開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -12ページ目

バランス

以前にもブログに書いたかもしれませんが、これは特に東洋系の占術を使って人様の運勢を鑑定する場合、常に頭の隅にでも忘れずに覚えておきたいことなので、改めて記事にしてみたいと思います。

 

 

算命の資料をあれこれと読んでいると、高尾宗家が繰り返されていた言葉にぶつかります。

 

それは「バランス」ということです。

 

 

最初にこの言葉に出会った時に、なんで人の運命を見るのにバランスが大事なんだろう、と疑問に思ったものでした。

 

 

が、このバランスという言葉。東洋では「中庸」という意味で使われることが多いと思いますが、周易でもこの「中庸」ということをとても重要視します。

 

 

つまり、陰陽のバランス、ということなのでしょう。

 

 

でも、言葉で聞くとなんとなく分かったような気持ちになってしまいますが、自分としてこのバランス、ということを納得できたのは、算命を勉強して数年たってからでした。

 

 

高尾宗家のおっしゃるバランス。

 

宗家の書かれた著書の中には「宇宙は常にバランスを取ろうとする」という意味の言葉が書かれていますが、これは人間個人、一人の人生の中でもバランスを取ろうとする動きが、そして家族全体を眺めた場合にもバランスを取ろうとする動きがある、ということなのではないかと、自分なりに納得がいったのです。

 

 

例えば人間一人の人生におけるバランスは、長い人生の中では運気が良い時もあれば悪い時もある。人生山あり谷あり、と昔の人はおっしゃいましたが、山と谷をならして見れば、どんな人もそれほど大きな違いは無いのでは無いか、と思うのです。

 

 

例えば算命では「大運天中殺」という技術があり、大運の流れの中で、大きく発展する可能性がある時期を持っている人もいるのですが、その場合でも、大きく発展する条件として、その運気に入る前にどん底に落ち込むことがあります。

 

つまり、谷を経験した後でないと、山に登る運気は来ない、ということです。

 

 

また、これを家族の中に当てはめてみると、今のように核家族で子供が一人か二人、では現象としてはっきり現れないようですが、兄弟が数人いた昔であれば、けっこう世間でよくある話。

 

数人いる兄弟のうち、誰か一人はずば抜けて優秀だとすると、誰か一人は落ちこぼれてヤサグレてしまいがち。

 

これも家族全体で凸凹をならしてみれば、さほどどの家族も大きな違いは無い。

 

これは私の幼馴染のことなのですが、お父さんは某国立大学の教授。お母さんはミス○○。子供は男の子が三人で、私の幼馴染は真ん中、次男でした。

 

 

この子供達も親に似て、長男も某国立大学を卒業して研究者の道に入り、お父さんと同じ国立大学の教授になりました。

 

三男、末っ子も優秀で某国立大学でロケット工学の研究をして将来を嘱望されていました。

 

が、次男、つまり私の幼馴染だけは偏差値の低い地方の私立大学を三浪した後に入学。その後、学校を卒業した後は、某食品メーカーの工場で働き始めました。

 

ご両親も兄弟もみんな優秀なのに、なんで彼だけは・・・

 

と、周囲の噂によく彼の話題が上がったのですが、彼はこの工場に数年勤めたある日、いつまで待っても工場に現れないので工場の寮の彼の部屋に行ってみたら、突然死していたそうです。

 

この話を聞いた時は、私もまだ算命は全く知りませんでしたので、高尾宗家のお言葉も知りませんでしたから、ただ単純に、家族みんなが優秀なのに、なんであいつだけ・・・

と思ったものでした。

 

が、この「宇宙は常にバランスを取ろうとする」という言葉を知ってしまうと、もしかして、彼が一人でこの家族のバランスをとっていたのではないか、と思うようになったのです。

 

 

そして、家系の流れを見てみると、例えば初代は苦労して財産を築き上げた。二代目はなんとかこれを守り抜いた。でも三代目は放蕩してご先祖様の築き上げた財産を食い潰してしまった。

 

これも家系の流れの中でみればバランスが取れている、ということにならないでしょうか。

 

代々優秀な人が出て、家系が盛り上がったまま、長く続くのが理想なのでしょうが、ここでもまた陰陽のバランスを取ろうとする、何らかの力が働くのかもしれません。

 

 

人間、努力することは必要だし大切ではありますが、どうしようもないことも、ままあるもの。

 

我々のような生業をしていると、いろいろな方と出会い、いろいろな人生のお話を聞きますが、運気の潮目というものは厳然と存在するとしか思えません。

 

できれば、うまく潮目を見ながら今生を過ごしていきたいものです。

 

易の神様

「易の神様」あるいは「易神」と言う言葉が使われることがあります。

 

我々のような仕事をしている場合、様々な解釈を中から一つの答えを導かなければいけないのですが、その時に、ふと閃く、ピンと来て答えを出すと、クライアントさんに驚かれることがありますが、これは多くの易者さんが経験されていることと思います。

 

これは周易、タロット、断易や六壬などの卜占だけでなく、四柱推命や算命、あるいは紫微斗数などの命占においてもあるのでは無いかと思います。

 

