3年前の『そだちの科学』「暮らしやすさのためのツールの開発」の生原稿
私は文字数は思いっきり書いて、あと、減らしていくタイプです.なので、本物はスカスカになることが多し・汗
ご一読くださいませ♪
これで、4084文字。結構、いいじゃん!(爆)
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発達障害の生活を応援する エッセイ
「暮らしやすさのためのツールの開発」 株式会社 おめめどう 奥平綾子
株式会社おめめどうという会社を起業して、今年で16年になる。丹波篠山という田舎にあり、ネットショップだけが店舗で、しかも、障害児者支援を対象としたニッチなアイテムの小さな会社が、16年もよくやってこれたなと、多くの人からびっくりされる。
私の立場は、知的障害を伴った28歳の自閉症者の親である。息子が3歳6か月で自閉症と診断されてから、それまではまったく縁がなかった「障害」という分野にかかわることになった(1995)。「自閉症と診断されたからには、育て方があるはずだ」と考えた私は、田舎に住んでいたこともあって、その情報の多くを、出ていた書籍と当時の「パソコン通信」から得ることにした。
幸い、TEACCHプログラムが日本に紹介された後だったために、すぐに視覚的支援や構造化の情報にも出会うことができた。地元のことばの教室のSTさんや、児童相談所の心理士さんなどの協力者を得て、講師を呼び研修会を始め、地域の人にも「自閉症とは」から知ってもらえたのは、本当にありがたい環境だったと思う(当時の丹波篠山には誰一人詳しい人はいなかった)。私自身も、スケジュールや絵カードなどを使った暮らしぶりを、HPや講演などで紹介するようになった(1999)。
HPで発信したものをまとめて『レイルマン~自閉症文化への道しるべ』として出版(2002)。戸部けいこ先生の漫画『光とともに』のあとがきやテレビドラマの協力者ほか、講演活動などをしていたが、気になることは、いつも「実際に手立てを始める人が少ない」ということだった。ネットや本を読んでも、講演会を聞いても「ああ、あれは、奥平さんだから」「私は絵が上手じゃないし」というようなことで、する人が極端に少ない。求められて全国に行くけれども、「誰もしないのでは、自閉症児者本人にはなにも届かない」と、とてもむなしい気持ちになった。
そんな時に、亡き父が「ビジネスにしたらいい。対価を得て、その人に真摯に答えていくと、愚痴はでないよ」とアドバイスをしてくれ、起業する(2004)。それからは、これまで「自作していた視覚的支援グッズ」を、市販のツールとして販売をすることにした。セミナー会場で売れば、話を聞いた後すぐにしてもらえる。「巻物カレンダー(巻カレ®️)」「コミュニケーションメモ帳(コミュメモ®️)」を次々に開発し、ネットショップやセミナー会場での直販を行ってきた。起業して10年経ったあたりからようやく知られてきて、売上は右上がりに、16年でユーザー数は7000を超える。
さて、従来の自閉症支援は「個別性」を強調されてきたと思う。同じ障害でもその人それぞれに違いがあり、「一人一人に合わせないといけない」と考えられてきたからだ。一人ずつ違う、それは確かにそうだけれども、私が、4年間25回に及ぶ研修会の託児で、のべ1000人の自閉症児者を預かり、1500名のボランティアと接してわかったのは、その個別性は「情報のモード」であって、「フォーマット」は統一されても十分やれるということだった。同じスタイルの視覚的支援を何回か継続して使うことで、彼らは「フォーマットの意味取り」をしていくからである。
その代表が「巻物カレンダー」だった。二軸で読まなければならない七曜日式ではいくら見せても全く反応がなかった息子に日が連続するカレンダーを使ったところ、すぐに日の流れを理解するようになった。それをよりわかりやすく改良したのが、横一列の「巻カレ®️」。知的に重度であれ、高機能であれ、本人にわかる情報を「使いやすいサイズ」(各種ある)に記し続けるだけで、日々の流れがわかっていき、時間軸をしっかりと支えることができる。今では認知症や定型発達の子供たちにも使われるようになり、おめめどうの売り上げの半分を占める。「知的障害にカレンダー支援を」と言われるようになったのは、おめめどうの「巻カレ®️」ができてからだ(それまでの講演会等ではほとんど聞かれたことがない)。
自閉症・発達障害の支援は「視覚的・具体的・肯定的」に物事を伝えること。最初はこれに尽きる。最も大事なのが「みとおし」。カレンダーともう一つ「スケジュール」という一日の流れや「手順書」という活動の流れをわかるようにすること。おめめどうでは、そのためのアイテムを1番多く用意している。「みとおしメモ」「よていシート」「ピリカ」といった紙製品から、マグネットボードやMITECA(プラスチックカード)などもあり、本人の「個別な情報モード」に応えられるようになっている。
