開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -12ページ目

易の神様 2

I以前、「易の神様」についてブログ記事を書きましたが、興味を持たれた方が多かったらしく、もっと色々とこの神様について知りたいと言われることが多かったので、易の神様「御蠱の蠱神(みまじのこがみ)」について金井先生が書かれたものの中から引用してみようと思います。

 

 

「人間勝手に、誰しもが、この一方通行の神に対しては思うであろうが、人類の易神史上、いまだに小生は対面交通をした者のあることを知らぬ。

 釈迦七〇、ダイバ六〇、キリスト七〇、ユダ七五、マホメット六〇、孔子五九、老子五五、弘法五〇、道元四五、日蓮四五、親鸞三〇、王仁三郎七〇、友清歓真六〇、安倍晴明七〇、加茂保憲五五、新井白蛾五八、真勢中洲五〇、平田篤胤四八、本居宣長二八、根本通明四五、九鬼盛隆四五、長井金風四五、役小角八〇、マハシラのワケミタマのうち一と柱八五、

 右の名前下の数字は易神から見たときの点数(百点満点として)である。ということは、右のグループが一堂に会し、賭博をしたときの成績はこの数字で推量し得る。

金井南龍「易の神様」より」

 

 

なお、ここに書かれている「マハシラのワケミタマ」と言うのは、金井先生が言われていた「釈迦、キリストに続く第三の男」のことでいわば、新たな救世主とも言えましょう。

 

 

これを見るとスピリチュアルなことに関心のある方ならお馴染みの歴史上の人物がたくさんいらっしゃいますが、その中でも役小角の点数が群を抜いています。

一部では架空の人物にもされているようですが、南龍先生に言わせると、「古今無双」の霊力の持ち主だったそうです。

 

 

また、キリストとユダの点数を見ると、ユダの方が若干高いのも気づきます。

 

金井先生の解釈によれば、ユダがキリストを売ったのは、キリストとの約束が出来ていて、二人で神様シナリオを演じたに過ぎないそうです。そしてユダほどの力量が無ければこの演出を演じきることが出来なかったのだ、とも。

 

 

易者の中では明治時代の長井金風、九鬼盛隆、根本通明や江戸時代の新井白蛾、真勢中洲などの偉大な先人には及びもつかないまでも、今生を生きている間に少しでも高みに辿り着きたいものです。

日常の中の易

生徒さんやお客様の中には、周易には崇高な、または深刻な悩みでないと聞いてはいけないように思われている方がけっこういらっしゃいます。

 

 

「こんなことを聞いて良いものかどうか・・・」

 

 

「つまらないことなんですが、聞いても良いでしょうか・・・」

 

 

などと言われるので、どうぞどうぞ、易はどんなに些細なことでも答えを出してくれますから、遠慮なくおっしゃってください、と言うと、皆さん安心したように色々なことをお話してくださいます。

 

 

 

これはお客様や生徒さんだけでなく、私自身にも当てはまることで、日常生活の細々したことでも易は答えを出してくれます。

 

 

先日、こんなことがありました。

 

梅雨明けになったと思ったら、連日の猛暑続きで、部屋でゆっくり本を読もうにもあまりにも暑くて、もう我慢ならんと近所の某大手コーヒーショップへ行こうと思いました。(基本的にクーラーは嫌いなので、自分の部屋にはクーラーは設置してません)

 

 

が、このコーヒーショップ、近所にあるのは有難いのですが、有名店ゆえにいつも混雑していて、なかなか席を確保できないのが難点です。

 

 

ここでなくても、他の候補もいくつかあるのですが、一番近所にあるここが良いと思って、易を立ててみました。

 

 

今行って席があるかどうか、と言う占的です。

 

席がある、に得た易は

 

沢雷随 九四

 

でした。

 

 

この易を見て、これは席が確保できるなと思い、すぐに出かけていくと、案の定、一つだけ空いた席を確保できました。

 

 

が、この沢雷随九四にはこう言う言葉が添えられています。

 

「随って獲るあり。貞なれども凶」

 

この言葉の前半の「随(したが)って獲(う)るあり」は、行動すれば成果が得られるだろう、と解釈できます。

 

しかし、後半の「貞なれども凶」は何を言うのか、家を出る時点では分かりませんでした。

 

「貞なれども凶」は、自分は大丈夫だと思っていても、行動すれば厄介なことになる、と解釈できます。

 

 

でもまあ、凶といっても近所のコーヒーショップに行く程度のことだし、大したことは無いだろうと思って出かけました。

 

 

で、前述の通り、一つだけ空いていた席を確保できたのですが、注文の列に並んでいる時に、ハッと気付きました。

 

 

マスクしてこなかった・・・

 

 

今の自宅は繁華街のすぐ側にあるのですが、あまりにも自宅の側なので、これまでもついマスクをしないまま出かけてしまい、途中で気づいて引き返すことがしばしばあったのですが、この時はコーヒーショップの列に並ぶまで気付きませんでした。

 

 

そこでハッと思い出したのが「貞なれども凶」と言う言葉です。

 

 

 

そうか~これだったか~

 

 

 

とは思ったものの、後悔先に立たず。

 

