石神井川沿い水辺を歩く! | ちゃちょのブログ

ちゃちょのブログ

実践している健康のことや近況

前日まで猛暑日の新記録を更新して15日目。

熱帯夜も26日目でした。今朝も熱帯夜。でも、

東京の最高気温は、猛暑日(35℃以上)手前34.0℃。

 

東京は、今日も熱中症危険日。だけど、土曜には、台風8号が

来ちゃう。やはり行くには今しかない!

 

前回の東京散歩は、練馬区へ入る手前まで来ました。

今回は、ちゃちょの住んでる石神井(しゃくじい)公園出発で、

石神井(しゃくじい)川沿いに、3つの池を結ぶ水辺散歩します。

 

練馬区は東京23区の西北の端っこ。戦後23番目にできました。

 

北は埼玉県に接し、東に、多摩地区とつながっています。

 

前回は、黄緑色の地下鉄赤塚という練馬区の北の端まで北区から歩きました。

今回は、だいだい色の西武池袋線・石神井公園から、下の水色・西武新宿線へ行きます。

 

前々回の北区王子まで(板橋区を通って)流れていた石神井川を、

今回は、石神井公園から、さかのぼる形です。

右上から左下へジグザグ流れている水色が、石神井川です。

 

石神井川は、王子の先で隅田川に合流します。

その北区から板橋区、さらに練馬区と上流に行きます。

石神井公園からも水は流れ込むのですが、川の源流は先です。

 

地図で行くと、練馬区を越え、隣の西東京市、さらに隣の小平市です。

 

この小平市の小金井カントリーゴルフクラブの西側が源流です。

暗渠になって蓋が被せてあり、小金井公園を出たところから

地上を普通の川として、流れていくのです。上流端と書いてあるね。

 

前にも登場したけれど、ちゃちょの住んでいた辺りは

昔、石神井川の水を使った田んぼで、土を固めた土手のあぜ道で、

雪が降ると川と土手の区別がつかず、ズルズル川に落ちました。

 

木でかけた橋は、大雨ですぐ流されました。

写真の右側が崖で、雑木林のヤブになっていますね。

後で紹介しますが、ヤブの面影が宅地化された中に残ってました。

 

1968年に、東京都が田んぼを全部買い上げ、一気に両岸に

できたのが、都営南田中団地です。植えた桜も大きくなりました。

 

ちなみに、ちゃちょの出た早稲田は、石神井川と神田川に関係が深いです。

石神井川沿いには、大学直通の高等学院、東伏見キャンパス・運動場があります。

神田川沿いには、大学本部キャンパスがあります。

 

さて、ここまで、伏線を敷いておいて、今回のコースは

地図が長いので上を西にしましたが、石神井公園駅スタート、

石神井公園ボート池・三宝寺池を通り、武蔵関公園池へ向かいます。

 

やったね。2万3千歩弱。紙吹雪も舞いました!

舞ってる最中は、数字がグルグル回って大きくなっていく

ので、数字が止まった時は、画面から消えてる。うえ~ん。

 

さあ、今日は地元なので、ゆっくり10時27分玄関を出ます。

 

余談だけど、家に帰ってシャワー浴びてよく見たら、

腕時計の跡がしっかり残ってました。今まで日差しが強かったね。

断わっておくけど、毎週、日向を歩いて、だんだん色づいたんだからね。

 

家を出て、駅に行くまでここだけになってしまった畑。

前は、もっと回りも坂の下も畑で、さらに言えば団地も

田んぼだったのでした。雑木林もあってカブト取ったんだよ。

 

練馬区は、23区で一番、緑が多かったんだけど、この10年だけでも

みどり全体の1割135haが失われています。農家は相続税を

宅地化で払うしかありません。石神井公園22.6ha×6個分の減少!

 

さあ、複々線化の高架化して、3路線相互乗り入れの

我が石神井公園駅です。ターミナル池袋から急行ノンストップ

10分で到着!

