日常の中の易
生徒さんやお客様の中には、周易には崇高な、または深刻な悩みでないと聞いてはいけないように思われている方がけっこういらっしゃいます。
「こんなことを聞いて良いものかどうか・・・」
「つまらないことなんですが、聞いても良いでしょうか・・・」
などと言われるので、どうぞどうぞ、易はどんなに些細なことでも答えを出してくれますから、遠慮なくおっしゃってください、と言うと、皆さん安心したように色々なことをお話してくださいます。
これはお客様や生徒さんだけでなく、私自身にも当てはまることで、日常生活の細々したことでも易は答えを出してくれます。
先日、こんなことがありました。
梅雨明けになったと思ったら、連日の猛暑続きで、部屋でゆっくり本を読もうにもあまりにも暑くて、もう我慢ならんと近所の某大手コーヒーショップへ行こうと思いました。(基本的にクーラーは嫌いなので、自分の部屋にはクーラーは設置してません)
が、このコーヒーショップ、近所にあるのは有難いのですが、有名店ゆえにいつも混雑していて、なかなか席を確保できないのが難点です。
ここでなくても、他の候補もいくつかあるのですが、一番近所にあるここが良いと思って、易を立ててみました。
今行って席があるかどうか、と言う占的です。
席がある、に得た易は
沢雷随 九四
でした。
この易を見て、これは席が確保できるなと思い、すぐに出かけていくと、案の定、一つだけ空いた席を確保できました。
が、この沢雷随九四にはこう言う言葉が添えられています。
「随って獲るあり。貞なれども凶」
この言葉の前半の「随(したが)って獲(う)るあり」は、行動すれば成果が得られるだろう、と解釈できます。
しかし、後半の「貞なれども凶」は何を言うのか、家を出る時点では分かりませんでした。
「貞なれども凶」は、自分は大丈夫だと思っていても、行動すれば厄介なことになる、と解釈できます。
でもまあ、凶といっても近所のコーヒーショップに行く程度のことだし、大したことは無いだろうと思って出かけました。
で、前述の通り、一つだけ空いていた席を確保できたのですが、注文の列に並んでいる時に、ハッと気付きました。
マスクしてこなかった・・・
今の自宅は繁華街のすぐ側にあるのですが、あまりにも自宅の側なので、これまでもついマスクをしないまま出かけてしまい、途中で気づいて引き返すことがしばしばあったのですが、この時はコーヒーショップの列に並ぶまで気付きませんでした。
そこでハッと思い出したのが「貞なれども凶」と言う言葉です。
そうか~これだったか~
とは思ったものの、後悔先に立たず。
仕方なく、そそくさと注文したコーヒーを飲み干して帰宅しました。
なので、ゆっくりと本を読むことは出来ませんでした。
帰宅して、改めて自分のノート(鑑定のためのアンチョコのようなもの)を開いて「沢雷随九四」を確認してみると・・・
「調子に乗ってやりすぎて困ることになる」とか
「過信しているから、やりすぎてアウト」
などと、ちゃんと自分で書いています。
でも、目先の欲にはつい惑わされるんですよね。
私もまだまだ。易者としての甘さを易に教えられました。
バランス
以前にもブログに書いたかもしれませんが、これは特に東洋系の占術を使って人様の運勢を鑑定する場合、常に頭の隅にでも忘れずに覚えておきたいことなので、改めて記事にしてみたいと思います。
算命の資料をあれこれと読んでいると、高尾宗家が繰り返されていた言葉にぶつかります。
それは「バランス」ということです。
最初にこの言葉に出会った時に、なんで人の運命を見るのにバランスが大事なんだろう、と疑問に思ったものでした。
が、このバランスという言葉。東洋では「中庸」という意味で使われることが多いと思いますが、周易でもこの「中庸」ということをとても重要視します。
つまり、陰陽のバランス、ということなのでしょう。
でも、言葉で聞くとなんとなく分かったような気持ちになってしまいますが、自分としてこのバランス、ということを納得できたのは、算命を勉強して数年たってからでした。
高尾宗家のおっしゃるバランス。
宗家の書かれた著書の中には「宇宙は常にバランスを取ろうとする」という意味の言葉が書かれていますが、これは人間個人、一人の人生の中でもバランスを取ろうとする動きが、そして家族全体を眺めた場合にもバランスを取ろうとする動きがある、ということなのではないかと、自分なりに納得がいったのです。
例えば人間一人の人生におけるバランスは、長い人生の中では運気が良い時もあれば悪い時もある。人生山あり谷あり、と昔の人はおっしゃいましたが、山と谷をならして見れば、どんな人もそれほど大きな違いは無いのでは無いか、と思うのです。
例えば算命では「大運天中殺」という技術があり、大運の流れの中で、大きく発展する可能性がある時期を持っている人もいるのですが、その場合でも、大きく発展する条件として、その運気に入る前にどん底に落ち込むことがあります。
つまり、谷を経験した後でないと、山に登る運気は来ない、ということです。