仕方なく、そそくさと注文したコーヒーを飲み干して帰宅しました。

 

なので、ゆっくりと本を読むことは出来ませんでした。

 

 

 

帰宅して、改めて自分のノート(鑑定のためのアンチョコのようなもの)を開いて「沢雷随九四」を確認してみると・・・

 

 

「調子に乗ってやりすぎて困ることになる」とか

「過信しているから、やりすぎてアウト」

 

 

などと、ちゃんと自分で書いています。

 

 

 

でも、目先の欲にはつい惑わされるんですよね。

 

 

私もまだまだ。易者としての甘さを易に教えられました。 

 

バランス

以前にもブログに書いたかもしれませんが、これは特に東洋系の占術を使って人様の運勢を鑑定する場合、常に頭の隅にでも忘れずに覚えておきたいことなので、改めて記事にしてみたいと思います。

 

 

算命の資料をあれこれと読んでいると、高尾宗家が繰り返されていた言葉にぶつかります。

 

それは「バランス」ということです。

 

 

最初にこの言葉に出会った時に、なんで人の運命を見るのにバランスが大事なんだろう、と疑問に思ったものでした。

 

 

が、このバランスという言葉。東洋では「中庸」という意味で使われることが多いと思いますが、周易でもこの「中庸」ということをとても重要視します。

 

 

つまり、陰陽のバランス、ということなのでしょう。

 

 

でも、言葉で聞くとなんとなく分かったような気持ちになってしまいますが、自分としてこのバランス、ということを納得できたのは、算命を勉強して数年たってからでした。

 

 

高尾宗家のおっしゃるバランス。

 

宗家の書かれた著書の中には「宇宙は常にバランスを取ろうとする」という意味の言葉が書かれていますが、これは人間個人、一人の人生の中でもバランスを取ろうとする動きが、そして家族全体を眺めた場合にもバランスを取ろうとする動きがある、ということなのではないかと、自分なりに納得がいったのです。

 

 

例えば人間一人の人生におけるバランスは、長い人生の中では運気が良い時もあれば悪い時もある。人生山あり谷あり、と昔の人はおっしゃいましたが、山と谷をならして見れば、どんな人もそれほど大きな違いは無いのでは無いか、と思うのです。

 

 

例えば算命では「大運天中殺」という技術があり、大運の流れの中で、大きく発展する可能性がある時期を持っている人もいるのですが、その場合でも、大きく発展する条件として、その運気に入る前にどん底に落ち込むことがあります。

 

つまり、谷を経験した後でないと、山に登る運気は来ない、ということです。

 

 

また、これを家族の中に当てはめてみると、今のように核家族で子供が一人か二人、では現象としてはっきり現れないようですが、兄弟が数人いた昔であれば、けっこう世間でよくある話。

 

数人いる兄弟のうち、誰か一人はずば抜けて優秀だとすると、誰か一人は落ちこぼれてヤサグレてしまいがち。

 

これも家族全体で凸凹をならしてみれば、さほどどの家族も大きな違いは無い。

 

これは私の幼馴染のことなのですが、お父さんは某国立大学の教授。お母さんはミス○○。子供は男の子が三人で、私の幼馴染は真ん中、次男でした。

 

 

この子供達も親に似て、長男も某国立大学を卒業して研究者の道に入り、お父さんと同じ国立大学の教授になりました。

 

三男、末っ子も優秀で某国立大学でロケット工学の研究をして将来を嘱望されていました。

 

が、次男、つまり私の幼馴染だけは偏差値の低い地方の私立大学を三浪した後に入学。その後、学校を卒業した後は、某食品メーカーの工場で働き始めました。

 

ご両親も兄弟もみんな優秀なのに、なんで彼だけは・・・

 

と、周囲の噂によく彼の話題が上がったのですが、彼はこの工場に数年勤めたある日、いつまで待っても工場に現れないので工場の寮の彼の部屋に行ってみたら、突然死していたそうです。

 

この話を聞いた時は、私もまだ算命は全く知りませんでしたので、高尾宗家のお言葉も知りませんでしたから、ただ単純に、家族みんなが優秀なのに、なんであいつだけ・・・

と思ったものでした。

 

が、この「宇宙は常にバランスを取ろうとする」という言葉を知ってしまうと、もしかして、彼が一人でこの家族のバランスをとっていたのではないか、と思うようになったのです。

 

 

そして、家系の流れを見てみると、例えば初代は苦労して財産を築き上げた。二代目はなんとかこれを守り抜いた。でも三代目は放蕩してご先祖様の築き上げた財産を食い潰してしまった。

 

これも家系の流れの中でみればバランスが取れている、ということにならないでしょうか。

 

代々優秀な人が出て、家系が盛り上がったまま、長く続くのが理想なのでしょうが、ここでもまた陰陽のバランスを取ろうとする、何らかの力が働くのかもしれません。

 

 

人間、努力することは必要だし大切ではありますが、どうしようもないことも、ままあるもの。

 

我々のような生業をしていると、いろいろな方と出会い、いろいろな人生のお話を聞きますが、運気の潮目というものは厳然と存在するとしか思えません。

 

できれば、うまく潮目を見ながら今生を過ごしていきたいものです。