 

2010年上り線、2011年下り線が高架化され、複々線化されました。

すぐメトロ有楽町線と練馬駅から蛇行する形で、さらにメトロ副都心線

とも、相互乗り入れし、副都心線は、東横線、みなとみらい線とも乗り入れたため、

石神井公園から元町・中華街まで90分で行く快速電車まで頻繁に走っています。

 

石神井公園駅改札。反対側からも乗れます。

 

4本の線路の下は、南から北へ自由に行き来ができて、

タクシー乗り場、バスの駅も豊富です。クイーンズ伊勢丹

も八重洲ブックセンターも、北側の26階103mのタワーマンション

1階・地下に入りました。

 

石神井にだけ、区が観光案内所を作りました。モデル小学校

(ちゃちょが卒業した所)もあり、子育て世帯に人気で、練馬区では、

一番、地価が高いです。本庁舎のある練馬駅付近を超えたね。

 

昔の石神井公園駅は、木造平屋で、プラットフォームまで地面を歩いて、

上っていました。単純複線で、急行が各駅を追い越すのは池袋に近い所。

急行と言ってもドアが開かないだけで、各駅の後を走ってました。

 

前身の武蔵野鉄道が池袋~飯能間を1915年開業し、石神井停車場が

開業しました。当初は上下便とも1日8便でした。1933年、石神井公園駅

と改称しました。

 

10年ぐらい前までの石神井公園駅。ただ、プラット

フォームへ、上から降りるだけの進歩でした。幅も狭く

ちゃちょも、肥満と寝不足の極限の時、階段でズリ落ちました。

(一番最初のブログ、2020年3月20日「健康は運動と食事の両輪で」参照)

 

駅脇の開かずの踏切。一応、昔から急行停車駅だったから

止まる電車の本数が多く、目で見せる定期券時代、この踏切から我慢できず

目の前のプラットフォームによじ登り、急行に乗った勇士がいました。

明らかな危険行為!

 

駅前だけは、立ち退き再開発で広場にしたけど、メインの

バス通りは、狭いままで、陰に2人の大地主がいて、

月100万円で店1軒分を貸しているというウワサです。

 

従って駅の回りにスーパーが6つできた今、個人商店主の方は

廃業敗退し、入れ替わりの激しいバラバラな店の並びになっています。

 

例えば、こういう400円台でお弁当だけ売る店とか。長続きするのかな?

 

区は、既存のバス通りとは別に、開かずの踏切だったところから

まっすぐ石神井公園ボート池まで1本でいく道を作りました。

両脇の家は、えぐり取られる形になっています。歩7分。

 

ボート池北側は、ずらっと高級住宅地です。前は大会社の

社長宅が多かったけど、今は高い固定資産税を払いきれず、

マンションが増えています。緑一杯に競っていたのが、減りました。

 

都立石神井公園ボート池22.6ha。吉祥寺の都立井之頭公園

のような沿道沿いの売店は1軒もなく、年に1回、ゴミの池浚いをする

こともなし。緑に囲まれた静かなジョギングコースです。

 

昔の空中からの写真でよくわかるけど、奥の武蔵野台地の

崖線の三宝寺池の湧き水から作った手前の田んぼを

石神井大地主で区の役員有志が、ボート池にしました。

 

1934年、三宝寺池一帯が風致地区に指定された際、武蔵野の

景観を保護する目的で人工的に作ったのです。都の公園担当を

まだ西武線の本数が少なかったので、寝泊まりさせ説得しました。

 

今のボート池です。30分でボート大人3人まで500円。

スワン型大人2人子供2人800円です。30分で、オールで

手は擦り剝け、こぐ足はがたがたになります。

 

昔のボート池の同じ位置。池の反対側に大きな池をもつ、

活き魚割烹料理店があり、うなぎやコイ料理が食べられました。

子どもが小魚や昆虫を取る網を売る駄菓子屋もありました。

 

さあ、石神井公園の散歩道・ジョギングコースへ。

よく写真で紹介される場所は、ここです。

この先で、テレビドラマ「相棒」がよくロケしてました。

 

もう、ススキが穂の前の芽?を出しています。

 

トチノキの地面から2mくらいの葉に、びっしりセミが

孵化して抜け殻を残しています。夜の羽化中は、ぶよぶよした

白い体を殻から出して、朝、透明な翅を広げるまで安全だからね。

 

朝日を浴びて、体に色が付くんだよ。YouTubeに「セミの羽化完全版」きれいな動画あり。

このブログが字数限界なので、貼り付けられませんでした(15分もの)。

 

関西のクマゼミ(シャンシャン)も入ってきましたが、主流はアブラゼミ(ジリジリ)と

ミンミンゼミ(ミーンミーン)です。

夕方、ヒグラシ(カナカナ)、ツクツクボウシ(ツクツクオーシ)も晩夏に鳴きます。

YouTubeに「セミの鳴き声を聞き分けてみよう」あり。

 

