開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -11ページ目

猫の運勢

我々は、通常は人の運勢というか運気というか、将来起こりそうなことを予想してお伝えすることを生業としていますが、果たして人以外の動物(あるいは植物でも)にも運勢、というか運命といったものはあるんでしょうか。

 

 

 

というのは、先日、とある方からのご相談で、猫の運気を知りたいというご依頼があったのです。

 

 

この方はボランティアでいわゆる野良猫を保護する活動をされているそうです。

 

ボランティアチームがあって、そのリーダーの指導の元、地域の保護猫に餌をやったり避妊手術を受けさせたりされているそうです。

 

 

このことについての是非は、いろいろなご意見もあるかもしれませんが、ここでは触れません。

 

 

で、この方のご依頼は、世話をしている保護猫が数匹いるそうなのですが、その中に体の不自由な猫が4匹いて、この猫達がこの先どうなるのか心配です、という内容でした。

 

 

 

というのも、近い将来、この方は今いる場所から引越しをしなければならないそうで、となるとこれまで面倒を見てきた猫達、特に障害を持っている4匹のこれからが心配なんです、この子達は私がいなくなってもちゃんと暮らしていけるでしょうか、というご依頼。

 

 

 

家猫とか、ペットショップ等で売られている猫ならば生年月日も分かるので、四柱推命なり算命なりで見ることも出来ますが、保護猫となると生年月日も分からない。

 

となると、この猫達の人生ならぬ猫生を見るには、私の場合は易に頼るしかありません。

 

 

が、果たして易で猫の運気が出るのかどうか・・・

 

 

多少の不安はありながらも、4匹それぞれのこれからの運気を易で見たところ、これがなんと、なるほど~と納得してしまえるような易が出ました。

 

 

 

4匹それぞれの易は、

 

風火家人 六四

地雷復  六四

風水渙  六三

火天大有 九四

 

と出ました。

 

 

この易を見て思わずクライアントさんに、

「とてもこまめに面倒を見てらっしゃるんですね~ いや~、この子達は幸せだ~」

と言ってしまいました。

 

 

風水渙六三の子だけはちょっと心配ですが、他の3匹は何の心配もなく、これから先も暮らしていけるであろうことを易は暗示していました。

 

 

 

するとクライアントさんは

「一人だけ引き取ろうと思うんですが」

とおっしゃるので、

 

「でしたら、風水渙六三が出た子ですね」と私が言うと、

 

「実はその子を、と密かに心に決めていたんです」とのこと。

 

 

どの猫もそれなりに充分安穏な暮らしが出来そうな易ではありましたが、風水渙六三の子だけはちょっと心配だったので、クライアントさんが引き取るつもりだった、と言うのを聞いて、ちょっと安心しました。

 

 

「もしかして、ですが、この風水渙六三の子を引き取ると、何かしら良い事が起きるかもしれませんね」とも付け加えましたが、これはオマケのようなもの。

 

 

でも、実際に良い事がこのクライアントさんに起こってくれると良いんですが。

易の神様 2

I以前、「易の神様」についてブログ記事を書きましたが、興味を持たれた方が多かったらしく、もっと色々とこの神様について知りたいと言われることが多かったので、易の神様「御蠱の蠱神(みまじのこがみ)」について金井先生が書かれたものの中から引用してみようと思います。

 

 

「人間勝手に、誰しもが、この一方通行の神に対しては思うであろうが、人類の易神史上、いまだに小生は対面交通をした者のあることを知らぬ。

 釈迦七〇、ダイバ六〇、キリスト七〇、ユダ七五、マホメット六〇、孔子五九、老子五五、弘法五〇、道元四五、日蓮四五、親鸞三〇、王仁三郎七〇、友清歓真六〇、安倍晴明七〇、加茂保憲五五、新井白蛾五八、真勢中洲五〇、平田篤胤四八、本居宣長二八、根本通明四五、九鬼盛隆四五、長井金風四五、役小角八〇、マハシラのワケミタマのうち一と柱八五、

 右の名前下の数字は易神から見たときの点数(百点満点として)である。ということは、右のグループが一堂に会し、賭博をしたときの成績はこの数字で推量し得る。

金井南龍「易の神様」より」

 

 

なお、ここに書かれている「マハシラのワケミタマ」と言うのは、金井先生が言われていた「釈迦、キリストに続く第三の男」のことでいわば、新たな救世主とも言えましょう。

 