命占の場合、ほぼほぼ80~90%は論理的な思考によって答えを導き出すとしても、残りの10~20%の部分は、やはり閃きのようなものが必要になることがあります。

 

 

では、その閃きはどこから来るのか、と言えば、これはもう「易の神様」からの啓示としか言えないのでは無いかと思うのです。

 

 

 

この漠然とした「易の神様」をはっきりと示してくれたのは、金井南龍先生でした。

 

 

南龍先生はこの易の神様を「御蠱の蠱神(みまじのこがみ)」とおっしゃっていました。

 

人間生活のすぐ側にいつもいらして、人の運やツキを司ってらっしゃる神様だそうです。

 

 

ただ、この神様、人からのお願いが通用しないようで、運やツキはあなた(蠱神)任せになってしまうのだそうです。

 

「対面交通ができてウンやツキを自由にすることができたら、えらいコッチャになってしまう」ようです。

 

 

また、その人間の人徳、財の多寡、所業などには関係しないようです。

 

その証拠に、どんなに悪どいことをして金儲けをしても塀の中に落ちない人がいるのは、世間で広く知られていることでしょう。

 

 

でも、いや、となればなおさらのこと、どこかにこの蠱神様が祀られているのであれば、一目散に馳せ参じて参拝せねばならないと思うのですが、あいにく、この蠱神様を祀っている神社は無いようです。

 

特に日本においては、天皇家のために尽力されてくださった御神霊以外はひた隠しに隠されてしまっているようで、そういった意味でも古神道の復活が望まれるのですが、現在、この蠱神様を祀られている神社は無いようです。

 

 

が、比較的人口に膾炙している、とある大きな神社の神様は、蠱神様では無いけれど、易の神様でもあり、私は毎年のように参拝させていただいています。

 

 

この御神霊とは私は縁が深いようで、参拝するために境内に足を踏み入れた途端に、えも言われぬ幸福感に満たされます。

 

 

とは言え、だからといって運やツキに恵まれて仕事や財運が良くなるわけではありませんので、誤解されませんように。

 

恩頼(みたまのふゆ)はあなた(御神霊)任せで、こちらが望んだからとて、すぐにいただけるものでは無いようです。

易者の矜持

なんか、物々しいタイトルではありますが、この仕事を始めてからずっと感じていることがあるのです。

 

私の易者としての矜持(というほど崇高な気持ちな訳でも無いんですが)は、良いことも悪いことも正直にクライアントさんには話す、ということです。

 

 

実はこんな経験があります。

 

数年前、私は原宿のとある占い館に出ていました。

 

それまでは、講師として教える立場が長く、鑑定はごく身近な知人またはその紹介、程度にしかやっていませんでした。

 

 

が、私が講師をしていた会社で新しく鑑定所を開設するので、そこに出ませんか、というオファーをいただき、週に一日程度なら、ということで原宿の鑑定所に出ることになりました。

 

 

ある日、その鑑定所に若い女性二人連れのお客さんがいらっしゃいました。

 

今思えば、彼女たちはショッピングのついでに軽い気持ちで占いをやって、ちょっと盛り上がれば良い、くらいの気持ちでお立ち寄りになったのだと思います。

 

が、その時は私は思いっきり肩に力が入っていて、どんな些細なことでも真剣に鑑定して真剣にお話ししなければいけない、それがそのお客さんに対する礼儀である、な~んて思っていたんです。

 

それで彼女たちの一人を見たところ、ちょっと心配なことが見受けられましたので、それも正直に話しました。

 

すると、それまで二人で笑いながら話していたのが、急に暗い顔になって不機嫌な様子で、もういいです、と料金だけ払って出て行かれました。

 

え? なんで? 心配な事があったから話したのに、それでなんで機嫌悪くなるんだ?

 

とその時は思いましたが、今になって思い出してみると、彼女たちにしてみれば、軽い気持ちで占ってもらって話しのネタ程度になれば良いと思っていたのでしょう。

 

それが、思いがけずネガティブな話をされて気分を害されたのだと思いますが、その頃の私には、そんな心の余裕はありませんでした。

 

 

それからしばらくして、その占い館は撤退したので、私もそれからは鑑定所には出ずに、人の紹介だけで鑑定するようになりました。

 

 

今は電話占いにも時々出演していますが、紹介されて来られた方、あるいはわざわざ電話鑑定を依頼される方には、お遊び感覚で気軽に占いやってもらおう、という方はほとんどいらっしゃらいません。少なくとも、私はそういうお気軽な鑑定依頼は受けていません。

 

 

人それぞれの考え方もあるし、鑑定を依頼されるクライアントさんも様々な方がいらっしゃるので、そこは臨機応変に対応すれば良いと思うのですが、私の場合はクライアントさんには良いこと、悪いこと、全て正直に話すべきだと思っていますので、今のようなスタイルが合っているのでしょう。

 

その場限り、その時限りでクライアントさんにとって心地よいお話をして、気持ちよくお帰りいただくのも一つのスタイルだとは思うのですが、私にはそういうスタイルは向いてないようです。

 

算命や四柱推命で使う星を見ても、不器用な星が強いですから、こればかりはどうしようもないようです。