真夏の三宝寺池 | ちゃちょのブログ

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こんにちは。東京歩きのちゃちょのブログへ今回もようこそ。今回は、空模様も怪しく、電車に乗らず、地元の石神井(しゃくじい)公園・三宝寺(さんぽうじ)池・寺社を久しぶりに歩きました。

 

8月21日(水)の東京・練馬は、最低気温25.7℃の熱帯夜36日目、最高気温33.5℃の真夏日

35日目でした。湿度も高く、蒸し蒸ししていて、11時に暑さ指数31.8と、31を超えました。

世田谷区では、午後6時に記録的短時間大雨情報が出るなど、大気が不安定です。

 


沖縄から小笠原諸島を結ぶ海水が異常に温められていて、台風発生の温床になっています。

今月6個目の台風10号が発生します。来週初め、日本を襲う勢いです。早めの対策が大事です。

 

石神井公園には、従来の東京メトロ丸の内線・JR山手線で池袋に出て、西武池袋線で

急行1つ目10分で行く以外に、東京メトロ有楽町線が新木場から乗り入れています。

さらに、中華街からみなとみらい線/東急東横線と相互乗り入れの東京メトロ副都心線も

乗り入れています。途中の練馬駅まで、都営メトロ大江戸線も接続しています。

 

小さな字になりましたが、練馬区内には、路線で24駅あります。青色が西武池袋線、

下(南)側に西武新宿線、練馬駅で牡丹色の都営メトロ大江戸線、上(北)側に、黄土色

の東京メトロ有楽町線/副都心への乗り継ぎ線、さらに上に東武東上線がかすっています。

 

人口が76万人で、23区で世田谷区に次いで多く、23区の総面積の7.7%で5番目に大きいです。

内陸部にあり、都心部と比べ寒暖差が激しく、埼玉平野部並みの気候で暑さは23区1位です。

まあ、埼玉県に接した23区でも一番田舎の匂いのする区です。(埼玉県、大好きです)

 

ちゃちょの家からも、石神井公園駅からも、歩7分のところにあります。ジョギングコース

になっていて、裏の94歳のおじいさんは、涼しい毎朝5時に走りに出ます。Mr.Children桜井和寿はここをジョギングしている時にダブルミリオンを記録した曲「Tomorrow never knows」の中の、「勝利も敗北もない孤独なレース」という歌詞を思いつきました。

 

太赤字は、サイトにリンクしており、タップすれば、一気に飛びます。

 

都立石神井(しゃくじい)公園は、風致公園でもあります。ここから風致地区が伸びていて

ちゃちょの家も風致地区の内部にあります。三宝寺(さんぽうじ)池と石神井池を中心に、雑木林、高い木立がそびえる広場、史跡、運動場からなります。南側に氷川神社、三宝寺があります。

 

三宝寺池は、井の頭池、善福寺池と並んで、武蔵野三大湧水地でした(今は地面のアスファルト化

で井戸水をくみ上げています)。また、天然記念物の三宝寺沼沢(しょうたく)植物群落があります。面積は22.6haです。1959年開園。

 

12時半にフラッと小さなスーパーに水分補充のペットボトルを買いに行き、その足でまだ空模様が持ちそうだったので、3時まで歩いて帰宅しました。

 

スーパーを出たとき、見上げると、暗雲、垂れ込めていて、どうかなと思ったのですが、重いペットボトル5ℓを背負ったまま、散歩決行です。ちょうどよいトレーニングでした。

 

スーパーの脇をまっすぐ3分行くともう、石神井公園の突端です。途中の電気屋や画材道具屋がいつの間にかなくなって、コンクリのオートロック式のアパートが3軒も建ちました。なぜ、ちゃちょのアパートが正月から埋まらないのかわかりました。

 

石神井公園の東端には、芙蓉の花が咲いていました。ちゃちょの庭のは、まだです。この奥に、ススキの大きな株があって、秋になると風情を出してくれます。

 

入口のベンチは、暑さ指数31.8で、31を超えていましたから、誰もいません。

 

セミの脱け殻発見!今年は(去年もそうでしたが)、耳をつんざくようなセミの合唱と言うほどでは、ありません。やはり、異常気象なのかなあ。

 