 

これを見るとスピリチュアルなことに関心のある方ならお馴染みの歴史上の人物がたくさんいらっしゃいますが、その中でも役小角の点数が群を抜いています。

一部では架空の人物にもされているようですが、南龍先生に言わせると、「古今無双」の霊力の持ち主だったそうです。

 

 

また、キリストとユダの点数を見ると、ユダの方が若干高いのも気づきます。

 

金井先生の解釈によれば、ユダがキリストを売ったのは、キリストとの約束が出来ていて、二人で神様シナリオを演じたに過ぎないそうです。そしてユダほどの力量が無ければこの演出を演じきることが出来なかったのだ、とも。

 

 

易者の中では明治時代の長井金風、九鬼盛隆、根本通明や江戸時代の新井白蛾、真勢中洲などの偉大な先人には及びもつかないまでも、今生を生きている間に少しでも高みに辿り着きたいものです。

日常の中の易

生徒さんやお客様の中には、周易には崇高な、または深刻な悩みでないと聞いてはいけないように思われている方がけっこういらっしゃいます。

 

 

「こんなことを聞いて良いものかどうか・・・」

 

 

「つまらないことなんですが、聞いても良いでしょうか・・・」

 

 

などと言われるので、どうぞどうぞ、易はどんなに些細なことでも答えを出してくれますから、遠慮なくおっしゃってください、と言うと、皆さん安心したように色々なことをお話してくださいます。

 

 

 

これはお客様や生徒さんだけでなく、私自身にも当てはまることで、日常生活の細々したことでも易は答えを出してくれます。

 

 

先日、こんなことがありました。

 

梅雨明けになったと思ったら、連日の猛暑続きで、部屋でゆっくり本を読もうにもあまりにも暑くて、もう我慢ならんと近所の某大手コーヒーショップへ行こうと思いました。(基本的にクーラーは嫌いなので、自分の部屋にはクーラーは設置してません)

 

 

が、このコーヒーショップ、近所にあるのは有難いのですが、有名店ゆえにいつも混雑していて、なかなか席を確保できないのが難点です。

 

 

ここでなくても、他の候補もいくつかあるのですが、一番近所にあるここが良いと思って、易を立ててみました。

 

 

今行って席があるかどうか、と言う占的です。

 

席がある、に得た易は

 

沢雷随 九四

 

でした。

 

 

この易を見て、これは席が確保できるなと思い、すぐに出かけていくと、案の定、一つだけ空いた席を確保できました。

 

 

が、この沢雷随九四にはこう言う言葉が添えられています。

 

「随って獲るあり。貞なれども凶」

 

この言葉の前半の「随(したが)って獲(う)るあり」は、行動すれば成果が得られるだろう、と解釈できます。

 

しかし、後半の「貞なれども凶」は何を言うのか、家を出る時点では分かりませんでした。

 

「貞なれども凶」は、自分は大丈夫だと思っていても、行動すれば厄介なことになる、と解釈できます。

 

 

でもまあ、凶といっても近所のコーヒーショップに行く程度のことだし、大したことは無いだろうと思って出かけました。

 

 

で、前述の通り、一つだけ空いていた席を確保できたのですが、注文の列に並んでいる時に、ハッと気付きました。

 

 

マスクしてこなかった・・・

 

 

今の自宅は繁華街のすぐ側にあるのですが、あまりにも自宅の側なので、これまでもついマスクをしないまま出かけてしまい、途中で気づいて引き返すことがしばしばあったのですが、この時はコーヒーショップの列に並ぶまで気付きませんでした。

 

 

そこでハッと思い出したのが「貞なれども凶」と言う言葉です。

 

 

 

そうか~これだったか~

 

 

 

とは思ったものの、後悔先に立たず。

 

仕方なく、そそくさと注文したコーヒーを飲み干して帰宅しました。

 

なので、ゆっくりと本を読むことは出来ませんでした。

 

 

 

帰宅して、改めて自分のノート(鑑定のためのアンチョコのようなもの)を開いて「沢雷随九四」を確認してみると・・・

 

 

「調子に乗ってやりすぎて困ることになる」とか

「過信しているから、やりすぎてアウト」

 

 

などと、ちゃんと自分で書いています。

 

 

 

でも、目先の欲にはつい惑わされるんですよね。

 

 

私もまだまだ。易者としての甘さを易に教えられました。