開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -13ページ目

易の神様

「易の神様」あるいは「易神」と言う言葉が使われることがあります。

 

我々のような仕事をしている場合、様々な解釈を中から一つの答えを導かなければいけないのですが、その時に、ふと閃く、ピンと来て答えを出すと、クライアントさんに驚かれることがありますが、これは多くの易者さんが経験されていることと思います。

 

これは周易、タロット、断易や六壬などの卜占だけでなく、四柱推命や算命、あるいは紫微斗数などの命占においてもあるのでは無いかと思います。

 

命占の場合、ほぼほぼ80~90%は論理的な思考によって答えを導き出すとしても、残りの10~20%の部分は、やはり閃きのようなものが必要になることがあります。

 

 

では、その閃きはどこから来るのか、と言えば、これはもう「易の神様」からの啓示としか言えないのでは無いかと思うのです。

 

 

 

この漠然とした「易の神様」をはっきりと示してくれたのは、金井南龍先生でした。

 

 

南龍先生はこの易の神様を「御蠱の蠱神(みまじのこがみ)」とおっしゃっていました。

 

人間生活のすぐ側にいつもいらして、人の運やツキを司ってらっしゃる神様だそうです。

 

 

ただ、この神様、人からのお願いが通用しないようで、運やツキはあなた(蠱神)任せになってしまうのだそうです。

 

「対面交通ができてウンやツキを自由にすることができたら、えらいコッチャになってしまう」ようです。

 

 

また、その人間の人徳、財の多寡、所業などには関係しないようです。

 

その証拠に、どんなに悪どいことをして金儲けをしても塀の中に落ちない人がいるのは、世間で広く知られていることでしょう。

 

 

でも、いや、となればなおさらのこと、どこかにこの蠱神様が祀られているのであれば、一目散に馳せ参じて参拝せねばならないと思うのですが、あいにく、この蠱神様を祀っている神社は無いようです。

 

特に日本においては、天皇家のために尽力されてくださった御神霊以外はひた隠しに隠されてしまっているようで、そういった意味でも古神道の復活が望まれるのですが、現在、この蠱神様を祀られている神社は無いようです。

 

 

が、比較的人口に膾炙している、とある大きな神社の神様は、蠱神様では無いけれど、易の神様でもあり、私は毎年のように参拝させていただいています。

 

 

この御神霊とは私は縁が深いようで、参拝するために境内に足を踏み入れた途端に、えも言われぬ幸福感に満たされます。

 

 

とは言え、だからといって運やツキに恵まれて仕事や財運が良くなるわけではありませんので、誤解されませんように。

 

恩頼(みたまのふゆ)はあなた(御神霊)任せで、こちらが望んだからとて、すぐにいただけるものでは無いようです。

易者の矜持

なんか、物々しいタイトルではありますが、この仕事を始めてからずっと感じていることがあるのです。

 

私の易者としての矜持(というほど崇高な気持ちな訳でも無いんですが)は、良いことも悪いことも正直にクライアントさんには話す、ということです。

 

 

実はこんな経験があります。

 

数年前、私は原宿のとある占い館に出ていました。

 

それまでは、講師として教える立場が長く、鑑定はごく身近な知人またはその紹介、程度にしかやっていませんでした。

 

 

が、私が講師をしていた会社で新しく鑑定所を開設するので、そこに出ませんか、というオファーをいただき、週に一日程度なら、ということで原宿の鑑定所に出ることになりました。

 

 

ある日、その鑑定所に若い女性二人連れのお客さんがいらっしゃいました。

 

今思えば、彼女たちはショッピングのついでに軽い気持ちで占いをやって、ちょっと盛り上がれば良い、くらいの気持ちでお立ち寄りになったのだと思います。

 

が、その時は私は思いっきり肩に力が入っていて、どんな些細なことでも真剣に鑑定して真剣にお話ししなければいけない、それがそのお客さんに対する礼儀である、な~んて思っていたんです。

 

それで彼女たちの一人を見たところ、ちょっと心配なことが見受けられましたので、それも正直に話しました。

 

すると、それまで二人で笑いながら話していたのが、急に暗い顔になって不機嫌な様子で、もういいです、と料金だけ払って出て行かれました。

 

え? なんで? 心配な事があったから話したのに、それでなんで機嫌悪くなるんだ?

