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ウモジャ Umoja 赤坂公演

秋の連休に赤坂で公演される「ウモジャ - 感動のアフリカ・ミュージカル」という南アのグループの興業広告が新聞にデカデカと載っている。

そこには「アフリカ音楽とダンスで黒人文化のルーツを辿る」とか「野生的な踊りからHIPPOPまで圧倒的な身体能力」などなどこれでもかこれでもかと陳腐な言い回しが満載だ。

こう云うのを見るとケチを付けたくなる。まず、スワヒリ語の数詞Moja(1),Mbili(2),Tatu(3),,,のMoja(1)を抽象名詞化して「Umoja」というと「統一・統合」「一体」という意味になり、タンザニア社会主義時代の人民公社農業モデルも「Umojo」と言っていた。スワヒリ語であり南アのバンツー語族の言葉ではない。でもなんとかアフリカっぱくしたかったからこう云う命名にしたのだろうか。


「黒人らしさとはになか」と云う問いに、仏哲学者サルトルの伴侶シモーヌ・ド・ヴォーボワールが「アメリカその日その日」という文章の中で精緻に言い表わしている。

『黒人のすてきな笑いや、境遇をねたましく思わせるあの上機嫌さはなによりも白人たちが大袈裟に考えるのであるが、黒人にしてみれば、それは往々にして自分たちに要求されているのを知って白人の前でかぶっている仮面にすぎないのである』と。

アフリカ人の友人が多くいるが、彼らは別にアフリカ人であることをことさら強調することもないし、こちらもそう云うことを意識せず付き合っている。しかし、他のアフリカ人の中にはわざと「白人が大袈裟に考える」ステレオタイプの行動・言動とっていると思えるような場面にしばしば出くわすことがあり、こびているようで見ていて気分がよくない。


モッタイナイおばさんのワンガリなどもその典型のように見てとれる。彼女は、どういう衣服(西アフリカの民族衣装でもらしく見えるのならOK!)を身につけ、どう云う行動・言動をとれば白人や日本人が喜ぶのを知った上でのことと思うとアザトク見えてしかたがないのだが、、、。

9月のウモジャの赤坂公演、9,500円の全席指定だそうだけれど、これを観て「これぞアフリカの音楽と踊り!」と感動するのだろうか。

アフリカ南部から人を引きつける南ア

米国では、ハーバードのゲイツ教授が逮捕された事件が人種差別によるものだということでまだくすぶっているようだが、つい30年まえまではニューヨークのハーレムでは毎年今頃(夏)は暴動が起きたりしていたのだから、そう短時間で解決のつく問題ではないだろう。

前述の相倉久人の「現代ジャズの視点」というのは彼が60年代から書いていたものをまとめて74年に単行本としてだしたもので、題名が現代ジャズの視点となっているにもかかわらず人種差別問題が三分の一程度の扱いになっている。ついこの前までずっと重くて大きな問題だった人種問題は、なるべく触れないようにしているのかもしれないけれど消えてなくなっている訳ではない。


人種問題とは関係ないれけど、ある人とアジア・アフリカの国別の賃金の話をしていたのでちょっとその数字を。

いろいろな統計資料やデータブックをみれば「一人当たり国民総所得」などという数値は簡単に入手できるけれど、以下は一般労働者が1日働いて得られる日給の話。

バンコク近郊の工場労働者 = US$7_/日から$8_/日。

ラオス・カンボジアの工場労働者=US$3/日_から$4_/日。

ミャンマー縫製業労働者 = US$1.20/日から$1.50/日。

ミャンマーの胡麻収穫時の大量雇用される労働者=US$2_/日。

モザンビーク・マラウィの農産品加工工場労働者= US$1.20/日から$1.50/日。

ケニアのナイロビ近郊工場労働者=US$3_/日。

ケニアの地方農園労働者= US$2_/日。

ヨハネスバーグ近郊工場労働者= US$7_/日から$8_/日。バンコクと同レベル。


国家破綻の危機に直面しているジンバブェも、モザンビークも南アの隣国だから、「来るな!」と言われても国境を越えて人が南アへ流入してします。

アフリカはジャズの故郷か

ナイロビのKenyatta International Conference Centre(KICC)で開催されていたAGOAが昨日閉幕したようだ。

KICCといえば長いことナイロビで一番高い建物で、最上階の29階?は回転展望レストランになっていて、日曜日の昼にはジャズの生演奏などをやっていた。30年前の話だけど。

日本人のサックス奏者で「吾郎さん」と呼ばれていたジャズマンがナイロビの下町リバーロードのあたりの安宿に住んで演奏活動をしていた。詳しく聞いた訳ではないけれど、ケニアに来たものの一緒のバンドを組んだりセッションのできる、つまりジャズを知っている・演奏のできるケニア人ミュージシャンというのが見つからず、米国から遊びに来ていたアマのジャズ・ギタリストやナイロビ在住のドイツ人ピアニストなどと即製バンドを組んでKICCで演奏していた。


ナベサダや久保田利伸などいろいろなミュージシャンが東アフリカで音楽のルーツを辿る旅のようなことをやっていたけれど、ヒトのルーツは東アフリカで間違いないようだが、ジャズのルーツはアフリカではなく、まして東アフリカではない。

60年代にスィング・ジャーナルなどに記事を書いていた相倉久人という気鋭のジャズ評論家が「現代ジャズの視点-失われたリズムを求めて」(1974年音楽之友社)と云う著書のなかの「アフリカはジャズの故郷だろうか」という章で明確に説明しているが、ジャズはアメリカへ連れて行かれた西アフリカ出身者の子孫が発展させた音楽の形態であるのは確かだけれど、ジャズそのものはアフリカで発生したものではないと。


同書で著者は、音楽を構成する要素は、メロディ・ハーモニー・リズム・音色の4つだけれども、西洋音楽はメロディ・ハーモニーが基本となっているが西アフリカの音楽はリズムと音色で、両者はもともと異質の音楽であるという説明はなるほどと納得させられた。この言い方でいえば、ジャズの遠い遠いルーツはアフリカと云えるかも知れない。

同書には、アフリカへ移住してジャズ三昧と思った米国の黒人ジャズメンが西アフリカ・ガーナだったかへ行ったが、ジャズ仲間がいないことを知って結局一ヶ月で米国へ帰ったという話があった。冒頭の吾郎さんもそう云う思いをしていたのだろう。


KICCと目と鼻の先にある米国大使館での爆破テロから今日1998年8月7日で11年になる。