いました、いました、アブラゼミ。関東にもクマゼミが大分、進出しているという話ですが、まだ、このミンミンゼミです。

 

石神井公園駅に近いここからは、2002年109m33階建ての駅前マンションが見えます。1階に、八重洲ブックセンター、地下にクイーンズ伊勢丹が入ってます。297戸。例えば、31階3LDK113㎡南向きで1.3億円します。西向き80㎡で8500万円。区も再開発でまっすぐ公園に来れる太い道路を、10年前に作りました。グルなんだなあ。

 

ここがボートも乗れる石神井公園池側の遊歩道です。同じ都立の井の頭公園のように売店がありませんから、池さらいは、毎年やる井の頭公園に比べ、何十年に1度です。自転車走行禁止ですが、皆、びゅんびゅん、自転車を走らせていきます。暑いので、誰も歩いていません。

 

バックに吉祥寺の繁華街がある井の頭公園に対し、デート用レストランゼロですから、地元高齢者の散歩道になってしまっているのですが、さすがに、今日はその散歩すらいないといったところでしょうか。

 

ここは、東京都が1983年整備した「歴史と文化の散歩道」の1つになっています。今は各区市が独自に紹介する観光ルートを優先しており、広報的には終了しています。

 

15.中野石神井コース14.7㎞(新宿中央公園~石神井公園)です。リンクしたPDFのコース紹介には、この地域の歴史的特徴が良く書かれています。

 

都立公園として、生物多様性の復元に取り組んでいるようなのですが、あまり、はっきりした保全区域が見当たりません。ハンノキーヨシーカキツバタの順に植っている沼地箇所も少しあります。

 

石神井公園は、1934年、三宝寺一帯が風致地区になった際、武蔵野の景観を保護する目的で作られた人工池です。1958年から石神井公園も井戸水で賄っていましたが、アオコが発生するため、2013年以降は、三宝寺池からの流水に戻しました。

 

池の南面を前にした湖畔の坂の土地は、いわば開発された一等地で、財閥系の大手企業の社長宅であったりします。家のデザインも凝った目立つ物になっています。もちろんその前を人がぞろぞろ通るので、塀は高くなっています。

 

公園南側のプールだけだったところに、区立石神井公園ふるさと文化館が、2014年オープンしました。9:00-18:00,月休。現在の館長は、漫画家の村上もとか氏です。練馬区石神井町5-12-16。

 

無料の常設展示では、武蔵野台地の地形、発掘された縄文土器、戦前まで軍需があった、たくわん用の練馬大根(細くて長くて日持ちする)、農家の生活、昔の街道、昭和の家庭や商店街のジオラマ、昔のアニメ映画製作過程の機械などが展示されています。

 

2024年9月14日~11月4日は、石川サブロウ、村上もとか、魚戸おさむなどの1985年からの漫画家やアシスタントの石神井公園花見会(大漫会)の様子や、石神井公園をモデルにした漫画のページなどが展示されます。無料。トークショーなども抽選で当たります。弘兼憲史「島耕作」吉沢やすみ「ど根性ガエル」も、石神井公園がモデルです。

 

湖畔には、意図的に、たくさんのソメイヨシノが植えられていますが、石神井公園は1913年開園ですから、かなり老木化しています。漫画家は1960年頃から、手塚治虫、ちばてつや、石ノ森章太郎、高橋留美子などが移り住んでおり、だんだん噂で加速化していきました。

 

石神井台1-16-31に、石神井図書館があります。9:00-20:00、月休。区内には13の図書館があり、石神井図書館の蔵書数は161,000冊の蔵書があります。最大は、光が丘図書館の34万冊です。

 

石神井公園と三宝寺池を分ける道路です。ふるさと文化館も石神井図書館もこの通りに面しています。坂を下ると、石神井小学校やJAがあります。

 

三宝寺池の東端は、雑草に覆われ、湖面が見えません。ただし、よく見ると、ヤブカラシなどの、はびこって根で伸びていく性悪なものはなく、冬場に枯れるものばかりです。ちゃんと、省エネ剪定?しています。

