキではなく天ぷらにしましたが。

 

これまた、子供達を連れてよく行っていた、大人の拳ほどもある大きなかき揚げが有名な天ぷら屋さんに入りました。

 

私の場合、毎日日筮を立てるのではなく、一週間分まとめて立てるのですが、一日を振り返りながらその日の日筮を考えてみるのも、易の楽しみの一つ。

 

この日のように納得できる場合もあれば、何を言っているんだかさっぱり分からないこともありますが、それはそれで楽しいもの。

 

易のと付き合いは、まだまだ続きそうです。