血の滴るようなステーキを食べた日
ある日のレッスンで、とある生徒さんから、
「先日、娘の婚約者との会食があったのですが、何を食べたか分かりますか?」
と質問されました。
そこで、「その日の日筮は?」と尋ねたところ、
「水天需 六四 でした」とのお答え。
そこで、「もしかして、血の滴るようなステーキでも食べたの?」
と聞いてみたら、これがビンゴ!
「娘と娘の婚約者と私で久々のステーキを堪能しました」とのこと。
ちなみに易を知らない方のために解説しておくと、日筮と言うのは、その日がどんな日か、どんな出来事が起きそうか、を知らせてくれます。
とはいえ、1日に起こること全てを言う訳ではなく、その日の中でも印象的なこととか、強く記憶に残るようなことを示してくれることが多いです。
そして、この生徒さんのこの日の日筮、水天需六四ですが、まず水天需は一つには「待つ」と言う意味が強くあります。
どのように待つのかは、爻(ポジション)によって異なります。
この生徒さんの日筮の六四(4番目のポジション)の場合には、「血に待つ」と言う言葉が付いています。
「血に待つ」とは、ちょっと不気味な感じがしますが、待つ場合に非常にハラハラしながら待たなければいけないことを意味します。
目の前では殺し合いが行われていて、血が流れています。自分は物陰に隠れていて、その殺し合いを息を潜めて見ています。ここで一言でも声を上げたら、敵に自分の存在が分かってしまい、自分も殺される危険性がある、そんな修羅場は目の前に繰り広げられています。
これを易では「血に待つ」と言う、非常に簡潔な言葉で言うのです。
しかし、水天需にはもう一つ大きな意味として、「食べ物」を意味することがあります。養い、養生を意味するわけです。
そこで、この生徒さんの日筮を、「食べ物」と「血に待つ」の二つの意味から考えて見て、「血の滴るようなステーキ」を食べたのかな、と思ったわけです。
が、実はこの占例は私の師匠も全く同じことを言ったことがあるそうです。
それを覚えていたために、試しに、と使って見たら見事にビンゴ、だったわけです。
ごく日常の些細なことではありますが、こんなことにも易は何かしらの答えを出してくれます。
今年の三社参り
今年も東国三社参りに行ってきました。
これを始めたのは、もう二十数年前になりますが、その頃は鹿島、香取はともかく、実は肝心要の息栖神社は訪れる人もほとんどいない(私が行く時は、他に誰もいませんでした)、寂れた郷社、といった雰囲気でしたが、今年は駐車場に車が溢れ、境内にも参拝される方が大勢いらして驚きました。
確かにネットで「東国三社」と検索すれば、色々な情報が出てくるようになり、時代の変遷を感じないではいられません。
が、まずは香取様から。
ここは、私としてはとても相性が良いのか、境内に足を踏み入れた途端、なんとも言えない幸福感に包まれるお社の一つです。
そして、数年かけて修繕がされていた本殿もすっかり綺麗になりました。
この本殿では、毎年拝殿に上がってご祈願をしていただいています。
そして、本殿への参拝が終わったら要石を通って奥宮へ。
ここに参拝する時には、緊張感を伴うのですが、それもここが香取様の荒御魂を祀ってらっしゃるからかもしれません。
が、ここは絶対に外せません。
香取様への参拝を終えたら、次は茨城県に入って息栖神社へ。
先にも書いた通り、今年は駐車場にも車がいっぱいだったし、境内にも人が大勢いらして驚きましたが、さらに驚いたのが、拝殿に上がってのご祈願が出来たこと。
そんなの普通じゃないか、と思われるかもしれませんが、ここではもう、十数年、拝殿に上がってのご祈願はやっておられない様子でした。
最近ははとバスなども止まるようになったそうで、そういった団体さんがいらっしゃる時には拝殿に上がってご祈願もされていたようですが、私のように一人とかせいぜい数人程度で行った場合は、ただ単に本殿への参拝しかしていませんでした。
がっ!