 

水辺観察園は、養生中でした。夏休みは、子どもが網などを突っ込んだり、大人が野草を引き抜いていくからでしょう。野草の札があっても、草のないことがよくあります。東京都は、2025年に緑地保全の20億円基金を作ります。里地里山が生態系や気候変動を守っています。

 

ここは、1924年、土製ですが、日本初の100mプールがあったところで、1932年ロス五輪で金メダルを取った、鶴田義之や清川正二らが合宿を組み練習しました。2022年3月26日桜三分咲きの石神井公園を散歩でも触れましたね。

 

大正期創業という駄菓子屋兼お休み処「豊島屋」です。左端のマークに気が付きましたか。ここは、とても閉鎖的で撮影禁止なんです。愛想も悪い。斜め前にもう一軒、すごくやさしい、お休み処があったのですが、40年前に、豊島屋の妨害でつぶされました。ラーメン、やきそば700円。

 

三宝寺池遊歩道です。ここは、右側の水辺植物園の小川にカワセミが来るので、一眼レフのカメラを持った列で、通れないのですが、真夏は端境期なのか、こんなにきれいに人っ子一人いません。

 

1935年指定の国の天然記念物である三宝寺沼沢植物群落があります。この三宝寺池の真ん中に浮島があって、カキツバタ、シャクジイタヌキモ、ジュンサイがかつては生い茂っていました。1950年代後半から周辺の人がヨシを利用しなくなったことで植生が変わり、保護活動中です。

 

これは、調査のため、浮島へ木の橋を渡し、調査団が入った時のビデオ映像です。(石神井公園ふるさと館で流しています)。この後、外来種の除去、本来の植生の復元が行われています。2022年8月12日の石神井川沿い水辺を歩く!でも触れました。

 

2021年1月に水を抜き、2月下旬まで池底を干し、3月下旬までかけて水を溜めていく、かいぼりを東京都公園協会が行いました。

 

石神井池水辺しんぶんNo.8(2024年3月)の通り、かいぼりをし、外来種のオオクチバス、ブルーギル、アメリカザリガニなどを駆除したことによって、エビなどの在来種は50~400匹以上に顕著に増加しているものの、取り切れなかった外来種の復活も予想され、引き続き、こうしたモニタリングで対策を講じていくようです。いたちごっこに終わらなければいいのですが、、、、

 

これは石神井公園側に子供釣り場エリアがあるのですが、大人が独占しており、ルアーフィッシングも、エリアをはみ出してバンバンやっており、醍醐味を味わうために、手元で人気の外来魚を放流している可能性を示唆しています。都の監視員の数は少なく、滅多に注意していません。

 

信じられないだろうけど、ちゃちょが小学生の頃、三宝寺池の木の杭に、一瞬だけどイセエビ並みの半透明のテナガエビがのそっと杭を登ってきたのです。そんな時代が確実にあったのです。

 

三宝寺池の奥は、やや木製の歩道が狭くなっていきます。ここらは、まぎれもなく、武蔵野台地の崖線(切れ目のがけっぷち)であって、崖から水が染み出て、自然感を出す木造の歩道は崖が急なので幅を取れず、かつ、腐りやすい難所です。

 

ここを、ちゃちょの母が急に膠原病になっちゃったとき、車いすを押しながら、会社の休日、毎回、来ていたのを、胸の痛みと共に思い出します。それが弘兼憲史「島耕作」に載っていたのを、発見した時は、もっとびっくりしました。彼も冬の寒い時、来てたのです。母が、パンの耳をちぎったものを池に投げると飛来しているカモが寄ってくる場面でした。

 

暑い中、木陰にゴイサギが休んでいました。底になっている池の周りの木々が池に映ったのがさらに、反射して三重に緑が映って、池の上に緑を描いていました。やっと、ここまで来て、心の中を爽やかな風が流れていった感じです。エサの小魚は、いっぱい、いるはずです。

 

崖には、アオキやイヌシダやワラビが、たくさん、生えています。種を落とし増えているようですが、ぼこっと穴が空ているのは、夜中、誰かが来て、抜いていっているものと思われます。自分を中心に世界が回っている人、都会に多いです。

