開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -13ページ目

子は鎹

相性とはなんであろうか、と、ふと思うことがありますが。我々のような仕事をしている方なら、お客さんからの質問として聞かれることは多いでしょう。

 

「彼との相性はどうでしょう?」

「私とあの人とは相性良いでしょ?」

 

などなど。

 

一般的には「相性」というのは、二人の(あるいは複数かもですが)の人間が交際する際に、気が合うという状態を指すのであろうと思います。

 

お互いに気があう、とか、痒い所に手が届く、などと感じられるようであれば、相性が良いという関係になるのでしょう。

 

卜占で、この「相性」を占う場合は、まあこんな場合を意味すると思うのですが、算命において相性を見る場合は少々、趣きが違います。

 

算命における相性とは、一般的な言葉で言えば「縁がある」という状態を指すように思われます。

若輩者が何を言うか、と言うお叱りは謹んで承りますが、これまで私が学んできた算命の技術、およびこれを使ってお客さんに質問を受けたことを振り返ってみますと、一般的に相性が良いと言われる状態だけでなく、相性が悪い、と言う状態も算命では一つの相性と見ることがあります。

 

同じく干支を使う技術に四柱推命がありますが、四柱推命で見る相性と、算命で見る相性では見る観点が違います。

算命の場合は、まずはお互いの干支、生年月日を干支に変換して出てくる3つの干支をお互いに比べてみて、その間にどういった関係性があるのか、をまず見ます。

 

特に夫婦になるとか、親子といった、深い関係の間柄の場合は、大抵はこの二人の間には絡み合うような関係性が見受けられますが、ごくたまに、この関係性が全く見られない場合があります。

 

しかし、夫婦の場合は、二人が出会った時点での後天運も考慮に入れることがあります。

 

宿命の干支だけで見た場合は全く絡み合いが無い(つまり縁がない間柄)のに、夫婦になっていると言うケースも時々見られます。

 

この場合は二人が出会った時点での干支、つまり大運と言われる、特定の10年間だけ巡る干支や年運と言う1年間だけ巡る干支を加えてみた場合、ここに縁が生じることがあります。

 

 

私の古くからの友人夫婦が、まさにこの関係でした。

 

宿命では二人の間に何の絡みも無いのに、なんで結婚したの? と最初は思っていました。

 

私が知り合った頃は夫婦二人だけで子供もいませんでしたが、何故この二人が結婚したのか、私には理解できませんでした。

 

が、ふと、後天運をみたところ、二人が知り合った時点の二人の大運を加算してみると、ここに干支の絡みが出てきたんですね~

 

なるほど! これか! とっても大きな発見をしたような気持ちになりましたが、ふと冷静になって考えてみると、もうすぐこの絡みが生じる大運が終わっちゃうことに気づきました。大運というのは、一定の10年間だけ作用するので。

 

 

となると・・・

 

う~ん・・・

 

 

算命を探求する身としては、これからこの二人がどうなるのか興味津々だけど、友人としては夫婦どちらとも仲の良い友人なので、最悪の事態は避けて欲しいし・・・

 

な~んて私の密かな悩みは、それから一年もせずに解消してしまいました。

 

 

 

二人の間に子供が授かったのです。

 

で、この子の生年月日の干支を見てみたら、お父さんともお母さんとも絡みのある干支を持っていた子供だったのです。

 

 

つまり古からの諺「子は鎹(かすがい)」とは、まさにこの二人の為にあるようなもの。

 

 

本来は絡みの無い、つまり一般的には「縁のない」二人だったのが、間に子供が入ることによって繋ぎ止められた、と言うことでした。

 

 

 

ちなみに、夫婦と恋人の違いって、何かご存知でしょうか?

 

算命ではこの二つを全く違うものとして区別して考えます。

 

時間に余裕があれば、近々算命講座を開こうと思っておりますので、よろしければご参加ください。

医者は相性

私事ですが、昨年、ふとしたことがきっかけで、数十年ぶりに身体検査を受けました。

MRIと言うのでしょうか。レントゲンを大きくしたような機械に身体中をスキャンされた挙句、「泌尿器科のドクターのところへ行って下さい」と言われました。

 

はぁ? 泌尿器科?

 

加齢のせいか、夜中にトイレに行くことはあるけど、どこにも自覚症状は無いしな~

と思いながらドクターの待つ部屋に行くと、私のスキャン画像を見ながら、「このままでは腎不全になるからすぐに手術しましょう。腎臓の脇に大きな石があります」とのこと。

 

ドクターによれば、この石は今は何も悪さをしていないかもしれないけれど、早く除去してしまわないと腎不全の危険性があります。そうなったら人工透析になってしまいますよ、と言われます。

 

自分の干支を考えれば、確かに私の宿命は水性が多いので、腎系が弱点ではあるのは確かです。

 

 

が、ドクターは、じゃあ手術はいつにしましょうか? などとせっついて来る。

 

でも、私も易者の端くれ。易を立てずに手術するなんてことは出来ません。

 

 

で、ドクターに「ちょっと待って下さい。私は一人で仕事してますし、いきなり手術と言われても、そんなにすぐにスケジュール変えられませんよ」と言うと、

じゃあ2週間後にもう一度来院してもう一度検査しましょう、と言ってくれました。

 

 

そこで帰宅して早速易を立てて見ました。

 

細かい易は省力しますが、「手術しなくて良いように」と言う易に

 

風雷益 初九

 

と言う易を得たので手術はしないことにしました。

 

風雷益という卦(か)は、その名前の通り、利益を意味します。それも初九というポジションの場合、この風雷益の中でも最も強い利益を意味します。

 

