コロナか?
数日前から咳が出て微熱があり、こんなご時世なのでもしかしてと思わないでもなかったのですが、以前易を立ててコロナに罹患するかどうかを聞いたところ、私はコロナに罹患しない、と出たので放っておきました。
しかし、37.7度の熱が出て、カミさんが騒ぎ出したので、改めて易を立ててみました。
コロナに罹っている
火沢睽4
方針
艮為山5
ああ、こりゃ単なる風邪だ、コロナじゃないや、と思いました。
ここ数日の猛暑の夜、あまりにも暑いのでクーラーをかけっ放しにして寝たところ、寒くて目を覚ましたことが何度かあったので、きっと寝冷えだろうと思ったのですがうちのカミさんは易のことを信じようとしません。
仕方ないので夕方になってあちこちの医者に電話しましたが、時すでに遅く、幸い、どこも受付を終了していました。
じゃあ、明日朝一で医者に行くからさ、とカミさんに言って、熱めの風呂に浸かって汗を出しました。
風呂上がりに明日は熱が下がるかな、と思って易を立てたら、こういう時は易も親切に教えてくれるもんですね。一切ひねりもなく、ストレートに教えてくれました。
離為火3
これなら明日は熱も下がるし、もう医者に行かなくても良いや、と早めに寝床に入りました。
就寝中は大汗が出て、何度かシャツを代えなければなりませんでしたが、翌朝はスッキリと目覚めて、さて体温は、と測ってみると36.5度。
平熱です。
まさに離為火3でした。
離為火3、というのは太陽が沈んでいく日没を意味します。これを今回のケースに当てはめれば、離の火はそのまま熱。現在は離為火2だから最も熱が高い状態だけれど、明日になれば西に太陽が没するように熱も下がっていくだろう、と判断出来ます。
が、カミさんも諦めません。もう医者も開いているからすぐに電話して行って来い、と。
まあ、大勢の子供を相手の仕事をしているのでハッキリさせたいのも分かりますので、仕方ないとかかりつけの医者に電話して予約を取りました。
で、いざ診察してみると、医者から「薬いる?」とか「PCR検査するの?」と聞かれたので、一応解熱剤だけ下さいな、ともらってきました。
一応PCR検査もその場でやりましたが、この結果が出るのは明日以降。
そこで、易はどう言うかと思ってPCR検査引っかかるか、という占的で立ててみると、
山火賁上
あ、これは陰性確実だわ、と思いましたが、一応医者の連絡も待ってみましょう。
で、いざ連絡が来てみたら、予想通り「陰性です」とのこと。
山火賁上には「白賁(白く飾る)」と言う言葉があり、陽性の疑いも全て真っ白になる、と言うことだったのでしょう。
普段のゴタゴタしたことには結構面倒な答えを出してくる易ですが、こういった重要な案件に関してはストレートに、分かりやすく答えを教えてくれます。
こんなところも、易の魅力の一つでしょうか。
周易を使って判断しようとすれば、ある程度出来るまでには結構な時間と労力が必要です。でも、一度周易に馴染んでしまうと、手軽に答えを導き出せるツールとして、これほど便利なものは無いのでは無いでしょうか。
質問の仕方さえ工夫すれば、それこそ森羅万象、あらゆることに答えを出してくれそうな勢いです。
周易を使い始めて、もう20年以上になりますが、ますますその魅力にのめり込んでしまいます。
キビシ~!(by財津一郎)
財津一郎という方は、今の人なら「もっとも~っとタケもっと」というCMのフレーズを思い浮かべるかもしれないが、昭和の子供にとっては、「キビシ~!」とか、「やめて~、ちょうだい!」などのギャグで楽しませてくれたコメディアン。
で、本題は財津一郎とは全く関係無いのだけれど、最近出した易の結果に、思わず「キビシ~!」と言ってしまった出来事がありました。
先日の周易セミナーの際、ある生徒さんから、こんなご相談を受けました。
うちの息子が務めている会社の上司なんですが、去年あたりから、仕事と家庭の両方にかなりストレスを抱えているようで、仕事も上の空らしいんです。
最近、二人目のお子さんが生まれたので、その育児もある程度はしなければいけないし、会社ではあれこれと仕事を任されるしで、最近は会社に来てもトイレに閉じこもっている時間が長いそうなんです。
息子としては仲の良い上司であり先輩であり、とても心配なんだそうです。
そこで生徒さんに、この上司の半年運(今は6月だから年末までの半年間の運気)の易を出してもらいました。
すると結果は・・・
山風蠱 六四
それで私は思わず、「キビシ~!」と言ってしまった、というわけです。