本人がわかる「みとおし」を、家、園、学校、事業所で共通に使うことで、どこでも、同じ支援が受けられ、わかる環境ができるわけだ。ツールの良さは、人、場所を選ばないこと。お母さんでも、お父さんでも、先生でも、ヘルパーさんでも、支援者さんでも、同じようにできること。
わかるカレンダーとスケジュールで「いつなにがある」がわかると、そこまでの段取りや心構えをしていく。つまり「みとおし」とは、本人の「心を支えるためにある」のだ。行動障害の相談にのるとき、当事者が「わかるカレンダーやスケジュールがない、見通しがない暮らし」をさせられていることが多い。心が支えられてないのだもの、そりゃ、いきあたりばったりな行動しかしないだろう。落ち着くはずがない。
また、障害者差別解消法の大きなスローガン「我々のことを我々抜きで決めるな!」の通り、「本人のことは本人が選ぶ」という基本的人権を守るために、おめめどうでは「本人の選択活動」を大切にする。代表的なツールが「えらぶメモ」だ。
障害がある人を前にすると、どうしても、こちら側の想いを押し付けたくなる。「これがいいわ」「いつもこれでしょ」、支援側の人権感覚が薄い間は、「良かれと思って」という「パターナリズム」に陥ってしまう。それをやめるためにも、いつも使えるアイテムがいるのだ。もちろん、○をした方(選んだ方)を渡すを繰り返すことで、本人にも「えらぶ」が分かっていくけれども、こちら側も「本人に尋ねる」を忘れないで済む。ツールの良さは、個人の気分や感覚に頼らないところだと言える。
そして、「おはなしメモ」といって、「人物とふきだし」を配置したメモは、だれから誰にという言葉の方向性がはっきりとみえる形になっていて、言葉の方向性がわかりにくい(想像して考えることがしにくい)自閉症の人にとっては、発信者が誰かがはっきりわかる。シンプルだけれど、とても優れたアイテムだ。メールもLINEの方が主流になってきたように、自分に向けられているということが明確に伝わる方が楽だし、「誰に伝えているのか?」ということもはっきりする。「おはなしメモ」によって、目の前にいない人とも直接対峙が可能になった。これは画期的なことだと思っている。
「えらぶ」「おはなし」が合わさることで、単に押し付けでない、本人が選んだ、本人が主張した「みとおし」になっていく。これが、昔『自閉症にはスケジュールが有効だ』と「輸入されていた当初のもの」と、「おめめどうの話すスケジュール」の「違い」である。
自閉症児者に「筆談・描写をする」(他の◯×メモ、とけいメモ、どうしてメモなど、フォーマットで意図を伝える紙を使う)というのも、おめめどうがこれらのツールを作ってから、盛んにされるようになった。音声言語だけではすれ違っていたことが、筆談によってズレが減り、関係性が生まれ、穏やかな暮らしになったという嬉しい感想が、おめめどうには数多く寄せられる。障害の重軽や年齢や地域は選ばない。しかも安価で、コスパも良く、低所得者層もカバーできる。
この「みとおし」「えらぶ」「おはなし」と、杖の役割(ICF)と「年齢と性別の尊重」(人権尊重)が、おめめどうのお話しする五つの手立てである。これらが「全部」暮らしであるようにしてほしい。
おめめどうでは、「障害とは克服するものではなく、上手に付き合うもの」と考えていて、なにか困ったところがあれば、まずは、ツールで補えないかを考ええるし、その中で、本人がしたいこと、できること、動くことをしっかり支えていこうと話す。
それは、従来の「できないところをなんとか伸ばそう」とする療育や訓練とは違う考え方で、最初は、戸惑いを見せる親御さんや支援さんも、グッズを使っていくうちに、「ああ、こちらの方が、自分たちも居心地がよいのだ」とわかっていく。というのも、おめめどうの巻カレやコミュメモを使うことで、本人が落ち着いて暮らし始めるからである。
どうしても、障害について、嫌悪感や否定感があるうちは、「治したい」「定型発達に近づけたい」という想いがあるのは、仕方がないが、そういう▲の目で育てられる方の身になれば、「自閉症」「知的障害」「発達障害」の特性をもったままの自分を認め、その障害ゆえの暮らしににくさの軽減をしてもらいたいと思っているのではないだろうか?
私は知的障害・自閉症と出会って、今年で25年(四半世紀)になる。その25年の歴史を紐解くと1990年代から「100円ショップ」が生まれ、2000年代になって大手ホームセンターがショッピングモールに併設され、おめめどうのような障害に特化した会社やショップも生まれたことなどをみると、障害児者の暮らしやすさのためにツールという考え方は、確実に進んできたと思う。また、目を見張る進化を遂げたデジタルアイテム、コミュニケーションアプリも豊富にある。いい時代になった。でも、それを使う「人」の方が、なかなか変わらないようにも思うけれども。
ツールを思いつき、開発し販売をするたびに、「ああ、あの人が、あの子が楽になるかな」といくつもの顔を思い浮かべる。それが、私にとって「やってきてよかった、おめめどう」と感じる、とてもシアワセな瞬間である。