開運は自分を知ることから始まる 羽田一彦のブログ -15ページ目

無双原理・易ー実用弁証法ー の紹介

 

 

私が持っているのは1975年発行とあるので、かなり版も古いのですが、今は装丁も新しいのがあるはずです。

 

この本の著者、桜沢如一(さくらざわじょいち、またはゆきかず)は明治生まれの人で、少年~青年時代は病弱だったが、明治の軍医、石坂左玄が唱えた食養法によって健康を取り戻し、この研究と普及に努め、今では「マクロビオティック」と言われる生活様式を確立した人です。

 

マクロビオティックというと、単なる食事法とか、ひどいのになるとダイエット法と勘違いされていることが多いようですが、これは生活様式であり、生き方であり、食事法はその一つの応用に過ぎません。

 

そのマクロビオティックの原理を説いたのが、この『無双原理・易ー実用弁証法』です。

 

 

私も最初は占いの本かと思って読み始めたのですが、全く違いました。

 

が、この本は占いの技術書などをはるかに凌駕するとんでもない内容でした。しかし、占術、特に東洋系の占術を学びたい方にとっては必読書では無いかと思います。

 

これは卜占、命占を問わず、です。

 

 

この本のタイトルにある、無双原理とは、宇宙を貫く根本原理であり、それは陰と陽のことです。

 

易で使う、あの陰陽です。

 

 

 

巻頭にはこのような言葉が書かれています。

 

「人はダレでも幸福である。そしてその精神的健全(徳)と肉体的幸福(健康)は根本世界原理ー生命人生大自然の根本原理に関する発明自得理解の深さと体験の方向に正比例する。だから幸せでなかったらその人の罪、無知、無理解である。易はこの根本世界原理を簡素平易な言葉『陰陽』の二字(或は符号)で我々に教える」

 

「帝王の書、易は広大悉く備わる。それは『宇宙の秩序』、万物が不断に展開し転換してゆく原理である。つまり『無常』のメカニズムを教える。

易は古今無双千古不滅の『無常』の根本原理である。だから唯一無双の恒常の原理である。

それは哲学と科学を一貫し総合する。易は実に『真理』の本体である。

それは現在の東西相剋、東西文明の正面衝突、空前の全人類の不安と恐怖を最高の総合文明に展開せしめる方法を示す。

易はあらゆる思想と行動と技術に最高の審判を与える。

易は日と月のめぐる如く、めぐりめぐり、狂うコトなく正しくしかも何よりも『易しい』転換の原理である。」

 

 

 

いわゆる占いとしての易ではなく、易の根本的な原理(陰陽)と、その科学的な応用の一部について書かれています。

 

そして、この原理を最も理解していたのは老子と西遊記の作者であろうと桜沢如一は書いていますが、奇しくも私も算命の師匠に「老子と西遊記は読んでおきなさい」とかつて言われたことがあります。

 

古色蒼然と見える易、そして陰陽の原理の理解を助けるためにも、占いとしての易をより深く探求するためにも、この一冊、そしてこの他にも沢山書かされいる桜沢如一の著作は、今なお輝きを失っていないのでは無いかと思うのです。

 

 

興味のある方は、是非探してみてください。

 

神仏への参拝

以前のブログでも、神仏への信仰、帰依は大事だと書いたかと思うのですが、ではどこの神仏へお参りしたら良いのかというと、人それぞれ、と言うしか無いのですが、まずはご自宅に神仏がお祀りされているのであれば、それに手を合わせるのが始まりでしょう。

 

私が神仏との縁をいただいたのは二十代の頃でした。

地元では有名だった私の師匠(易の師匠ではありません)の所に縁があって顔を出すようになったのです。

が、この師匠に言われたのは、「神仏だからと言って、どこでも構わず参拝するんじゃ無い」ということでした。

これは自分に縁のある神仏にも系統のようなものがあるからのようです。

 

私は師匠の命で毎月、地元の氷川神社に参拝しているせいか、各地にある氷川神社は大抵とても良い気分で参拝できます。

最近行き始めたのは元麻布と赤坂の氷川神社で、どちらもとても良い気分に浸れます。

 

 

私の生徒さんはある仏様に縁が深いらしく毎月お参りしているのですが、この仏様は私には縁が無いのか、一度参拝に行ったけれど、何も感じるものがありませんでした。

 

でも、ある意味有名な仏様なので、その後も何度か参拝しようと思ったのですが、何故か用事が出来てしまい行けません。

 

私は自分が参拝する時も、生徒さんやお客さんに参拝をお勧めする時も、易を立てて縁の有る無しを見てからにしています。

 

そこで、この仏様への参拝について易を立ててみても、行きなさい、というような易は出ませんでした。ですから、この仏様は私には縁が無いのでしょう。

 

 

でも、ただご利益だけを求めて神仏に参拝しようとしても長くは続かないようですし、神仏の側でもどう思われているのでしょう。

 

確かにご利益は信仰に入るきっかけではあるかもしれませんが、恩頼(みたまのふゆ・神仏からのご褒美)はどんな形でいついただけるか分かりません。

が、どんなに苦しいことがあってもどん底にまでは落とされることは無い、という安心感のようなものは自分の中に出来てくるように思われます。

 

そして、これは一般的ではありませんが、私のように人から相談を受けるような仕事をしている場合、自分の中に信仰というか、清めてくれるもの、いざという時にすがるものが無いと怖いのです。

 

これには実例、というか実際に怖い事象を経験しています。とてもブログに書けるような内容では無いので詳しいことは明かせませんが、目に見えないもので仕事をしている場合、自分の中に一つでも柱になるものが無いと、とても怖いです。

