くららです。


 世の中には
いろんな宗教がありますが



有名なところでは
仏教徒か
キリスト教とか
イスラム教とかですけど



人は
気がついたら入信している宗教が

「親教」 です。


親教に入っている人は

ほぼもれなく

 「世間教(常識教)」

にも入信していると思います。




いわゆる宗教に入っていない人は

 「お釈迦様は、こう言っています(うんぬん)」
 「イエス様が、こう言っています(うんぬん)」
と言われると

 拒絶感とか
 人によってはバカにしたりするかもしれないですが

この「お釈迦様」「イエス様」の部分を


「親が」
「世間では(常識では)」
に変えると

親教や世間教に入っている事実を認めるでしょう。


お釈迦様であっても
イエス様であっても
親であっても
世間であっても
それらはすべて

自分以外の声(意見、考え)ですよね?

世の中は、大きくわけてふたつしかなくて

それは

「自分」と「自分以外」であって




自分の意見、思い、本音、気持ち以外に従っているとすれば

それは

「他人教」に入信していることになります。



で、コレで生きるとツライ。





本来ひとは

自分を生きたくて生まれて来ているから。



自分を生きたくて生まれて来ているのに


他人の意見、考え、で生きているから


なんかツライ、しんどい、面白くない、生きている気がしない。

などという現象が起きてくるようです。








日々が

なんとなく「つまらん、おもしろくない、ツライ、しんどい」と思っているなら


「自分を生きてないよーーー」っていうサインなのでしょうね。



でも
そんな毎日を送っていても

「嬉しい、楽しい、喜び、気もちいい」と感じる瞬間はあるはずで

その瞬間は


人は

「自分を生きている」んだと思います。




自分の気持ちに正直に生きる=自分教に入信





だれもが、自分教を持っていて



親であるわたしは

子どもに

つい「わたしの自分教(子どもから観たら親教)」に入信を強要してしまっていましたが
(いまもよくしそうになりますが)


「私にはわたしの自分教があるように、子どもにはこどもの自分教があるのだ」

いましめてます。
(よく忘れますが)





誰かひとりの意見が正しいわけでなく

だれもが自分の世界観を持って良い。


わたしの世界観とだれかの世界観が違っていても良い。


たとえそれが
親であっても、子どもであっても。



自分の宗教に子どもが入信しないと

「子どもが不幸になる」
とか
「言うことをきかない」
とか
「自分を否定されている気がする」
とか


それは勘違いなので。
(そう!勘違い!でもつい思っちゃうよね)



そんな勘違いをするときは
たいてい「偏った価値観」が隠れているので

そういう想いを見つけるチャンスでもあります。





そう思うと


この世は「宝探しゲーム」かも。





あちこちにヒントが書いてあって


分かる人にはすぐ分かるんだけど

分からない人にはほんと分からない。





でも、ここ数年は


「攻略の仕方」を教えてくれる人が増えたので


謎解きは、
飛躍的にしやすくなっていると感じています。






この世のからくりが明らかになってきていると思う今日このごろ。



手品は、タネが分からないから面白い。
なぞなぞは、答えが分からないから楽しい。



でも、そんな世界もそろそろ終わりのようです。



次のステージが待っているようですね。









次のステージの扉を開ける鍵は



「自分は本当はどうしたいの?」









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誰の為に生きてる?
何の為に生きてる?





お金のために生きてないか?


親の為に生きてないか?


子どもの為に生きてないか?


世間の為に生きてないか?






いい加減



自分の為に生きろ!








*これは自分あてへのメッセージです
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玉子を割ったら
なんと双子チャン♪
ラッキー♪






シンデレラも
引き寄せマスターも
毎日をルンルン気分で過ごしていることを知ったわたしは

「私もルンルン気分で過ごそう♪」

と決めました。


何もなくてもいいんです。

とにかくご機嫌に過ごす。

天気いいなー
とか
冷蔵庫の冷気が気持ちいー
とか
洗濯ものが乾くわー
とか
ぼーっとできて幸せー
とか

なんでもいいの。

とにかく
「私はご機嫌で過ごすんだ」と決めてそういう気持ちで過ごすだけ!


過去ブログに書いたけど
一つの絵のなかには
違う二つのものが描かれている。
どちらに注目するかを決めるのは自分。

ならば、

「わざわざ不機嫌な気分を選ばなくてもいいんじゃない?」

と思いました。



確かに未来は大事。
先の事に備える事は大事。

でも
今、今日と言う日を不安でいっぱいにしてまで
未来に備える必要はあるのだろうか?


うまくいっている(ようにみえる)人たちが
意図的に
今この瞬間もルンルン気分でいることを選択しているなら

私もやってみよう。


と思いました。


もちろん、
すべての時間をルンルンで過ごせるほど
達人ではないので

やっと乗れるようになった
自転車の運転のようですが
(ふらふらしている)

がんばる!

ルンルン気分を選択することを頑張る!




