開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -10ページ目

富士山のご来光

今日、秋分の日には、富士山のご来光をいただくのが、私には恒例の行事になっています。

 

 

この日は(詳しい場所は言えませんが)とある所から富士山を眺めると、山頂の真ん中からお日様が昇ってきます。

 

 

このお光を受けた水は霊水となるようです。

 

この霊水の使い道は色々とありますが、私の場合は墓参りの際に使わせていただいています。

 

 

富士山の隣にある七面山の二の池の水は霊水だと昔から言われているそうですが、それもこのご来光が差し込んだからでは無いでしょうか。

 

 

しかし、このご来光を拝めるのは一年で二日だけ。

 

それだけに万全を期して臨まなければなりません。

 

 

その甲斐あって、今年は例年以上に快晴で素晴らしいご来光を拝めることができました。

 

私も20年以上、このご来光を拝んでいますが、今年のような素晴らしいご来光には、なかなかお目にかかれません。

 

 

 

そしてご来光を拝んだ後は、この催しに参加した有志の皆さんと陣馬の滝まで移動。

 

久々にお滝を浴びて、みんな心身ともにリフレッシュできました。

 

山王様のお参り

本日、予てから念願だった赤坂の山王日枝神社に参拝してきました。

 

以前から気になっていて、行きたい行きたいとは思いながら、そして行く気になればいつでも行けるせいか、これまで延び延びになってしまった山王様。

 

今日はもう、行かねば、と思い立ったが吉日で参拝してきました。

 

 

というのも、先日私のクライアントさんに、車のお祓いに山王様をお勧めしたこともあり、一度はご挨拶もかねてお礼しておかねばと思ったからです。

 

このクライアントさんに、今年車を買いたいのだけれど、買っても良いでしょうか、と聞かれたのですが、時期的にも感心しないし、易を出しても良い答えが出てこなかったのですが、車が大好きなこのクライアントさんは我慢しきれずに新車を購入してしまいました。

 

どうしても欲しいものは仕方ない。まあ、事故だけは気をつけて下さいね、と思っていたら先日連絡があり、新車で買ったばかりなのに調子が悪い。修理に出してもどこが悪いのか分からないと言われました、との連絡。

 

 

あ~あ、だから止めろって言ったのに、と内心思いました。

 

で、重ねて、どこかでお祓いをしてもらいたいんですが、どこが良いでしょうか、とのお問い合わせ。

 

 

お住いの近くの神社も含め、都内の私の知っている神社を幾つか検討してみたところ、赤坂の山王様か白山の白山神社が良さそうだったので、その旨を伝えました。

 

数日後、赤坂の山王様に行ってきます、と連絡がありました。

 

 

 

こんなこともあったので、自分自身、予てから気になっていた山王様に参拝に出向いたのですが、朝易を立てて本日の参拝の是非を伺っておいたのは言うまでもありません。

お陰で、家を出る時は傘をさして出たのですが、山王様の最寄りの駅に着いたら傘をささずに神社まで行けました。

 

外堀通り沿いの大きな鳥居を潜ると、あのなんとも言えない心地よい感触を感じました。

 

 

そして境内では、ちょうど結婚式が行われていて、綺麗に着飾った新郎新婦とそのご家族の参列に出くわしました。

 

そしてご祈祷を申し込み、拝殿でご祈祷をしていただいたら、巫女さんのお神楽を披露していただきました。

 

 

これでまた一つ、ご縁を繋いでいただけたようです。

 

 

血の滴るようなステーキを食べた日

ある日のレッスンで、とある生徒さんから、

 

「先日、娘の婚約者との会食があったのですが、何を食べたか分かりますか?」

と質問されました。

 

 

 

そこで、「その日の日筮は?」と尋ねたところ、

 

水天需 六四 でした」とのお答え。

 

 

そこで、「もしかして、血の滴るようなステーキでも食べたの?」

 

と聞いてみたら、これがビンゴ!

 

 

「娘と娘の婚約者と私で久々のステーキを堪能しました」とのこと。

 

 

 

 

ちなみに易を知らない方のために解説しておくと、日筮と言うのは、その日がどんな日か、どんな出来事が起きそうか、を知らせてくれます。

とはいえ、1日に起こること全てを言う訳ではなく、その日の中でも印象的なこととか、強く記憶に残るようなことを示してくれることが多いです。

 

 

 

そして、この生徒さんのこの日の日筮、水天需六四ですが、まず水天需は一つには「待つ」と言う意味が強くあります。

 

どのように待つのかは、爻(ポジション)によって異なります。

 

この生徒さんの日筮の六四(4番目のポジション)の場合には、「血に待つ」と言う言葉が付いています。

 

 

「血に待つ」とは、ちょっと不気味な感じがしますが、待つ場合に非常にハラハラしながら待たなければいけないことを意味します。

 

目の前では殺し合いが行われていて、血が流れています。自分は物陰に隠れていて、その殺し合いを息を潜めて見ています。ここで一言でも声を上げたら、敵に自分の存在が分かってしまい、自分も殺される危険性がある、そんな修羅場は目の前に繰り広げられています。

 

これを易では「血に待つ」と言う、非常に簡潔な言葉で言うのです。

 

 

 

しかし、水天需にはもう一つ大きな意味として、「食べ物」を意味することがあります。養い、養生を意味するわけです。

 

 

そこで、この生徒さんの日筮を、「食べ物」と「血に待つ」の二つの意味から考えて見て、「血の滴るようなステーキ」を食べたのかな、と思ったわけです。

 

 

 

が、実はこの占例は私の師匠も全く同じことを言ったことがあるそうです。

それを覚えていたために、試しに、と使って見たら見事にビンゴ、だったわけです。

 

 

ごく日常の些細なことではありますが、こんなことにも易は何かしらの答えを出してくれます。