 

もし皆さんが、どこかの神仏に参拝したい、あるいは縁の有る無しを知りたい、というのであればどうぞご連絡ください。

一般の鑑定と一緒にご相談お受けいたします。

 

鑑定のご予約は kaz.hata⭐︎gmail.comまで

(⭐︎は@に変えてください)

 

 

 

 

膀胱に影があるんです

先日のご依頼は、ご主人の健康のこと。

 

もう十年近くお付合いくださっているご婦人で、季節の変わり目には必ずおいでになり、近況報告やら心配事などをご相談されて行かれます。

 

その方のご主人が、先日の健康診断で、膀胱に影が見つかったとのこと。

特に自覚症状は無いんですが・・・やはり気になりますので、というので、昨年末に見た、このご主人の年運を改めて見直してみたところ、健康運が

 

澤天夬 九三

 

でした。

 

 

周易で健康運を見る場合、この九三(3番目のポジション)という位置も考えます。

 

一番下のポジションであれば足元。二番目のポジションであれば足から腿あたり。三番目のポジションであれば腰回り・・・というように、身体の大まかな位置を考えて、これも参考にしながら考えるわけです。

 

で、このご主人の場合は三番目のポジションだったので腰回り。膀胱はまさにこの位置にある臓器です。

 

また澤天夬には手術、メスという象意も含まれますので、もしかしたら膀胱の影は手術をすることになるかもしれないと考えました。

 

 

となると、この次に考えるべきは、どこの医者、または病院に行くか。

 

皆さん自宅の近所だとか、あるいは有名な大学病院などを真っ先に考える方が多いのですが、これはとても危険です。

 

私の場合、自分と医者あるいは病院との相性というものを、まず第一に考えます。

どんなに名医といわれる医者でも、あるいは有名な大学病院であっても、患者さんとの相性が悪ければ治療は思うようにはかどりません。

 

これは師匠からも実例を幾つも聞いていますし、自分が関わったクライアントさんでも経験しています。

 

 

またこれは余談ですが、師匠はよく、「医者のことはお医者様て言いやがるんだ。そのくせ、俺に対しては易者様とは言いやがらねぇんだ」と、良くおっしゃってました。(師匠は江戸弁でした)

 

実際、師匠は知り合いの医者を紹介した上で、その医者に対してあれこれと指図されてました。師匠は易を立ててその患者さんの状態を医者に説明して、治療法までもアドバイスされていましたから、医者の方が師匠の易を信用していました。

 

 

閑話休題

ということで、そのご主人のご自宅の近く、行きつけの病院(本人の希望)と、東京のとある大病院(お嬢さんが医局に事務方でお勤めで、家族はこちらを希望)のどちらかにしたいんですが、と言われましたので、これにさらにこの他の病院、という第三の選択肢も含めて易を立てました。

 

すると、自宅近くの病院は

巽為風 上九

 

東京の大病院

沢水困 上六

 

その他

火沢睽 上九

 

と出たので、まず、自宅近くの病院は、今回は止めましょうとお話ししました。

 

巽為風は重卦といって、繰り返しを示唆しますので、以前にもこの病院を利用されていて馴染みがあったし、自宅の近くなので便利なのでしょう。

 

しかし、今回の上九(6番目のポジション)では、あまりお勧めできません。

 

東京の大病院は、自宅近くの病院よりは良いけれど治療に時間がかかるかもしれないと思いました。

 

で、その他という選択肢がこの場合は最も良いと思われたのですが、あまりにも漠然としているので、これから新たに病院なり医者なりを探すのは大変だから、ということで東京の大病院へ行くこととなりました。

 

通常は、この手の大病院は入院するにしても順番待ちで時間がかかるそうなのですが、お嬢さんの伝手もあって、すぐに予約が取れたそうです。

 

 

となると、この先は、この膀胱の影が本人の身体にどのように影響するのか、すぐに手術しなければいけないような状態なのかどうかも心配だったので、これについて易を立てました。

 

すると出た易は

澤火革 九五

というもの。

 

どうも急を要するような症状でもなさそうです。

 

 

しかし、方針を見ると

地水師 初六

という易だったので、こうお話ししました。

 

ご主人の膀胱の影は、おそらく時間をかけてこの大きさになったもので、それほど急に手術して除去しなければならないようなものでは無さそうです。

でも、この際だから、きちんと精密検査した方が、ご本人もご家族も納得できるでしょう。

 

それで「お陰様で少し安心しました。ではまずは精密検査受けさせます」ということでお帰りになりました。

 

すると、それから1週間ほど経ってからでしょうか。お電話をいただきました。

 

お、検査の結果が出たのかな? と思いながら聞いて見ると、少し興奮した様子で「有難うございました。本当にお医者さんにも全く同じことを言われました。膀胱の影はそれほど急に手術するような性質のものじゃないから、それよりも先に心臓を整えてから(昨年、心臓疾患を発症されました)の方が良いそうです。いや~今までも易でだいぶ助けてもらいましたが、またまたお陰様で云々」とのお話し。

 

ご主人が心配ないという喜びもあってでしょうが、多少上ずった声で延々とお話しくださいました。

 

私は医者ではないので、具体的な症状や治療法についてはなんとも言えませんが、少しでもクライアントさんのお役に立てたようです。

 

こういう時の気持ち良さは何度味わっても良いものですね。

 

 

でも、私も師匠のように医者にあれこれ指示できるようになれるほど、もっと研鑽を積まなければなりません。