池淵史跡公園です。1972年、旧石器・縄文・弥生・古代・中世

の各時代の遺跡が発掘されました。遺跡は埋め戻され、

その上に、区の別のところから1887年頃の古民家を移築復元しています。

 

その隣に、もともとあったプールに、ふるさと文化館を

増設しました。区にはなかった、初の民俗資料館です。

 

中には、この地帯は石神井川沿いを除いて、ほとんど火山灰の

武蔵野台地でしたから、昔から農家が食べていた、畑からの麦で作る

腰の強い武蔵野うどんの「エン座」が入っています。

 

入り口には、前は今日のうどんの出来具合93%とか

札が出ていた時もあります。お勧めは、何と言っても

このみぞれ糧うどん850円です。タコ足を想像するうどんを肉汁につけて。

11:30から、なくなるまで(一応、2時半まで)。

 

文化館2階には、常設展示室があります。昔はタバコは専売

だったし、電話も貴重だったから、赤電話10円で商売成立。

隣のラーメン屋は、ラーメン90円、タンメン70円と立て札。

 

石神井の三宝寺は武蔵野台地の切れ目・崖線だったことが

わかります。だから湧水も出ました。崖線は、23区の

至る所に、崖になって、今もあります。

 

「武蔵野は月の入るべき山もなし 草より出でて草にこそ入れ」

江戸時代の人口100万人時代を迎えて、食料不足から新田開発を

幕府が本腰を入れるまで、火山灰の草原でした。

 

練馬区に相当する部分の「石神井村」は今よりずっと

大きかったんだね。あとは上・下練馬村ぐらいか。

今の石神井・練馬の2大商業圏、住宅街にそっくりだね。

 

縄文土器も石神井川沿いに出たし、手前の棒は、戦前まで

有名だった、細くて長い、たくわん用の練馬大根の干した姿です。

 

豊島区のトキワ莊などに住んだ後、手塚治虫は、1960年

ちゃちょの家から700mくらい離れた畑に家とプロダクションを

作って、1963年1月1日からテレビアニメ「鉄腕アトム」をスタート。

 

多くの著名な漫画家が練馬区に集まりました。もちろん、畑としてしか

価値がなかったから、土地代が安かったことが大きいかも。

隣の大泉学園には、東映のアニメ製作所もできました。

 

さあ、道路を渡って、反対側の三宝寺池です。江戸時代から

石神井川下流の村々に用水として使われていました。

1917年、池底の土砂を取り除く工事をしました。

 

1935年、水温が低く水のきれいなところに生育する水生植物が

繁茂していることから、三宝寺沼沢植物群落は、国指定天然

記念物になりました。

 

だんだんヨシやハンノキが茂ってきて、1980年代後半、

消滅の危機に瀕したため、他を伐採し、再生事業中です。

 

沼沢植物群は、中央の湿地の浮島に多く生えていますが、

一般の人は、入れません。渡って入るところもありません。

 

ちょうど、ふるさと文化館で、石神井公園の成り立ちを

特別展示していたので、調査隊が湿地の浮島に足場を作ったビデオを

ちゃちょが、写しました。ここは、三宝寺池中央の浮島です。

 

4月のミツガシワ(三槲)の白く小さな花です。5辺に深く裂けた花弁です。

順調に戻ってきました。本来、亜寒帯や高山の湿地に多いですが、

暖帯の三宝寺池でも、回りの水が冷たかったことを示しています。

 

5月のハンゲショウ(半夏生)の花です。ドクダミ科で、1m高になり、

尻尾状の花房が出て、回りの葉が半分白くなります。

8月に葉はまた青く戻ります。

 

6月のショウブ(菖蒲)です。紫で花尾の付け根に黄色が入り、

葉は細く、葉脈がくっきり出ています。

 

石神井城址です。中世の豊島氏の城跡で、池淵史跡同様、

石神井川の谷と三宝寺池の間の台地にあります。1477年、

太田道灌によって、攻め落とされました。

 

非公開ですが、標高48m、幅450m、面積3万坪です。

1919年から東京都の指定史跡です。柵の外からは、

ただ杉林が盛り上がっているように見えます。

 