 

日本自然保護協会観察指導員のちゃちょとしては、許せないです。くやしいけど、現行犯以外、無理だし、逆に刺されても恐いし、毎晩、ここまで見に来られないからね。東京都の職員は日中、ごく数人、サービスセンターの中にじっとしているだけなのが、現状です。

 

三宝寺池の一番奥まで来ると、石神井公園駅前の109mの高層マンションも全く見えません。

 

さて、ここで、三宝寺池を一周せず、南側の崖を登って、神社仏閣を見て帰りましょう。

 

南側の崖道を登ります。

 

石神井台1-18-24に、石神井氷川神社があります。応永年間(1394-1428)豊島氏が大宮の氷川神社から分霊勧進して創建。石神井地区の総鎮守です。年末に寄進の札が金額順にずらっと張られますが、1970年の町名変更前の地域ごとに分けられています。主祭神は、須佐之男命です。

 

しかもちゃちょの石神井町のある部分は「和田」と昔は呼ばれていたことが、その掲げられた寄進札張りによって、わかります。これを見ただけで、本当に石神井中の広範囲から寄進されていることがわかり、地域の長者がどの苗字なのかもわかります。豊田、鴨下、渡辺、、、、

 

元旦には、破魔矢をもらうために、何千人という人が坂下までびっしり並びます。遠方からも電車で来る人がいます。ちゃちょは、行きません。自分の努力に自信がない人が恥をさらして並ぶのだと今でも思っています。こうして8月に来れば、誰もいないじゃないですか。

 

東京都神社庁令和6年葉月八月生命の言葉。鎌倉時代後期第96代天皇。民の窮状を救い、自ら出向いて訴えを決断し、権益を守る公家を批判し、南北両朝が分立・抗争し、日本の一大転換点となる中で詠まれた御製です。

 

氷川神社を出て、近道を行きます。網の中は、石神井城址で、平安時代から室町時代まで石神井川流域に権勢を張った豊島氏の後期の城跡です。当主の豊島泰経と弟の泰明は、石神井城と練馬城で守りましたが、1477年4月13日、現在の早稲田大学高等学院がある愛宕山に陣を張った太田道灌によって南から攻められ、足立区の方へ敗走し、行方が分からくなりました。1998年~2003年へかけて発掘した結果、幅300m、高さ6mほどの非常時の籠城用施設であったようです。

 

落城の際、城主の娘「照姫」が、金の蔵に乗って馬ごと三宝寺に身を投げたというのは、1896年刊行の小説「照日松」のストーリーが流布されたもので、架空の人物です。終戦間際、竹ざおで三宝寺池の総浚いをしたり、今も練馬区主催で4月最終日曜に、区民から選ばれた豊島泰経、奥方、輝姫が石神井公園周辺をパレードするのは、全くの噂話の延長線上で行われています。

 

右(北側)の石神井城址保存箇所と、左(南側)の三宝寺裏側の間の道を行きます。

 

石神井台1-15-6に、真言宗智山派の亀頂山・三宝寺があります。創建は1394年です。武蔵野三十三観音第3納経所です。1940年に開創された西武池袋線をフル活用し、所沢、入間、飯能、吾野まで、回るものです。ここも、太田道灌と豊島泰経の一戦の後、定まりました。

 

石神井不動尊とも呼ばれます。関東三十六不動霊場第十一番札所です。江戸期までは末寺を擁する本格的な寺で、お堂や歴史的建造物が多く、パワースポットであり、インスタスポットです。かつまた、ちゃちょが、100円玉を入れずに誰もいない観音堂で好きなだけおみくじを引ける、縁起直しの場でもあります。

 

右上の額縁に「いくたびのまいる心の三宝に法の光はあきらけく住む」と謡われています。石神井公園には、11のお寺がありますが、どこも皆、密教(真言宗)です。三宝寺の塔頭寺院として、1477年南田中4-15-24に創建した観蔵院曼荼羅寺には、曼荼羅美術館があり、曼荼羅図は、NHKの番組で使用されています。

 

山門です。

 

長屋門です。

 