山風蠱六四、というのは簡単に言えば「お前、だらしないね」ということです。この上司さん、お前はだらしない奴だと易は言うわけです。
山風蠱というのは、大事件が起きて、それから跡取りが先代の後を取り繕って立て直していく話と思っていただければ分かりやすいでしょう。
蠱というのは事件、つまり先代が死んだ、あるいは失敗した。そこで跡取りがその後を担って事後処理に奮闘し、見事に新しい時代を担っていくわけです。
その中で、最も使えないのが六四、というポジション。
この六四はぐうたら息子で、一家が大変なことになっているのに何もせずにダラダラしている。この上司はそんなぐうたら息子みたいなもんだ、と易は一言で厳しく諌めるのです。
そこで、半年運の他にも色々とこの上司に関して易を立ててもらったら、どうもプレッシャーを感じてオロオロしているのは本人だけの様子。
となると、このだらしない上司をなんとか補佐しようとしているこの息子君はどうしたら良いのか、という問題が残ります。
この上司の状態が分かっただけでは片手落ちになってしまうので、この息子君はどうしたら良いか、も易に聞いて見ました。
すると易の答えは、
天地否 六二
これまた「キビシ~!」と思わざるを得ませんが、上司がだらしないだけなら、部下としてはこれは当然の事かもしれません。
天地否六二とは、つまり、「放っておけ」でしょう。
「易は風諌」という師匠の言葉を改めて思い出しました。
神仏へ祈願する、ということ
最近どんどんと仕事が無くなってきた。たまに仕事の依頼があっても大した金額にならなくて手間のかかるものばかり。このままじゃ、先が不安で仕方ない。
これから先どうしたものか。
と言うご依頼。
昨年から続くコロナ禍の影響ももちろんあるけれど、それ以前から仕事の依頼がどんどん減ってきているんだ、とのこと。
以前からのクライアントさんで、飛ぶ鳥を落とす勢いの時期もあったことも知っているし、今だに都内の一等地に仕事場を持っている方です。
久々のご依頼だったので、こんなことになっているなんて驚いてしまいました。
そこで以前に作ったこのクライアントさんの資料を引っ張り出して、改めて見て見ると・・・
この方、数年前から仕事がどん詰まりになる、と言う運気に突入されていました。
で、いつ頃から仕事が減ってきたのかを尋ねて見ると、まさにこの運気に入った頃からでした。
そして、この運気は、まだ数年続くはず。
古くから一緒に勉強をしている友人が以前に言っていた、
「所詮、人間は干支の操り人形」
と言う言葉が、この時私の頭をよぎりました。
さて、どうしたものか。
どうあがいても、以前のような飛ぶ鳥を落とす勢いには戻れないけど、この方はあの頃の金回りの良かった時の感覚のままだし。
そこで、
まずは都内一等地の仕事場を整理して自宅兼仕事場にする。
アシスタントも減らす。仕事を選ばない。
といった、当たり前のことをまずはやりましょう、と提案しました。
しかし、どうもご不満な様子。
「どこかの神様にでもお願いしたらドカンと大きな仕事入って来ないかな。先生、神様詳しいじゃないですか。どこか紹介してくださいよ」
と言われました。
紹介してくれ、と言われても、私、神様の友達じゃないし。
それに、たとえ紹介してこの方がお参りに行ったとしても、受け入れて願いを聞いてくれるかどうかはあちら様(神様)次第だし。
とはいえ、クライアントさんのご要望を無碍に断る訳にもいかず、ふと思いついたある神仏はどうだろうかと易を立ててみました。
すると、出たのは、
天沢履 九五
あ、なるほど。
分かりました。よ~く分かりました。
と易の神様に心の中でお礼をして、クライアントさんにはこうお話しました。
ご紹介しても良いですが、その神様がどこにあったとしても、あなた、死ぬまで毎月必ずお参りできますか?
雨が降ろうが槍が降ろうが、どんなに体調が悪くても、それでも死ぬまで毎月お参りできますか?
絶対にやります! とおっしゃるなら、ご紹介しますよ。(紹介じゃないけど)
と、そのクライアントさん。黙ってしまいました。
「死ぬまで・・・ですか? 毎月必ず、ですか?」
しばらくの沈黙の後、
「家族と相談してみます」
とおっしゃってお帰りになりました。
天沢履九五
と言うのは、サッカーのイエローカードのようなもの。
とっても危険である、これ以上足を踏み入れたらレッドカードだよ、と言う易の神様からの警告です。
さて、このクライアントさんはどうされるでしょう。
多くの方は、神仏にお願いすればこちらの都合に合わせてくれるかのように思われているようですが、お願いをするのならばそれなりの覚悟が必要なようです。