伝説ですが、父の豊島氏が没したことに落胆した娘の

照姫が金の鞍にまたがって、三宝寺池に入水自殺しました。

殿塚と姫塚が残っています。

 

大戦末期、真剣に金の鞍を探しました。そっとしておけばいいのに。

 

練馬区ではイベントとして、ゴールデンウイーク初めに

区民から公募した照姫、父、母を馬に載せ、石神井周辺を

お供と100名の行列で練り歩きます。今年は4月24日(日)。

 

小雨がパラつきましたが、決行されました。

ちゃちょは、この頃、健診前のコロナ太り退治のジム

通いに必死でした。毎日▲0.5㎏、▲1.0㎏だったなあ。

 

三宝寺の北の一角に水辺植物園があります。1989年に

釣り堀が閉鎖され、トンボの住める環境再生に、405種

の野生草木を植えています。植えると、すぐ誰かが、、、

 

周辺の宅地化、アスファルト化で、三宝寺池は今、湧水はありませんから、

崖上の旧日銀グラウンド(今は区所有)で掘った深井戸から500㎥/日、

三宝寺池の西側より出しています。

 

1920年、ここに、底に小砂利を埋めた土製の、日本初の100m

プールを作っています。1932年ロス五輪の金メダリスト2名

(北村久寿雄選手は14歳)を生んだ石神井遊泳団の合宿所でもありました。

 

水辺植物園には、ノカンゾウが可憐な黄色い花を咲かせていました。

漢方になるマメ科の根のカンゾウとは、別物です。

 

ちゃちょの庭に、坂下が田んぼだった頃、あぜ道から

取ってきて植えたヤブカンゾウも、カンゾウとは別物でした。

ただ、春の新芽は、味噌和えやてんぷらにすると、おいしいです。

(6月25日のちゃちょの庭の写真)

 

三宝寺の一番崖下の西側の端に行くと、ここから500m

の石神井公園駅タワーマンションも全く見えない自然の懐です。

ここら辺数か所から、500㎥/日の井戸水が出ています。

 

三宝寺池を一周せずに、南側の丘を登ると、石神井一帯の

総鎮守の石神井氷川神社の裏手に出ます。これが、表に回った

正門です。都内1398の神社をまとめている東京都神社庁配下です。

 

1400年前後に、豊島氏が武蔵国一宮の氷川神社から分霊を

祀ったと言われています。上石神井・下石神井・谷原・田中・関

5か村の人々から崇拝されてきました。

 

今の夏は、正殿はもちろんのこと、参道にも一人もいません。

 

しかし、元旦にちゃちょが自転車で様子を見に行ってみると、

マスクをしたまま、ずらっと行列でした。絵馬と破魔矢を

必ず買い求めていました。

 

これは、参道の坂下まで途切れなく長い列で、正月1週間は

この状態でした。ここからは、歩30分はある西武池袋線石神井公園駅か、

西武新宿線上石神井駅の、両方から人が行き帰りしていました。

もっと遠くからも来ています。

 

さらに、南の坂下へ行くと、三宝寺があります。1394年、

真言宗の道場として建立されました。石神井にある寺は8つとも

真言宗(密教)で、1駅離れると、日蓮宗になります。

 

三宝寺本堂です。

 

右の小さな額縁には「いくたびも詣る心に三寶の法の光はあきらけく住む」

と書かれています。

 

法話を第一土曜、歌会を毎週水曜、瞑想を第三土曜に行っています。

 

三宝寺は、いつもちゃちょにやさしい。たいてい大吉です。

だから、何かあると自転車で一走りしてきます。

 

今の三宝寺前の通りです。バスも通ります。反対側は

斎場と石神井小学校です。

 

戦後の三宝寺前の通りです。砂利道で、反対側は畑でした。

 

この通りを、旧早稲田通り、というのですね。

 

調べたら、早稲田通りは、正式には、主要地方道25号線と言って、赤線は

千代田区から始まり、早稲田の脇を通り、西武新宿線とJR中央線中央線の

間を環状八号線の手前まで、まず来ます。

 

そこから、まっすぐ行く新道と、急に西武池袋線保谷駅の先まで続く旧道が

分かれていました。旧道は、ちょうど石神井の辺りで三宝寺の前を通るのでした。

 

さて、散歩の先は、三宝寺から石神井川沿いを西へ遡上し、

1956年に本部から移転してきた早稲田高等学院の北側の裏を

通っていきます。真ん前に森が見えるのが高等学院です。

 

