森と水音に守られた聖なる岩屋
マナイタさま ・天の真名井戸(三重県熊野市有馬町池川)
JR熊野市駅前から車で20分。
「日本書紀」によると、三重県熊野市有馬にある花の窟神社がイザナミとカグツチノミコトの墓所であり、イザナミが火の神カグツチノミコトを出産して亡くなった場所が、花の窟から歩いて10分ほどの産田川沿いにある産田神社だとされています。
花の巌の前に立つ獅子岩。海のスフィンクスと称される。
産田神社は古くは産土神社と表記されていて、ここは弥生時代からの古い神社であり、古代の土器も出土しています。
また、非常に貴重な神籬(ひもろぎ)と呼ばれる石で囲んだ古代の祭祀場跡も残されている神社です。
この産田川を源流にさかのぼると、今はもう住む人も少なくなった池川集落にたどり着くのですが、ここには、もしかしたら産田神社の元宮ではないかとも囁かれる、不思議な岩屋、天の真名井戸、通称、まないたさまがあります。
池川集落の外れに、「まないたさま」と書かれた小さな木札をみつけました。
民家の近くに車を停めさせていただき、林の中へと続く苔むした石段を下っていきます。
周囲には木々の間に巨岩がそびえ立ち、午後の傾いた日差しの下、すでに薄闇をまといはじめた林のなかへと進むのが少し怖くなってきました。
それでも進んでいくと、石段がとぎれて山道に変わり、木々の間からかすかに水の音が耳に届いてきます。水音をたよりに進んでいくと、産田川の源流に突き当たりました。
川の脇に姿を現した岩屋の前には古びた鳥居が立ち、岩屋のなかには無数の白い浜石が敷き詰められています。
古代から熊野では、潮で清められた石には霊力があるとされ、神様への捧げものにしてきました。
どれだけの数の女たちがここに石を捧げて祈ったのでしょう。あたりには川から立ち昇る冷気が満ちていて、清涼な水音だけが響き渡っています。
なんともいえない不思議な気持ちになりました。怖いのともちがう、不気味とも神秘的とも形容しがたい。
古代人のむきだしの原初の祈りの姿をまざまざと見せつけられたようで、体のなかがざわつくような感覚に襲われたのです。
この世とあの世の境目にいるような感覚。
子宮がぐうっと締めつけられていくような、身が引き締まる思いがしました。
案内板には、
「正式名は、天の真名井戸。マナイタさんと呼ばれ婦人病にご霊験ありとしてこの地方の婦女子の信仰を集めている。マナイタとは真名井戸の転化で古くはここに水神が祭られていたため、この信仰が生まれたとみられる。民俗学の面から見れば、水神は五穀豊穣をもたらす神で、人間界では多産を約束する神でもある。それゆえ、水神に対して子どもを求め、安産を祈願し、婦人病の治癒を祈願するのは、全国を通じての習俗であるが、水神と呼ばずにマナイタの古語が残っているところに時代の古さが偲ばれる」とあります。
産田川の源流。 冷たい水は甘く体にしみわたっていく
いのちの源である水の神に出産を祈願するのは当然のことかもしれませんが、ここは婦人病が悪化しそうなほど冷気に満ちた場所。
それでも川に近づくと、そこは産田川の源となる小さな谷川で、山から湧き出す澄んだ水が小さな滝になってほとばしっています。
妙なる水音が森にこだまして、それは天界に響く鈴の音のようで、じっと聴いているうちに、わたしはしだいにトランス状態になっていったのです。
そうか、ここは安産を祈願するだけの場ではなくて、女性が水音に導かれ、水音と一体になって意識変容を起こし、巫女のように自然の息吹と、あるいは水神と霊的な交合をする場なのではないか。
赤んぼうの肉体の核となる魂を呼び寄せる場所なのではないか。そんな気がしてきました。
イザナミの出産の場である産田神社の源流にあたるマナイタさま。
この不思議な力を持つ聖地を訪れたわたしは、ここにも母なる女神イザナミの色濃い香りが漂っている気がしてならないのです。