世界でもっとも罪深い1マイル
昨年末に公開された映画で邦題『そして、私たちは愛に帰る』となんとも気の抜けた題名を付けたものだけど、原題は「Auf den Anderen Seite」というドイツ・トルコ合作の2007年カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞を受賞した作品で、内容は、ブレークする前のビートルズが出演していたクラブや娼婦宿が軒を並べるドイツ・ハンブルグの公娼街・レーパーバーンの売春宿で娼婦をするトルコからの移民の女性などを中心に、すれ違いを重ねながらも最後には絆を強めていく男女3組をハンブルグ・ブレーメンそしてトルコを舞台に描いた秀作であった。
映画を観ていてブレーメン駅前の「国際博物館(Ubersee Museum)」にある日本の神社の赤い鳥居なんかを見たらブレーメンへ行きたくなって、今年1月末ケルンと南のレーゲンスブルグへ行く前に3年半ぶりにブレーメンを訪れた。一番寒いときで、外気温は昼間でも氷点下7-8℃だった。
ブレーメンには2001年8月にケニアの活動の延長として欧州販売拠点を確立しようということでケニアから赴任して、正式に長期滞在ビザを取得しアパートも借り、ブレーメン郊外にかなりの大きさの事務所・工場用物件を借り会社を設立した。
1980年に初めて日本からケニアに行ったときには、覚悟をして行ったのでさほどカルチャーショックというものを感じなかったけれど、実際にドイツで生活して、ドイツ人とじっくりと接してみて、それまで抱いていた「質実剛健・勤勉・正確」などなどと云う「ドイツ」「ドイツ人」のイメージは完全な思い込みであったことを自覚して、まさにカルチャーショックというものを痛感した。
今にして思えば懐かしいけれど、かつてのハンザ同盟の主要な都市国家として歴史もありWeser河とお堀に囲まれた中心部の旧市街は美しく、そのお堀の近くにあったアパートを借りしばらく生活していた。
住所を正確に記すと「Am Staatsarchiv 4, D28203 Bremen」となる。
このアパートの横にゴミ置き場があり、1.2m x 1.2m x 1.8m程度の鉄製ゴミ箱が2つ置いてあり、ゴミは別に分別するでもなく、生ゴミ・家庭ゴミ・ガラス瓶・プラスチック・紙・古着なんでも区別なく捨てていて、2005年に退去するまではそうだった。
今年1月、懐かしくなって近くを通ったので覗いてみたら、2つのゴミ箱には「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」と書かれてあった。ドイツ全土ではないにしろ、日本人が環境先進国と崇めるドイツの一地方での実体験である。
いま、ドイツでビジネスをつづける中国人の知人が夫婦で日本へ来ているので今晩、会食の予定。
マイカーを持たなきゃもっとエコロジー
朝日新聞の「朝日川柳」という欄に、このごろのエコに対する風潮の皮肉っているものが取り上げられていた。
みんな「エコ」「エコ」と煽られているように見えても、実際には結構冷めた受け止め方をしている人もたんくさんいるのだろう。
地域によってはゴミの分別をこと細かく行って、たとえば学校のPTAなどが中心になって地域ぐるみで資源回収をして何がしかの収入を得て、それを学校運営資金の一助にするということは教育的見地からも資源保護を実際に体験させられるのだから有効に違いない。
そう云う活動があることも承知しつつ、前述の『偽善エコロジー』をもっと多くの人たちにおススメしたい。
それと、そう言った取り組みが地域により異なり、「Reduce, Reuse, Recycle!」などというキャンペーンは日本中どこでも徹底してやっているのだから「われわれの地区でも実施しなければならない」というような、なにやら妄想に取り付かれたような煽り方にも感心しない。
それが高じて、その次に出て来るのが「環境先進国のドイツでは、、、。」「ドイツでは、」「ドイツでは」というような、全く嘘くさい煽り方となる。
かつて、なんでもかんでもアメリカにかぶれて「アメリカでは、」「アメリカでは、」と云う人のことを「アメリカ出羽神」とおちょくって呼んでいた人がいたらしいけれど、「エコ先進国ドイツでは」にも困ったものだ。
全く関係ないけれど、全英オープンはTom Watsonに勝って欲しかった。
最後の最後であう言う結果になるとは。
『偽善エコロジー』
幻冬新書に『偽善エコロジー』(武田邦彦著、2008年5月初版) という本があり、発売時はちょっと話題になってその後もそれなりな版を重ねたようだ。発売時と同時に「提示されている数値が正確でない、云々」と言ってケチをつけた人もいたようだが、この本はいい本なのでもっともっと読まれてしかるべきだと思う。
目次に目を通せばストレートに内容が理解でき、レジ袋追放の真意、ダイオキシンの話などいちいちもっともな話が詳細に分かりやすく述べられているのに、こう云った趣旨がなぜ一般に受け入れないのかと不思議でならない。
現在、東京都中央区築地明石町界隈では、一般の家庭ゴミは水曜と土曜日の収集。資源ゴミ(新聞古紙)は月曜日で、ガラス瓶と缶(鉄・アルミ区別なし)はそれぞれ専用容器がゴミ置き場においてありそこに入れる。別に難しくもなんともない普通の収集方法と思う。
これが、ところ変われば一転する。福島県はもうレジ袋の有料化を実施しているし、同県石川町の場合は多分10種類以上に細かく分別しなければならず、その煩雑さは余所者には理解不能と云う状況になるが、多分、日本の多くの地方は同じようなもので、中にはもっと細かく30種類以上に分別するところもあると聞いた。
猫の額ほどの実家の裏庭はかつては母が庭いじりを楽しんでいたが、齢90歳を過ぎた母に代わり、たまに帰省して雑草を刈って小枝を払いと云うことをし、刈った草・小枝はビニールの袋に入れて決められた日に収集車がきて集めていくと言う事になっているという。ダイオキシンが発生するからとかで焚き火は禁止されているらしい。前述の新書にダイオキシンの記述があるが、焚き火でどの程度のダイオキシンが発生するというのか。また、レジ袋は有料化しておいて枯れ草はレジ袋同様袋に入させて、それを収集車で集めると言うのはなんなんだろう。
そのうちに実際に住んだことのあるドイツのことは述べるが、「エコ」という接頭辞を付ければなんでもOKというような今の風潮は、ちょっとおかしいのではないだろうか。
今週末は連休だから、これから帰省して庭の手入れと、この前漬けた梅の土用干しをする予定。