高校生のうちから大学生のマネをするのが、問題になっていました。

 

太田道灌が石神井城の豊島氏を破る時、布陣を敷いた愛宕山(あたごやま)が、

実はこの土の盛り上がりです。今もバス停名として「愛宕下」が残っています。

 

そばまで、寄って見ると、北側は高い崖になっていて、

ジャングル状態でした。

 

これは、ちゃちょが、小さいとき父に手を引かれて、ここら辺

まで歩いてきたとき見た、田んぼや畑の中の石神井川南側の

ジャングル状態の名残りです。

 

ちゃちょの家の坂の下からずっと手入れされない雑木林にツタが

からまっている、真っ暗な森が続いてました。まだ未開の、人手が

入っていない土地だったんだね。崖は崖のまま。

 

南側に出た早稲田高等学院の正門です。6万㎡あります。

2010年、中等部ができました。高校生で600人だったので、

中等部300人、高等部300人にしました。

 

埼玉の本庄高等学院は、1982年開校、2007年男女共学実現ですが、

ここは、男子生徒のままです。今は係属校を入れると7つ高校があります。

 

全員、成績順に希望学部へ受け入れ枠毎に入れます。

成績の上半分(枠範囲)は理工を選ぶので、成績中位でも政治学科に入れます。

また、卒業時に論文を書くことになりました。これは慶応付属校も同じです。

 

なんか、中学校作りは、大学改革とか言って、慶應のマネみたいでいやだなあ。

早稲田は早稲田でいいと思います。寄付金募って恥かいたり、みっともない。

 

今、大学は、政経出の田中新総長下で、文系に全員、理系のプログラミングやデータプレゼンを

必修にし、したたかで、しなやかな国際化を目標にして、ここ4年で、ずっと長く慶応優位

だった、希望校順位や企業の採用希望順位で、逆転優位になりました!

 

田中愛治総長は、なれ合いで決まっていた候補を2018年選挙で負かしており、今年も再選。

ちゃちょの学生の頃は、東大法学部に偏差値0.1でひっ迫し、他の私立なんか

ぐんと引き離していました。それが、復活してきて、すごくうれしいです。

 

でも、今は、偏差値時代が終わってきています。大学は、「推薦・総合型」が過半になっています。

入ったら終わりでなく、入学後の指導が、新時代に合わせられるよう、重みを増しています。

 

今は、慶應の学長が早稲田を訪問して、運営のアイデアを乞う中になっており、

両校は、創設時代からよきライバルとして、情誼を通じ合っています。

収入(学費・卒業生募金)は、少しだけ、慶應が上回っています。

 

ここで、早稲田高等学院前の新青梅街道を南へ渡ります。

そして石神井川の流れている西側を目指します。

 

上智大学神学校イエズス会教会。これが北側の石神井川から

見ると、夕闇に、早稲田高等学院と同じ、真っ黒な大きな

お化け屋敷に見えたのを、幼な心に覚えています。

十字架が真っ黒に崖のてっぺんに、そびえているのです。

 

おっ、ここにも、わずかだけど、マンションとマンションの

間に手つかずの崖が、残っていました。必死に雑草を

かき分けて写していると、マンションからおじさんが不審そうに

出てきて、ちゃちょを見ながら、通り過ぎていきました。

 

西武新宿線の武蔵関駅商店街です。

早稲田高等学院から近いのは、上石神井駅だけど、もう隣の

練馬区最後の駅です。

 

武蔵関駅北口は、商店街のビルの間に埋もれて入口が

あります。宮崎駿監督のハウルの動く城みたいだね。

 

武蔵関駅の先も石神井川は、続きます。まっすぐ川沿いに

遡上します。川が西武新宿線をくぐって南側に出ます。

 

本立寺(ほんりゅうじ)。1650年頃創建。日蓮上人の命日、

12月9日、10日に約300の露店が集まる「関のボロ市」は、

練馬区の無形民俗文化財。9日には、信徒らによる万灯行列があります。

 

今月の聖語です。意味は、あなたが笑っていた時、

楽しかった時、もういない両親もきっと同じ気持ちだった

でしょう。

 

「我が心身は、親が残した体」心身の繋がりは

切れるわけではないのです。お盆に、自身の行いや思いを

問い直してみる時かも知れません。

 

