ふたり


         この庭に
         四つ葉のたねを
         蒔きましょう
         しあわせ探して
         彷徨わぬよう


ご近所の一軒に、

玄関先の花壇いちめん、敷き詰めるように、

クローバーが植えられているお宅があります。


それは、原っぱにあるクローバーではなくて、

手をかけて、育んでいるという感じがして。

花壇の前を通るたびに、いつもわたしは、

手の中にある「幸せ」について考えます。


「幸せさがし」という言葉がありますが、

ほんとうは、幸せは探すものではなく、

丁寧に育んでゆくもの、なのかもしれません。


ないものを求めて、

満たされない心を抱えて、さまようのではなく、

自分の庭に幸せの種を蒔き、この手で育てる。


そのほうが、きっとおおらかに、確信にみちて、

幸せに近づけるような気がします。


少なくとも、

「見つからない」と、嘆くことはないのですから。


ねこ


        猫みたく、

        にゃあと啼ければ

        いいのにね。

        にんげんだって

        たんじゅんに。


のら猫は媚びない感じが素敵だし、

いえ猫は甘え上手なところがいいな、と思う。


のら猫も、いえ猫も、

猫は生きるのがとても上手そうに見えるから。
自分らしさや、自分以外の人との関わり方という意味で、

猫的なバランス感覚はお手本にしたいものの一つです。


私たちの心の中には、いつも正反対の自分がいます。

誰にも甘えずに頑張りたい強い自分と、本当はもろくて、

いつも誰かと寄り添っていたい自分。

ふたつの心が葛藤したり、傾いたり、折り合いながら、

その人なりの「生き方」のスタイルが生まれるのですが、

どちらも同じように大切で、同じように必要なものです。


意地を張ったりしない。
淋しいときは、強がらないでそばにいる人に甘えること。

反対に、甘えたい人をちゃんと甘えさせてあげること。


淋しがらない。

ひとりの自分に、しっかり向き合うこと。

自分の道を揺るぎなく、すくっと進むこと。


猫は、すーっと擦り寄ってくるときも、それから、ぷいと

離れていくときも、同じように「にゃあ」と啼くのですが。

甘えたいときの「にゃあ」も、
ほっといて、一人で大丈夫の「にゃあ」も。

それはとても明確な、はっきりとした意思表示です。


今よりも少しだけ、

自由に、のびやかに生きてみたくなったら─。

ほんのちょっぴり、猫の空気を纏ってみる、というのも、

いいかもしれません。



写真:Foujitaさん  Perfumed Garden Annex


チョコ


         あまいチョコ

         一粒あれば

         ごきげんになる。


         幸せのカケラは

         すぐ手にはいる。


ちょっと、ひと息つきたいとき。

なんだか、気分がパッとしないとき。

甘いものが無性に食べたくなることがあります。


甘いものが欲しくなる、という心理は、

もしかすると、自分をほんのすこし甘やかしたいな、

と思っているときかもしれません。


あわただしく過ぎてゆく毎日。

家族のために、子どものために、誰かのために。

時間をとられたり、心を配ったりすることは、増える

ことはあっても、減ることはありません。

だけど、「誰かのため」という気持ちを優先していると、

知らず知らずにストレスがたまってゆくもの。


心のゆとりというのは、わずかでもいい、自分のため

だけに時間を使うことなのでしょう

手間をかけること。

ほんのすこし、贅沢してみること。


たとえば、遠くまで高価なチョコレートを買いに行く。

自分のためだけに、たった一人分のお茶を丁寧に

淹れてみる。


甘やかな時間は心をゆるめて、

それから、気持ちをきゅっとひっぱりあげてくれる、

不思議な力を連れてきてくれるように思います。


光


     こころのなかに あふれるは


     ころり ころり
     意志というなの このひかり

     からり ころり
     あしたにひびく このひかり


     こころのなかに あふれるは
     わたしのために あるひかり
     だれかもてらす このひかり

 

 絵:日向結人さん 心のイロ、心のカタチ。


そら


          あさの空を
          見上げる。
          約束はひとつ、
          背筋をぴんと
          伸ばすこと。


朝の空は、まっさら、という感じがして好きです。


それはまひるの空でもなく、ゆうがたの空でもなく、
色にも匂いにも、何かとくべつな透明感があるよう
な気がします。


末っ子が通う保育園は、駐車場から園の門まで、

ゆるやかなのぼり坂になっています。坂をあがると

き、毎朝、視界に空が広がります。
のぼり坂は決してラクではないけれど。意識しても
しなくても、いつもちゃんと空が見える。
これは私にとって、ちょっとした嬉しい発見でした。


もしかすると、人生もおなじかもしれません。
坂道の途中で、息がきれてしまいそうなときほど、

本当は、空を近くに感じる場所に立っていて。

のぼりきった先には、きっときれいな空が広がって

いる。そんなふうに思えたなら、どんなことも楽しん

で進んでゆけるように思えるのです。


朝、息子とふたりで、手をつないで空を見上げます。
「今日も、空が青いねー」
「ほんとだねー」


おかしいくらい、いつも同じセリフを繰り返している
のですが、おなじ風景をみて"きれい"と感じる時間

を共有できるのは、実はとても幸せなこと。


ありふれた暮らしの中には、とてもささいな、だけど、
幸福と呼べる瞬間がいくつもあるのだと思います。

空の写真:Nature から