だって
その方が気分いいから♪
その方が幸せだから♪
そして私がご機嫌だと周りもなんとなく嬉しそうだから♪


だから
るんるん気分でいる事を意識する。

朝起きたら
「なにもなくてもルンルンしていよう」と決める。


よろしければご一緒にいかが☆



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なんかうま



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母より、
「今週中にキッチンへモノを納めよ指令」
がでて

のんびりモードを
ちょっとだけお急ぎモードに変えたくららです。






気がついたことがあります。

いえ、
「やっぱりそうなんだと再認識した」
と言った方が正確か。


なにを再認識したか、というと。

「やっぱり、外側じゃなく、内側なんだ」
ということ。


キッチンのリフォームが終わって
ホントなら
気分爽快、きれいなキッチンでウキウキ♪
なはずなんですよね。


毎日、家にいることが
だんだん退屈でつまらんなーと想っていた私は
お仕事に行けることも
本当なら
ウキウキしてもいいはずなんですよね。



でも。

私自身の内側が
「つまらん」
と想っていたから

環境変えても
やっぱり対して面白くない
訳です。


これって。

例えば
「もっとお金があったら、もっと楽しい人生だろうに」

「もっと素敵なパートナーがいたら、もっと楽しい人生だろうに」

ということも同じことであって。


今「つまらなければ」
たとえ
今以上にお金があっても
今以上に素敵なパートナーがいても

たいして変わらないってことなんですよ。



内側が変わらない限り
外側変えても同じってことです。


やっぱり、内側に意識向けないと
だめなんだな~。


「じゃあ、どう変わればいいんだよ?」
ってことで



このかたのブログ から
シェアさせていただきます。



◎自分軸


◎外側の現実、意見に流されない。


◎迷ったら、一番好きなこと・ものを選択。


◎考えない、感じることを大切にする。


◎謙遜しない。


◎すべてOK。すべてYES。


◎イヤなことに対しては正直にNOという(NOと云える自分にYES)


◎何があっても自分を責めない。


◎何があっても結果的には塞翁が馬でなんかうまくいくと想い込む。


◎何があっても大丈夫、を口癖にする。


◎何があってもナンカウマ~を口癖にする。

(↑注)ナンカウマは「なんかしらんけどうまく行く」という意味)


◎自分は望むもの・ことをすべて受け取って好いと許可する。


◎自分が受け取ったら、他の人の分が無くなるではないかという想い込みをなくす。


◎どんな過去があったとしても、一切関係ない。

 


 

◎周囲が何を云おうと、一切関係ない。


◎過去にも未来にも意識を囚われない。今だけを意識する。


◎自分が幸せで在るからこそ、周りも幸せで在るということを認める。


◎すべてに於いて、自分に制限をかけない。


◎自分でなんとかしようとしない。


◎自我でなんとかしようとしなければしないほど(手放し)、なんかうまくいくという仕組みを信頼する。


◎見えない力(宇宙)へのお任せ力を身に付ける。


◎まず、見えるエネルギー(外側の世界)へ行動するのではなく、見えないエネルギー(内側の世界)に働きかける。





要するに
「内側が原因」で
「外側が結果」なんですよね。


そこを
いままで頭レベルでしか認識できていなかったんですが


今回の
キッチンの件と
アルバイトの件で

本当に腑に落ちました。

「やっぱり内側が大事」ってことなんだって。


「今をわくわく過ごす事。」
「とくになにか嬉しい事がなくても喜びとともにいる事。」

それが
自然とできるようになると
人生少しずつ変わるんじゃないかと言う気がしています。


ていうかさ。

上の太文字を実行してると
自分のハートが喜ぶから
気がついたら
なんかしらんけど毎日楽しくなってくる。


「なんかしらんけど、今日もいい日~♪」
って想えてくる。




「何があっても自分を責めない」



基本中の基本で

とにかく

これだけは、徹底してやったほうがいいと想う。


実際、
自分を一番責めてるの、実は自分だし。(^^;)




一緒に
自分の内側を喜びでいっぱいにしませんか?(^^)/



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なんかうま





あしたから、アルバイトに
行く予定のくららです。





使命って
なんかすごく大きなものだったり
崇高なイメージがあるんですが、

全員共通の使命は
「自分自身を幸せにする」こと
なんじゃないかと
ふと想いました。


なんつーか
ソレが基本というか、
ソレができてからの「次」
というか。。

他人を気にしている場合じゃない
かも、しれないですよ。


さっきの私なんかは

「他人を意識から追い出してしまえ」
「他人なんていないと想ってしまえ」
とまで想いましたから。

世の中に
「自分」しかいなかったら

怖くてチャレンジできないとか
恥ずかしくて、とか
人目が気になって、とか
失敗が怖くて、
とか、ないもんね~。


だって
自分以外誰もいないんだもん。



おそらく、ですが。

他人は「意識するからいる」のであって
「意識しなければいないも同然」だと想うのですよ。


「うさぎとカメ」
のカメって

うさぎのこと、ほとんど気にしてないと想うんですよね。

ただ、お山のてっぺんだけを目指していた。

ソレに比べて
ウサギはカメの事ばっかり気にしていた、ように見えます。


カメは「ウサギより早く着く事」より
「お山のてっぺんに着く事」が大事だったと想うから
もし、ウサギが先に着いたとしても
気にせず、ゴールを目指し続けたんじゃないかな?


と、これは私の勝手な妄想ですが。


何を言いたいかと言えば
『他人なんて気にするのやめようよ』
ということ。


という私が
「気にしていないのか?」
と聞かれれば
そうでもないのですが。。


でも、以前から見ると随分気にしなくなりました。

その分、楽に生きられるようになったし
自由度が増した気がします。


まだまだ、ですけどね~。

でもそうやって
少しずつでも自分を楽に、幸せにしていけている事が
なんだか嬉しいなーと想うのです。







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めいん



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なんかうま