「南アフリカワイン展示商談会&セミナー」
仕事上で付き合いのある英国系会社グループが南ア・ケープタウンの北に南アでもっとも歴史あるワイナリーを所有しており、ここのワインは英国航空のファーストクラスの機内サービスにも採用されていた。
数年前にここのワインの日本でのマーケッティングを依頼され、日本のワイン市場についていろいろと調べたことがある。
ワイン輸入元や元売へのアプローチがメインだったけれど、直接デパートのワイン売り場やワイン専門店へ出かけて行ってお店の人に話を聞いたり、棚をチェックするということもやった。
それで分かったワイン売り場の棚の大まかな構成は、フランス・ワインが棚全体の70%を占め、20%がスペイン・ドイツ・イタリアのフランス以外の欧州もの、残り10%はカリフォルニアと豪州産ということになっていて、南ア産やチリ産はと云うと在庫がないか、また、売り場にあったとしても木箱に入って床の上に置いてあるというパターンが多かった。美味しいワインが増えている国産の言及してないのはちょっとアン・フェァーな気もするが、極端な言い方をすれば上述のようだった。
産地偽称や偽ブランド事件が後を断たないのは、名の通った産地のものやブランド品に対してプレミアムを支払うからであり、また、買い手が産地やブランドを選択の目安にするからだろうが、まだブランドの確立していない南アのワインの日本市場での受け入れられ方、または評価は異常に低い。業界の人たちは南ア産を評価するのだが、お店に並んでいても客は買ってくれないので扱えないと明瞭な説明である。味覚は主観とその人の好みの領域だけど、南アのワインはレベルが高く当たり外れも少なく、最近は「コスパ」と縮めて言われるコスト・パフォーマンスと云う点から見てもなぜもっとポピュラーにならないのか不思議なくらいだ。
きょうの午後に、南ア大使館主催の「南アフリカワイン展示商談会&セミナー : 350周年を祝して」という催しが日比谷の外人特派員クラブで開催されるので覗いてきます。
日本代表W杯出場決定を受けて南アのExposureの機会が増えているので、以前より南アワインの受け入れられる素地が改善していることに期待したい。
「ぼったくり!」 ナイロビのホテル
8月末にケニア・タンザニア・南アへ出張するのでホテルの予約をしようと思い、ナイロビのホテルの料金を聞いて驚いた。ナイロビの定宿はWestlandsのJacaranda Hotelなのだけれど、一泊Kshs.15,600/=(US$200_)と言われ、ではHoliday Innはと聞いたらこちらもKshs15,400/=と、かつての相場の倍になっている。
ケニアは、ナイロビに代表される絶好の気候環境に加え、他のアフリカの国々と比べていろいろなラッキー経緯を辿ってインフラ向上させ今日至っており、UNEP本部をはじめ多くの国際機関、政府機関、民間企業、NGP/NPO、旅行者を引きつける。
地下資源がないのが幸いして先進国の資源争いの代理戦争もなかったし、植民地時代から白人、インド・パキスタン人(Asian)もほどほどにいて、全て白人で国家の運営、企業の運営ができた南アとは違い、アフリカ人を教育して育成した優秀な人材に責任あるポストに配するということをやってきたのでアフリカ人の民度も高い。
ケニアも植民地時代に、南アのアパルトヘイトと同じ概念でアフリカ人を隔離する政策をとっており、高原の平坦な土地にいたアフリカ人を「Reserve」と称する山あいに追いやり、NairobiからMt.KenyaへかけてのCentral HighlandやNakuruを中心としたWhite Highlandを切り開いていったが、南アのアパルトヘイトのようにアフリカ人を完璧に「ホームランド」に封じ込めたような厳密で精緻な人種隔離システムにはならなかった。
日本のテレビ番組で「日本全国ケンミンショー」と云うのがあり、各県によりいろいろな違った習慣などありそんなのを面白く仕立てた内容だけれど、日本国内も地方によっていろいろな違いがあることを知らされるが、これが広大なアフリカ大陸だと地方地方によって気質・習慣が違うのは容易に理解できる。それに上述のケニアと南アのような歴史的背景の違いが何世代にもわたって続けば、当然ケニア人と南ア人の気質も民度も違いが出てくる。
ナイロビは宿泊施設もふんだんにあり、ラップトップを抱えて行って到着したらすぐインターネットに接続できて、ゴルフをしたいと思えばいい設備のゴルフ場がクルマで一時間以内の距離に10以上あるしと、こう云う都市はアフリカでは珍しい。もうひとつは、とにかく気候がよい。
こんな快適で使い勝手がよく都合の好いアフリカは他にはないので人を引きつけ、腹が立つけどホテルは売り手市場となる。
Eclipse ( 日食・月食 )
ドイツではいろいろと貴重な体験をしたけれど、それは追い追い。
今日は46年振りに日本で皆既日食が観測できるとかで、午前11時頃には東京でも多くの人たちが部分日食を見ようと曇り空を見上げていた。
1980年4月に初めてケニアへ行ったとき、多くの人が胸の部分に「Eclipse」と印刷されたTシャツを来ているのを見て意味が分からなかったので辞書で単語を調べどうして同じTシャツを着ているのかを聞いたら、その2ヶ月前の2月にケニアで広く日食が観測され、ナイロビからモンバサへ向かう途中のVoiあたりが皆既日食の絶好の観測ポイントで、それなりに盛り上がってTシャツもよく売れたということだった。そして、みんなそんなに衣装持ちという訳ではないから、一度買ったらそれを着続けるのでしばらくは「Eclipse」が見られたということだった。
現在ケニアにはMitumbaと言われる古着マーケットがあちこちにあり、ジーンズやチノパンが日本円で\100から\200で買える。ジーンズ・マニアには垂涎の的とも言われるリーバイスのビンテージもので10万円以上するものを掘り出し物として見つけた日本人観光客がそんな値段で買ってその顛末を仲間に話した。それじゃぁとその話を聞いた人がナイロビの下町の古着マーケットへ出かけて行ったらスリに会って現金・パスポートなどを全部盗まれたという事件が実際にあった。
Mitumbaというのはスワヒリ語で束(Bale)塊(Bunch)の意味で、古着は先進国などで圧縮された大きな塊として後進国へ輸入される。それを買い取った人は全部洗濯をしてアイロンを掛けて古着市場で売る。この元売で財を成したキクユのおばさんはナイロビ空港へ行く途中にNyama-Choma House(郊外型焼肉レストラン)を始めたらこれが大当たりしてMitumaba Houseと呼ばれていた。
かつて外貨規制が厳しく、輸入許可・外貨割り当てが取得できない頃は、国内で生産された衣類を着るしかなかったので、勢いみんな同じデザインの服を着ることとなっていたのだ。経済が自由化されチョイスも増えということで、今どきのケニア人の服装はカラフルでバラエティに富んでいる。