今年はなんと、普通の神社にあるようなご祈願の申し込み書があるではないですか。
二十数年前に訪れた頃はあった申し込み書が、ここ十数年出ていなかったので、これは拝殿に上がれるなと思って一緒に行った方たちと一緒にご祈願を申し込みました。
その拝殿の中はこんな感じ。
ここに神官さんがいらっして祝詞奏上してくださいました。
以前の神官さんは引退されたのか、私としては初めての方だったのですが、この方がお話が上手で、息栖神社のこととか、東国三社のこととか、色々とお話してくださいました。
その後、鹿島神宮へと向かい、無事に参拝、ご祈願も終えて今年も無事に三社参りが終了しました。
ところで、この日は台風も接近していたので、他の日にしようかとも思ったのですが、この日に三社参りに行って良いかを易に聞いたところ、
地水師 九二
だったので、雨の心配も無く無事に行けるなと思いましたが、実際、車で移動中は雨に降られましたが、参拝している時には見事に晴れさせていただきました。
地水師九二は、いわば軍隊の総大将。それも有能な総大将で勝ち戦で凱旋しますから、何をやるにせよ、何も心配ない、という意味です。
そして同行された方は、「今日の日筮は
沢風大過 上六
でした」とおっしゃるので、これは息栖神社で拝殿に上がれる事も含め、絶対に行ってこい、という事だったのだろうと。
沢風大過上六は、何がなんでもやれ! という意味。どんなに難しいと思っても、気分が乗らなくてもやらねばならない、という意味です。
こんな神社参りの際にも、易は明確な答えを出してくれます。
猫の運勢
我々は、通常は人の運勢というか運気というか、将来起こりそうなことを予想してお伝えすることを生業としていますが、果たして人以外の動物(あるいは植物でも)にも運勢、というか運命といったものはあるんでしょうか。
というのは、先日、とある方からのご相談で、猫の運気を知りたいというご依頼があったのです。
この方はボランティアでいわゆる野良猫を保護する活動をされているそうです。
ボランティアチームがあって、そのリーダーの指導の元、地域の保護猫に餌をやったり避妊手術を受けさせたりされているそうです。
このことについての是非は、いろいろなご意見もあるかもしれませんが、ここでは触れません。
で、この方のご依頼は、世話をしている保護猫が数匹いるそうなのですが、その中に体の不自由な猫が4匹いて、この猫達がこの先どうなるのか心配です、という内容でした。
というのも、近い将来、この方は今いる場所から引越しをしなければならないそうで、となるとこれまで面倒を見てきた猫達、特に障害を持っている4匹のこれからが心配なんです、この子達は私がいなくなってもちゃんと暮らしていけるでしょうか、というご依頼。
家猫とか、ペットショップ等で売られている猫ならば生年月日も分かるので、四柱推命なり算命なりで見ることも出来ますが、保護猫となると生年月日も分からない。
となると、この猫達の人生ならぬ猫生を見るには、私の場合は易に頼るしかありません。
が、果たして易で猫の運気が出るのかどうか・・・
多少の不安はありながらも、4匹それぞれのこれからの運気を易で見たところ、これがなんと、なるほど~と納得してしまえるような易が出ました。
4匹それぞれの易は、
風火家人 六四
地雷復 六四
風水渙 六三
火天大有 九四
と出ました。
この易を見て思わずクライアントさんに、
「とてもこまめに面倒を見てらっしゃるんですね~ いや~、この子達は幸せだ~」
と言ってしまいました。
風水渙六三の子だけはちょっと心配ですが、他の3匹は何の心配もなく、これから先も暮らしていけるであろうことを易は暗示していました。
するとクライアントさんは
「一人だけ引き取ろうと思うんですが」
とおっしゃるので、
「でしたら、風水渙六三が出た子ですね」と私が言うと、
「実はその子を、と密かに心に決めていたんです」とのこと。
どの猫もそれなりに充分安穏な暮らしが出来そうな易ではありましたが、風水渙六三の子だけはちょっと心配だったので、クライアントさんが引き取るつもりだった、と言うのを聞いて、ちょっと安心しました。
「もしかして、ですが、この風水渙六三の子を引き取ると、何かしら良い事が起きるかもしれませんね」とも付け加えましたが、これはオマケのようなもの。
でも、実際に良い事がこのクライアントさんに起こってくれると良いんですが。