「用て大作を為すに利あり」

と易経には書いてあります。

 

つまり、大きなことが出来る。そして大きな利益を手にできる、という意味です。

 

この場合、「手術しなくて良いように」と言う占的なので、手術をしないことが「大作を為すに利あり」なわけです。

 

で、一年経った今でも、健康で過ごしています。ただ、食事が美味しくてすぐに肥ってしまうのが困りものです。

 

 

これは師匠が良く言われていたことで、以前にもブログにも書いたと記憶しているのですが、「医者は相性が良くなければダメだ」と口を酸っぱくして言われました。

 

その実例も多く話してくれました。

 

○○大学病院の有名な先生だから、と内耳の手術をされた老婦人が、治るどころかかえって悪くして耳鳴りがひどくなってしまった話は、今でも記憶に残っています。

 

「易は止めろと言ってたんだ。それを医者と亭主に押し切られて手術したんだ。結局易の言う通りになっちまった。可哀想に」と。

 

 

こんな例をいくつも聞いていると、医者との相性、病院との相性というのは確かにあるのだなと納得します。

 

また、「医者は病気を作りたがるからな、注意しろよ」とも言われました。

 

 

私の例でも、まだ若い身空で乳癌が見つかった女性の相談がありました。

 

そこで、彼女の自宅から通いやすい病院を幾つか探してもらって、それぞれに易を立てたところ、都内のとある病院が一番良かったので、ここを勧めたところ、乳癌専門の腕の良い若い医者と出会えて、無事に手術も終えられました。

 

術後の経過も順調で、すっかり元気になられたので、私も一安心。やはりこちらにも責任がありますからね。

 

 

またある方は、胸に影があるから除去しましょうと言われ、医者の帰り道に私に相談に来られました。

 

そこで易を立てたところ、どうも悪いものでは無さそうだし、手術の必要も無いように思われました。

その旨を話したところ、本人は納得してくれたのですが、家族の猛反対に遭って、結局手術しました。

 

が、その結果は・・・

 

 

その影の部分を除去して検査してみたら悪い作用はしないと思われます。良かったですね。

と一件落着。と思ったのですが、退院してからずっと、手術したところが痛むし、体力も落ちたようだし、手術しなければ良かったです。

 

と言われましたが、こればかりは私に言われてもどうしようもありません。

 

 

 

易の言うことには素直に従っていた方が良さそうです。

 

 

名前はご存知? 高島嘉右衛門の占例

高島嘉右衛門は「呑象(どんしょう)」の雅号もあり、今でも高島の名前があちこちで使われているほどの易の大家で、明治時代の元勲達の密かなブレーンとして、または事業家として活躍された方です。

 

日本では横浜で初めてガス燈が設置されたことは広く知られていますが、この事業を手がけたのも高島嘉右衛門でした。

 

日韓併合した時、朝鮮に行こうとする伊藤博文に対して、大変危険な易が出たから重々用心しなさいと警告をしたとか、日露戦争の際に、バルチック艦隊が北から来るのか南から来るのかを問われ、南、つまり対馬海峡の方からやって来ると易を出して判断したのは有名な話ですが、こういった大局に関係する事だけでなく、庶民の日常生活に関して出した易も占例として残っています。

 

そんな、彼が残した実占例の中に、とても興味深いものを見つけたので、周易の使い方の一つの見本としてこれを紹介させていただきます。

 

 

明治時代のことですが、とある商家の小僧に金を銀行に預けて来るように言いつけたところ、いつまでも帰ってこない。

おかしいと思って主人が銀行に問い合わせてみたら、銀行には来ていないと言う。

そこで嘉右衛門に依頼が来たので、早速易を立ててみたら、

 

雷山小過 九三

 

を得たそうです。

 

周易の知識がある方ならご理解いただけると思いますが、これは危険を暗示していますが、嘉右衛門の解説が見事でした。

 

この易は震=大人が艮=若い男の上に位置しています。

 

 

これを嘉右衛門は

 

下の艮はこの小僧であり、上の震は中年の男。いい年をした男が若い男の上に乗って動く(震の作用)のは男色の形である。

易経の言葉によれば「過ぎずしてこれを防ぐ。従って或はこれを損なう」と書いてあります。

この言葉の解釈を嘉右衛門は、前もって男色を防がなかったのが禍の元だった。

また雷山小過には鳥が飛び立った形があり、出奔したとみられる。飛び立ったが九三は翼ではなく胴体に当たる場所なので遠くへは出かけられない。

 

と言うものでした。

 

 

さらに加えて、

 

この九三(下から3番目のポジション)から三つ目に当たる六五(下から5番目のポジション)には「公よくして彼の穴にあるを取る」と書いてあるから、公(警察)の力によって三日目には行方がわかるはずだ。

 

と判断しています。

 

 

そして、この事件の結果は、嘉右衛門の判断の通りでした。

 

この小僧と犯人とは同郷のよしみで行き来があったが、犯人は中年の性倒錯者で小僧と男色関係にあった。この事件のあった朝、何気なく立ち寄った小僧と男色行為を行なった後で大金をもっているのを知って、にわかに殺意を起こして首を締めた。

しかし、この遺体の始末に困って小僧の遺体を米櫃の中に放り込んでおいた。

その後、隣の女房に留守を頼んで遊びに行ってしまった。そこへ馴染みの米屋がやってきて米櫃を開けてみたところ、この小僧の遺体を発見して警察に届けた。

 

と言うことでした。

 

易の言葉、そして形を柔軟に使って見事な判断をされているのはさすがです。

 

私もこんな目の覚めるような判断がしてみたいものです。