 

とその時は思いましたが、今になって思い出してみると、彼女たちにしてみれば、軽い気持ちで占ってもらって話しのネタ程度になれば良いと思っていたのでしょう。

 

それが、思いがけずネガティブな話をされて気分を害されたのだと思いますが、その頃の私には、そんな心の余裕はありませんでした。

 

 

それからしばらくして、その占い館は撤退したので、私もそれからは鑑定所には出ずに、人の紹介だけで鑑定するようになりました。

 

 

今は電話占いにも時々出演していますが、紹介されて来られた方、あるいはわざわざ電話鑑定を依頼される方には、お遊び感覚で気軽に占いやってもらおう、という方はほとんどいらっしゃらいません。少なくとも、私はそういうお気軽な鑑定依頼は受けていません。

 

 

人それぞれの考え方もあるし、鑑定を依頼されるクライアントさんも様々な方がいらっしゃるので、そこは臨機応変に対応すれば良いと思うのですが、私の場合はクライアントさんには良いこと、悪いこと、全て正直に話すべきだと思っていますので、今のようなスタイルが合っているのでしょう。

 

その場限り、その時限りでクライアントさんにとって心地よいお話をして、気持ちよくお帰りいただくのも一つのスタイルだとは思うのですが、私にはそういうスタイルは向いてないようです。

 

算命や四柱推命で使う星を見ても、不器用な星が強いですから、こればかりはどうしようもないようです。

 

子は鎹

相性とはなんであろうか、と、ふと思うことがありますが。我々のような仕事をしている方なら、お客さんからの質問として聞かれることは多いでしょう。

 

「彼との相性はどうでしょう?」

「私とあの人とは相性良いでしょ?」

 

などなど。

 

一般的には「相性」というのは、二人の(あるいは複数かもですが)の人間が交際する際に、気が合うという状態を指すのであろうと思います。

 

お互いに気があう、とか、痒い所に手が届く、などと感じられるようであれば、相性が良いという関係になるのでしょう。

 

卜占で、この「相性」を占う場合は、まあこんな場合を意味すると思うのですが、算命において相性を見る場合は少々、趣きが違います。

 

算命における相性とは、一般的な言葉で言えば「縁がある」という状態を指すように思われます。

若輩者が何を言うか、と言うお叱りは謹んで承りますが、これまで私が学んできた算命の技術、およびこれを使ってお客さんに質問を受けたことを振り返ってみますと、一般的に相性が良いと言われる状態だけでなく、相性が悪い、と言う状態も算命では一つの相性と見ることがあります。

 

同じく干支を使う技術に四柱推命がありますが、四柱推命で見る相性と、算命で見る相性では見る観点が違います。

算命の場合は、まずはお互いの干支、生年月日を干支に変換して出てくる3つの干支をお互いに比べてみて、その間にどういった関係性があるのか、をまず見ます。

 

特に夫婦になるとか、親子といった、深い関係の間柄の場合は、大抵はこの二人の間には絡み合うような関係性が見受けられますが、ごくたまに、この関係性が全く見られない場合があります。

 

しかし、夫婦の場合は、二人が出会った時点での後天運も考慮に入れることがあります。

 

宿命の干支だけで見た場合は全く絡み合いが無い(つまり縁がない間柄)のに、夫婦になっていると言うケースも時々見られます。

 

この場合は二人が出会った時点での干支、つまり大運と言われる、特定の10年間だけ巡る干支や年運と言う1年間だけ巡る干支を加えてみた場合、ここに縁が生じることがあります。

 

 

私の古くからの友人夫婦が、まさにこの関係でした。

 

宿命では二人の間に何の絡みも無いのに、なんで結婚したの? と最初は思っていました。

 

私が知り合った頃は夫婦二人だけで子供もいませんでしたが、何故この二人が結婚したのか、私には理解できませんでした。

 

が、ふと、後天運をみたところ、二人が知り合った時点の二人の大運を加算してみると、ここに干支の絡みが出てきたんですね~

 

なるほど! これか! とっても大きな発見をしたような気持ちになりましたが、ふと冷静になって考えてみると、もうすぐこの絡みが生じる大運が終わっちゃうことに気づきました。大運というのは、一定の10年間だけ作用するので。

 

 

となると・・・

 

う~ん・・・

 

 

算命を探求する身としては、これからこの二人がどうなるのか興味津々だけど、友人としては夫婦どちらとも仲の良い友人なので、最悪の事態は避けて欲しいし・・・

 

な~んて私の密かな悩みは、それから一年もせずに解消してしまいました。

 

 

 

二人の間に子供が授かったのです。

 

で、この子の生年月日の干支を見てみたら、お父さんともお母さんとも絡みのある干支を持っていた子供だったのです。

 

 

つまり古からの諺「子は鎹(かすがい)」とは、まさにこの二人の為にあるようなもの。

 

 

本来は絡みの無い、つまり一般的には「縁のない」二人だったのが、間に子供が入ることによって繋ぎ止められた、と言うことでした。

 

 

 

ちなみに、夫婦と恋人の違いって、何かご存知でしょうか?

 

算命ではこの二つを全く違うものとして区別して考えます。

 

時間に余裕があれば、近々算命講座を開こうと思っておりますので、よろしければご参加ください。