どこまでも、まっすぐ続く単純複線の西武新宿線を、

超えて、ちゃちょも、線路の南側へ石神井川沿いに

行きます。

 

西武新宿線を、このまま所沢まで14.8km19分乗って、西武池袋線に

乗換え、小手指まで6分、そこから学バスで15分に、1987年に

創設した早稲田大学・所沢キャンパスがあります。

 

西武新宿線は、逆に行けば、高田馬場で早稲田本部に歩いていけるから、

結局、この路線沿いは、総合大学の利便性を計った形になっています。

 

人間科学部、スポーツ科学部が所沢キャンパスにあります。36.6万㎡。

いろいろ経緯があって、とうとう早稲田は慶応のように医学部は

持てませんでした。痛恨。1万円札の顔からもはずれました。

 

洋食三浦亭。シェフ1人の厨房が外から見える小さな店です。

11:30~13:30。17:30~20:30。月・火と連休。

非常事態宣言時の張り紙がまだ、張ってあります。客1人。

 

ランチのハンバーグセット1130円。ナイフを入れると

肉汁があふれてきます。デミグラスソースが絶品。

スープ、サラダ、ライスorパン付き。7.6%値上げ。

 

さらに線路及び石神井川沿いに、西へ遡上します。

途中の団地の遊び場公園の棚は、サルスベリでした。

枝がいっぱいになっても藤みたいにうまく棚に垂れます。

 

天祖若宮神社への道をさらに進みます。途中で気づいたけど、

誰ともすれ違わなかった。スマホのグーグルマップが頼りです。

でも、あまりに日差しが強いとスマホの画面はほとんど見えないんだね。

日陰に入って手で覆って、確認です。

 

天祖若宮神社で初めて見た、「鳥居では一礼を」。

 

天祖若宮神社です。やっと気づいたけど、社務所は、

どこもしっかりカギをかけて扉が閉まってたね。ここも。

 

右8月の生命の言葉。貞明皇后が日本赤十字社へご下賜の御歌。

左7月の生命の言葉。水戸の徳川光圀。黄門さま。家康の十一男頼康の三男。

 

石神井氷川神社が、総鎮守として筆頭に書いてあるね。

 

「天照皇大神宮」の伊勢神社のお札を右側、地元の神社

のお札を左側に、一緒に飾り、日々の感謝と家庭の無事と

幸せを祈るんだね。

 

家族が亡くなれば、神棚に50日間、張り封をします。

喪あけに、新しいお札を求めます。

各県神社庁管轄の神社でお札は求められます。

 

石神井氷川神社もそうだったけど、塗装修繕などの奉納者名は

必ず立て札にして、示すんだね。103名208万円でした。

 

石神井公園からここまでの石神井川の流れは左下へ

こうなっています。上が北。

 

出ました。石神井川上流の練馬区立武蔵関公園。

 

かつての石神井公園もそうだったけど、洪水対策の

遊水地(溜池)だから、水がよどんで、アオコが発生してるね。

 

ゴイサギがいました、冬になると南へ飛び立つんだね。

夏は口ばしが黒いです。

 

左上から各列、カワセミ、カルガモ、カイツブリ、ゴイサギ、

パン、コゲラ、シジュウガラ、オシドリ、

オナガ、ムクドリ、メジロ、ジョウビタキです。

 

ぶれちゃったけど、30分大人200円、子供&65歳以上100円です。

隠れたボート乗り場だね。一人だけ、乗ってました。

 

48,966㎡。練馬区の端っこ。

 

武蔵関公園を出ると、西東京市で、隣の東伏見駅を入口とする、

早稲田大学・東伏見キャンパス&運動場です、

 

かなり広いです。検索したけど広さの数字はわからず。

この付近を昔から安く大学が教職員に払い下げているから、

東伏見の人口の4~5分の1は、早稲田関係者と言われています。

 

安部球場が本部からここへ越して来たのは1987年。

跡地は、大きな総合図書館と、盛田昭夫記念国際会議場になりました。

 

練習風景は、石神井川沿いから覗いたけど、緑のシートで見えず。

なんだか、暑くてつらそうだったけど。早慶戦でまたがんばるのかな。

 

スマホの指示通り、やや外回りにアプローチして、

下野谷遺跡公園に。2015年国史跡に指定。

南関東屈指の規模の縄文時代中期の環状集落跡です。

 

