易の神様 | 開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ

易の神様

「易の神様」あるいは「易神」と言う言葉が使われることがあります。

 

我々のような仕事をしている場合、様々な解釈を中から一つの答えを導かなければいけないのですが、その時に、ふと閃く、ピンと来て答えを出すと、クライアントさんに驚かれることがありますが、これは多くの易者さんが経験されていることと思います。

 

これは周易、タロット、断易や六壬などの卜占だけでなく、四柱推命や算命、あるいは紫微斗数などの命占においてもあるのでは無いかと思います。

 

命占の場合、ほぼほぼ80~90%は論理的な思考によって答えを導き出すとしても、残りの10~20%の部分は、やはり閃きのようなものが必要になることがあります。

 

 

では、その閃きはどこから来るのか、と言えば、これはもう「易の神様」からの啓示としか言えないのでは無いかと思うのです。

 

 

 

この漠然とした「易の神様」をはっきりと示してくれたのは、金井南龍先生でした。

 

 

南龍先生はこの易の神様を「御蠱の蠱神(みまじのこがみ)」とおっしゃっていました。

 

人間生活のすぐ側にいつもいらして、人の運やツキを司ってらっしゃる神様だそうです。

 

 

ただ、この神様、人からのお願いが通用しないようで、運やツキはあなた(蠱神)任せになってしまうのだそうです。

 

「対面交通ができてウンやツキを自由にすることができたら、えらいコッチャになってしまう」ようです。

 

 

また、その人間の人徳、財の多寡、所業などには関係しないようです。

 

その証拠に、どんなに悪どいことをして金儲けをしても塀の中に落ちない人がいるのは、世間で広く知られていることでしょう。

 

 

でも、いや、となればなおさらのこと、どこかにこの蠱神様が祀られているのであれば、一目散に馳せ参じて参拝せねばならないと思うのですが、あいにく、この蠱神様を祀っている神社は無いようです。

 

特に日本においては、天皇家のために尽力されてくださった御神霊以外はひた隠しに隠されてしまっているようで、そういった意味でも古神道の復活が望まれるのですが、現在、この蠱神様を祀られている神社は無いようです。

 

 

が、比較的人口に膾炙している、とある大きな神社の神様は、蠱神様では無いけれど、易の神様でもあり、私は毎年のように参拝させていただいています。

 

 

この御神霊とは私は縁が深いようで、参拝するために境内に足を踏み入れた途端に、えも言われぬ幸福感に満たされます。

 

 

とは言え、だからといって運やツキに恵まれて仕事や財運が良くなるわけではありませんので、誤解されませんように。

 

恩頼(みたまのふゆ)はあなた(御神霊)任せで、こちらが望んだからとて、すぐにいただけるものでは無いようです。