また、これを家族の中に当てはめてみると、今のように核家族で子供が一人か二人、では現象としてはっきり現れないようですが、兄弟が数人いた昔であれば、けっこう世間でよくある話。
数人いる兄弟のうち、誰か一人はずば抜けて優秀だとすると、誰か一人は落ちこぼれてヤサグレてしまいがち。
これも家族全体で凸凹をならしてみれば、さほどどの家族も大きな違いは無い。
これは私の幼馴染のことなのですが、お父さんは某国立大学の教授。お母さんはミス○○。子供は男の子が三人で、私の幼馴染は真ん中、次男でした。
この子供達も親に似て、長男も某国立大学を卒業して研究者の道に入り、お父さんと同じ国立大学の教授になりました。
三男、末っ子も優秀で某国立大学でロケット工学の研究をして将来を嘱望されていました。
が、次男、つまり私の幼馴染だけは偏差値の低い地方の私立大学を三浪した後に入学。その後、学校を卒業した後は、某食品メーカーの工場で働き始めました。
ご両親も兄弟もみんな優秀なのに、なんで彼だけは・・・
と、周囲の噂によく彼の話題が上がったのですが、彼はこの工場に数年勤めたある日、いつまで待っても工場に現れないので工場の寮の彼の部屋に行ってみたら、突然死していたそうです。
この話を聞いた時は、私もまだ算命は全く知りませんでしたので、高尾宗家のお言葉も知りませんでしたから、ただ単純に、家族みんなが優秀なのに、なんであいつだけ・・・
と思ったものでした。
が、この「宇宙は常にバランスを取ろうとする」という言葉を知ってしまうと、もしかして、彼が一人でこの家族のバランスをとっていたのではないか、と思うようになったのです。
そして、家系の流れを見てみると、例えば初代は苦労して財産を築き上げた。二代目はなんとかこれを守り抜いた。でも三代目は放蕩してご先祖様の築き上げた財産を食い潰してしまった。
これも家系の流れの中でみればバランスが取れている、ということにならないでしょうか。
代々優秀な人が出て、家系が盛り上がったまま、長く続くのが理想なのでしょうが、ここでもまた陰陽のバランスを取ろうとする、何らかの力が働くのかもしれません。
人間、努力することは必要だし大切ではありますが、どうしようもないことも、ままあるもの。
我々のような生業をしていると、いろいろな方と出会い、いろいろな人生のお話を聞きますが、運気の潮目というものは厳然と存在するとしか思えません。
できれば、うまく潮目を見ながら今生を過ごしていきたいものです。
易の神様
「易の神様」あるいは「易神」と言う言葉が使われることがあります。
我々のような仕事をしている場合、様々な解釈を中から一つの答えを導かなければいけないのですが、その時に、ふと閃く、ピンと来て答えを出すと、クライアントさんに驚かれることがありますが、これは多くの易者さんが経験されていることと思います。
これは周易、タロット、断易や六壬などの卜占だけでなく、四柱推命や算命、あるいは紫微斗数などの命占においてもあるのでは無いかと思います。
命占の場合、ほぼほぼ80~90%は論理的な思考によって答えを導き出すとしても、残りの10~20%の部分は、やはり閃きのようなものが必要になることがあります。
では、その閃きはどこから来るのか、と言えば、これはもう「易の神様」からの啓示としか言えないのでは無いかと思うのです。
この漠然とした「易の神様」をはっきりと示してくれたのは、金井南龍先生でした。
南龍先生はこの易の神様を「御蠱の蠱神(みまじのこがみ)」とおっしゃっていました。
人間生活のすぐ側にいつもいらして、人の運やツキを司ってらっしゃる神様だそうです。
ただ、この神様、人からのお願いが通用しないようで、運やツキはあなた(蠱神)任せになってしまうのだそうです。
「対面交通ができてウンやツキを自由にすることができたら、えらいコッチャになってしまう」ようです。
また、その人間の人徳、財の多寡、所業などには関係しないようです。
その証拠に、どんなに悪どいことをして金儲けをしても塀の中に落ちない人がいるのは、世間で広く知られていることでしょう。
でも、いや、となればなおさらのこと、どこかにこの蠱神様が祀られているのであれば、一目散に馳せ参じて参拝せねばならないと思うのですが、あいにく、この蠱神様を祀っている神社は無いようです。
特に日本においては、天皇家のために尽力されてくださった御神霊以外はひた隠しに隠されてしまっているようで、そういった意味でも古神道の復活が望まれるのですが、現在、この蠱神様を祀られている神社は無いようです。
が、比較的人口に膾炙している、とある大きな神社の神様は、蠱神様では無いけれど、易の神様でもあり、私は毎年のように参拝させていただいています。
この御神霊とは私は縁が深いようで、参拝するために境内に足を踏み入れた途端に、えも言われぬ幸福感に満たされます。
とは言え、だからといって運やツキに恵まれて仕事や財運が良くなるわけではありませんので、誤解されませんように。
恩頼(みたまのふゆ)はあなた(御神霊)任せで、こちらが望んだからとて、すぐにいただけるものでは無いようです。