この長屋門は、文政(1818-1829)年間の築造で、港区6-10-41の勝海舟(1823-1899)の屋敷にあった由緒あるものです。屋敷跡は東京府に寄付されましたが、長屋門は練馬区旭町に移され、そこも壊されるというので、住職が練馬区教育委員会委員長だったため、1960年に引き取ったものです。

 

海舟書屋という扁額は、妹が嫁入った佐久間象山(1811-1864)から送られたもので、海舟が痛く気に入り、それまで勝安房だったのを、自ら海舟と呼ぶようになったきっかけの額です。原本は、江戸東京博物館にあり、これは、さらに屋外用に作成したものですが、書体は全く同じです。

 

写経の会が、毎月第一土曜にあり、歌会が毎週水曜にあります。

 

四国八十八カ所お砂踏霊場があり、墓地内の通路を歩くことによって、お遍路をしたのと同じ効能が得られます。

 

手前の根本大塔は、一層目が方形、二層目が円形の、高さ17mの木造多宝塔です。開創600年記念事業として1996年に完成しました。真言密教の教主である法身大日如来を象徴する塔です。

 

奥の高さ9mの十一面観音像は、根本大塔と同時作成で、大晦日や初詣にライトアップされます。

 

さて、また石神井公園の東端に戻ってきました。5ℓのリュックは重かったけど、こうして、それぞれの来歴が頭に刻まれた地元の公園を、蒸し蒸しする炎天下、歩いて、さっぱりしました。

 

この再開発された石神井公園通りをまたいで、まっすぐ奥の都営南田中団地を通り抜けます。団地は、昔、田んぼで、幼稚園へ通じていました。あぜ道から、ヤブカンゾウやセリなど、いっぱい、庭に植えることができました。

 

区が運営する、西武バスが通らない道筋を通る5系統のみどりバスというのが、家の前の坂道の下を通っています。1時間に1本ですが、便利です。220円(65歳以上110円)。今は自転車で好き勝手に最短距離を移動します。幼、小、中、高と練馬区でした。区内の道は、ほぼ頭に入っています。

 

最後の坂道を上ります。周りの家が風致地区なのに、いかに木を植えてないか、わかります。

 

帰って来ました!生け垣外の落ち葉を拾って、うがい、シャワー、洗濯。

ちゃちょも、このまま行けば、老後一人難民。腐っている所を警察が発見?

2024年65歳以上独居率は男26.1%、女29.3%で、15年後40%を越えます。

隣の人に無関心なのが、都会での暗黙のマナーで、町会はとても低調です。

 

さあ、この世にただ一人の相思相愛の文鳥・新太郎君が、待ってくれていました。今は体重が33gもあって、平均26gを大きく上回っています。安心して楽しく遊んでくれているからかな。どこまでも追いついてき肩にとまる一方で、家の外に出るときは、わかるらしく、さっと離れます。

 

今までの10羽の文鳥の多くが、窓の隙間などから外へ飛んで行ってしまったのに、とても賢いです。また手の平に、すぽっと収まるスキを狙っています。カメラを向けると逃げるのですが、背中にキスされると、うっとりまぶたを閉じ、くちばしを半開きにします。

 

ゴーヤは、峠を越えました。もう冷凍庫はいっぱいだし、葉の裏にあって気づかないのは、すぐ黄色くなります。ウリ科の一種なので、めくれるようにはじけて種が飛びます。ただ、熱帯地方ではないので、冬場を路地で越して、種から芽が出ることはありません。必ず苗を買います。

 

アーリーヘブンリーブルーは、ヘブンリーブルーの真っ青とは違って、紫っぽいです。

 

つたないブログを、ここまで、読んでいただき、ありがとうございます。お疲れさまでした。ゆっくり休んでくださいね。暑いので、、日陰でこまめに水分補給、無理せず十分な睡眠をとって、エアコンためらわずに使ってね。みなさまに良いことが必ずありますように。

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もう東京散歩の候補がなくなりました。この3年で都内のコースになる場所は踏破ズミです。暑くて体の芯が疲れました。ゆっくり休んで案を練ります。それまで元気でね。じゃ、またね。

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