竪穴式住居の骨格復元、出土状況復元、土層復元が展示

されてると書いてあったけど、撤去されて単なる草原。

シートで覆われているだけでした。何を間違えたか、

虫網を持った子供を連れた父親が一人、帰って行きました。

 

石神井川流域の縄文遺跡の拠点と書いてあります。

 

武蔵野台地のほぼ中央で、3万年前のものだと書いてあります。

 

豊かな自然環境が、1年のサイクルを産み、ムラを発生させました。

 

西集落150m四方、東集落200m×300mです。

今後、西東京市で、展示を準備していくそうです。

 

石神井川は、続いています。冒頭に書いた通り、隣の

小平市のゴルフクラブの西側が源流です。

 

東伏見稲荷神社です。圧倒する大きさの鳥居。京都伏見

稲荷大社の分霊を1929年勧請して創建。西武新宿線も

上保谷駅を、東伏見駅へ改名。

 

山門です。

 

本殿です。社務所は扉の鍵をかけて閉めています。

おみくじがあったけど、あれなら、全部1枚ずつ、

持って帰れたね。大バチが当たるだろうけど。

 

クルマが数台吹かしていただけ。誰もおらず。

ゆっくり、お祈りしました。

 

もちろん、ここも石神井川が前を流れていました。

でも、ここで、歩く目印だった石神井川ともお別れ。

 

東伏見駅へ戻る道も誰もいらっしゃいません。そろそろ

午後2時。あとで34℃まで行っていたのを知りました。

ヤマの日だし、たぶん、皆、家の中でエアコンとテレビかな?

 

民家の参道?にも、300m先の線路際へ鳥居が寄進されてます。

 

西武新宿線の線路わきに、ブラジル原産のカンナが自生していました。

誰かがもちろん耐寒性のを植えたんだろうけど、鉄道会社も植えさせたまま。

 

東伏見駅まできたけど、すぐ展開する早稲田東伏見キャンパスの前に

スポーツクラブ・ルネサンスが食い込んで先頭にあるね。

土地権利を譲らなかったのだろうか?早稲田は、キャンパスビルに、

ルネサンスの赤い看板を打たせてあげています。

 

さあ、東伏見駅に到着!青い色の市の循環マイクロバスが

来てるね。

 

ここは、石神井川ばかりでなく、石神井公園駅北口を

まっすぐこの駅の裏辺りまで、突っ走る、赤い線の富士街道の

終点でもあります。

 

ちゃちょの指導教授も、この東伏見の富士街道の終点のそば

(駅の反対側の教職員住居密集地)に住んでいたので、卒論を

締め切り日の朝まで書いていました。

 

もう先生は大学に来ない日だったので、「どこに」提出とは指示されて

なかったことに気づき、途中の文房具屋でバインダーを買って、用意

しておいた「直接、届けさせていただきます」手紙の封筒に入れて、自転車に。

 

目いっぱいこいで、自宅住所が富士街道終点に近かったので、無事、

自宅郵便受けへ投函!そういう離れ業や力仕事が好きな先生だったので、

Aプラスをもらっただけでなく、本来、修士が出すべき、学内学術記念賞にも

学生なのに政経学部からただ1つノミネートして下さった!

 

3人審査で一人賛成、一人反対、もう一人は日和見で前例がないと言う理由で反対。

落ちましたが、それを見ていた学生部長の先生が、学内学術賞(小野梓記念賞)に

学生枠を作ろうと、運動して下さって、今は後輩たちが恩恵を受けています。

やったね。

 

もっと深く早稲田を知りたい人は、1月9日のブログ「母校早稲田を歩く!」もご覧下さい。

 

東伏見駅の電光掲示版は、今、14:05なのに、17:02の

電車を掲示してる。暑くて壊れたのかな。

 

勘で上石神井駅で降りて、西武鉄道間を結ぶ、西武バス停に

言ったら、14:15発の石神井公園行きが待機!やったね。

すぐ発車。14:30石神井公園着。14:40自宅着。

 

シャワー、洗濯、水補給、文鳥さんを籠から出してブログ作成へ。

また、長くなっちゃって、ごめんね。思い出のある場所もあったので。

 

また、去年の健康ブログも、選んで、通常ブログの間にリブログするから

皆、体調管理に気をつけて、元気でね。じゃ、またね。

すぐ、ブログ更新が受け取れるように、「フォロー」してね!