Hardnutのブログ -105ページ目

沈まぬ太陽

先週、「南極料理人」という映画を観た。面白かったけれど、ロケは網走あたりだったらしい。


極点では一年の半分が夜で後の半分が昼となるのはご存知の通りだけど、赤道上では毎日昼と夜の時間がきっちり12時間ずつというのはイメージできるだろうか。

ナイロビは南緯1度ちょっとなので日の出はいつも6時半ころで日没も午後6時半頃となり、これが季節によって15分くらいずれるが、日の出は垂直に太陽が昇り、日没も垂直に沈んですぐ真っ暗になる。

ドイツ北部の北緯52度のところに住んでいたけれど、地平線上を滑るように移動して沈まない太陽には馴染めなかった。


山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』が映画化され、この秋に公開されるらしく、すでに専用のWeb Siteもアップされているようだ。

主人公の恩地のモデルになった故小倉寛太郎氏の半生を山崎豊子が小説したもので、ノンフィクションではなく小説だから内容についてとやかく言う筋合いではないけれど、小説家が実際にナイロビに来られて取材した際に一生懸命アテンドした人物が結構いい加減なことを小説家に吹いたみたいで、原作の小説でもナイロビ編には誤解して書いているという箇所があった。


この前、歯医者の待合室で読んだ「小説新潮」に映画「沈まぬ太陽」の主人公・渡辺兼のインタビュー記事があり、それによると、原作にはない「ナイロビのスラム街・キベラの浮浪児たちに癒される恩地」というのがあり、渡辺兼はそのスラム街の含めアフリカに圧倒され人生観が変わったというようなことを言っているのだけれど、国際派と言われ「明日の記憶」とかを観ていい俳優と思っていただけに、あんなもので人生観が変わるような人なのかと急に軽い人物に思えた。

安易に貧民街のキベラなどのシーンを加えた若松監督にもちょっとがっかりだ。故小倉氏を知っていただけに映画はもっと重厚な仕上がりにして欲しかった。

シマウマが熱射病で倒れる東京の夏

きょうの東京の最高気温は26℃くらいとのことだけれど、いったいどうしちゃったのだろう。

今年は土用の丑の日が二回あり、今日がその二の丑とのことで昼には鰻を食ったけれど、こんな涼しい土用でいいのだろうか。


よこはま動物園ズーラシア園長で、兵庫県のコウノトリの郷でコウノトリの野生復帰を手掛けたりということをしているの増井光子さんと云う人の新聞インタビュー記事に面白い話があった。

その昔、東京の動物園では夏にシマウマやダチョウが熱射病で倒れるということを観察してどうしてだろうと不思議に思っていたのだけれど、1972年に初めて東アフリカの高原のサバンナで動物を観察したときにサバンナの気候を実際に体験し、「あぁ、あの東京の暑さじゃ熱射病になるな」と理解し、同時にあの気候に感激したという話があった。

まさに同感。きょうは異常なほど涼しいけれど、東京の夏の35℃を越える日はまたらない。


この増井さんと云う人は、この秋公開される山崎豊子原作『沈まぬ太陽』のモデルになった故小倉寛太郎氏が主宰していたサバンナ・クラブの会長もしておられるということを最近知った。

サバンナ・クラブは70年代にアフリカ、特に東アフリカに取り付かれた人たちが最初に設立したその手のクラブで、渥美清や羽仁進なども会員になっていて、みなさん、よくナイロビに来られていたようだ。


シマウマで思い出したけれど、スワヒリ語で「止まれ!」という命令語は「Simama!」と言い、日本人の観光客がミニバスでゲームドライブをしていて縞馬に出くわすと「マシウマ!」と叫ぶものだから、そのたびにアフリカ人の運転手は急ブレーキを掛けてクルマを止めたという、笑える話があった。



カルチャー・ショック

30年ほど前、「やるパックツアー」と言われたアジアへの買春ツアーが盛んな時期に、旅行代理店に勤める友人から、ツアーにキャンセルが出たとかで「フィリピン3泊。3万円で行かない?」などと云う誘いを受けたことがある。お金がなかったのが一番の理由だったけれど、そう言ったアジアは気恥ずかしいし、かといって欧米は気後れするしということで、海外へ行きたいけれどどこへ行こうかと思っているうちにナイロビでスワヒリ語の勉強ができそうだという話を聞いて飛びついた。


初めての海外がパキスタン航空のカラチ乗り継ぎナイロビ行きで、1980年4月、桜が散ったころの東京を後にした。

30年前のカラチ空港は当時の石垣島の空港よりも見劣りする施設で、乗り継ぎ待ち時間はホテルで休憩するので一旦空港を出るのだけれど、出たらスーツケースを運んでチップを貰おうとする連中がワッと押し寄せスーツケースを奪おうとするし、中には頭からすっぽりと籠をかぶったライ病患者もいて同じように手を出してきた。

カラチの市街へ行けばまたいろいろと目にして、これから先どうなるのだろうと不安がよぎった。


その時思っていたアフリカ人のイメージは、おもに米国の黒人の大柄でいかつい印象だったけれど、ナイロビに着いたら全然違っていた。東アフリカの黒人は体つきは日本人とそう変わらなく小柄だし、みんな温和だし、さらに日にちを重ねるに従いむしろ日本に似た様なところがあることに気づいてカルチャー・ショックのようなものを感じることなく馴染んでいった。


それから21年後、ドイツで欧州展開をするので北部の古都ブレーメンへ赴任したけれど、ドイツという凝り固まった先入観が大き過ぎたのか、「えっ、ドイツ人ってそうなの?」、「えっ、ドイツってそうなんだ!」ということが多々あり、アフリカよりもドイツでカルチャー・ショックを受けた。


午前中に有楽町の交通会館へパスポートのページの増補手続きをするために行ったのだけれど、あの横柄さ、公共スービスなのにとんでもない高料金、手際の悪さ、などなど。とても違和感不快感を感じるのだけど、これはカルチャー・ショックというのとはまたちょっと違うかも知れないけれど、日本ってこんなだったかなぁ?