【今回のもくじ】

 

■ 各自の成長スピードにふさわしいものを
■ 心の空家を満たすもの
■ 神はとことん気が長い
■ 未来が見えないという安心感

 

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■ 各自の成長スピードにふさわしいものを

 

私はせっかちで、待つのが苦手。

私は長期コツコツ型じゃなくて、短期集中型なんだよ。

それはたぶん、自分の持ち時間が有限だという焦りがあるからなんだと思う。

元気なうちに、一気呵成に仕上げようとして無理をする癖がある。

 (参考) メメント・モリ(死を想え)/カルペ・ディエム(今日の花を摘め)

 

でも、神は永遠の存在者だから、時間が無限にあるから、

神はぜったいに焦らないし、私を急かすこともしないんだよね。

私だけが落ち着きなく急いている。

 

今の私の生活は、現代日本の世間スピードと比較すれば、

とんでもなくぐうたらというか、ほんとにナマケモノなんだけれど。

それでも神は、まだ私が急ぎ過ぎだという。

 

世間の常識に縛られるのがNGなのはわかるが、

あまりにも世間の常識から乖離してしまうのもどうかと思う。

しかし神は、私のそういう不安・疑問はぜんぜんおかいまいなしのようだ。

 

この2,3週間ほど、あらためてそういうことを考える機会が重なった。

そして、ある聖書個所を思い出した。

 

今まで私の脳ミソは、なぜだかこの個所をすっかりスルーしてしまっていた。

 

旧約聖書の、出エジプトの旅において、神が語ったこと。

神がイスラエル人(ユダヤ人)を新天地に導くのだけれど。

その導き方についての重要な注意点。

 

 見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、

 あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。

 

 ……わたしの使いがあなたの前を行き、

 あなたをアモリ人、ヘト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導くとき、

 わたしは彼らを絶やす。

 あなたは彼らの神々にひれ伏し仕えてはならない。

 そのならわしを行ってはならない。

 あなたは彼らを滅ぼし、その石柱を打ち砕かねばならない。

 

 ……しかし、一年間は彼らをあなたの前から追い出さない。

 さもないと、国土は荒れ果て、野獣の数が増し、あなたに向かって来る。

 わたしは彼らをあなたの前から徐々に追い出すので、

 あなたは子を産み、国土を受け継ぐに至る。

 

 ――『出エジプト記』 23章20、23,24、29,30節
 

そう、神は約束の地に導いてくれるのだけれど、

神に従わない先住民を一晩で一掃するのではなく、

イスラエル人の成長具合に応じて、「徐々に追い出すと言っている。

 

現代人が、旧約聖書を神のメッセージとして読む場合は、

イスラエル人に敵対する諸民族を、

諸々のブラック慣習のシンボルとして読むとよい。


社会的慣習から個人的悪癖、偏見といったものまで、

神に対してマガ(曲・禍)っているものが、

アモリ人、ヘト人云々……という敵対民族の名で登場している。

 

旧約聖書に登場する敵対民族は、霊的シンボルとしては、

外部の具体的な誰それではなくて、

自分の中に巣くっているブラックな諸慣習のこと。

 

 ■ 旧約聖書の霊的シンボル例

 

 エジプト …… 神を無視した現世利益社会

 

 イスラエル人 …… 神に従う人

 

 異民族、異邦人 …… ブラックな諸慣習、悪癖など

 

 約束の地(新天地) …… 神と共に生きる人生

 

で、神はイスラエル人を新天地に導いてくれるのだけれど、

新天地の異民族をいきなり追い出すことはしないと。

 

それは、イスラエル人勢力がまだまだ弱小だから。

勢力は弱く、心も弱く、神への信頼もまだまだ弱い。

実際、イスラエル人は神に従うと決めたものの、

その決断はしょっちゅう揺らいで、新天地に至るまでに数万人の脱落者が出ている。

 

そんなイスラエル人に、広大な新天地を用意したところで、

イスラエル人はせっかくの新天地のお手入れをすることができずに、

国土は荒れ果て、野獣の数が増し、あなたに向かって来る

というお粗末な結果になることは、火を見るより明らかだ。

 

だから、そうならないように、

神は人間の成長スピードに合わせて、

心に巣くっている諸々の悪習慣を徐々に追い出す。

 
私としては、さっさと心の先住民を一掃してほしい、さっぱりしたい。

状況が好転するなら、さっさと好転してほしい。

 

しかし神は、あくまで「徐々に」なんだな。

神が遅いのではなく、私が神を待たせている。

そして神は私に、「早くしろ」とはぜったい言わない。

私の成長スピードに合わせて、必要なだけの時間と物資を与えてくれている……

 

神は早く成果を出すことよりも、

人が学ぶべきことを確実に消化して、それを血肉とすることを重視している。

それは間違いない。

 

まして私は新陳代謝が遅いナマケモノ体質なのだから、

世間の平均スピードはほとんど参考にならないのだろうな……

神の枝にぶら下がって、トロトロ眠っている間に、

私の内では新陳代謝が進んでいると信じよう。

 (参考) すべてのことには時がある … 神はナマケモノの時間基準を良しとされた

 

■ 心の空家を満たすもの

 

人が住まない家は、傷むのが速いというよね。

空家が多いエリアは、人通りが少なくてさびれてしまうし、治安悪化にもつながる。

 

空家のまま放置してさびれる、動物の巣になってしまうよりは、

マナーの悪い住民でも、誰かが住んでいる方がまだマシ……

 

どうやら神は、そういう考え方をしているようだ。

 

新約聖書のイエスも、家に巣くう汚れた霊というたとえで、

人の心と悪習慣についてこう語っている。

 

 汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。

 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。

 そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。

 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、

 中に入り込んで、住み着く。

 そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。

 

 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 11章24-26節

 

強制的に悪習慣をやめさせると、今度はリバウンドが起こるよね。

リバウンドすると、以前よりもかえって状況が悪化する。

イエスが言っているのは、そういうことだね。

 

汚れた霊を追い出すだけなら、神の助けは不要ということでもある。

本人の意思と気合で、心理カウンセリングで、お祓いで、スピリチュアルワーク等で……

ともかく、人間的なテクニックで悪習慣を追い出すことは可能なのだ。

 

ただ、問題は、悪習慣を追い出した後。

 

悪習慣を手放すと、心に空家=虚しさがうまれる。

人は心の空虚さを埋められるものを求めてしまう。

そこで虚しさに耐えられず、同じ悪習慣がリバウンドする場合もあれば、

ほかの七つの霊……別の悪習慣に占領されてしまう場合もある。

 

汚れた霊を追い出した後の空洞を、いったい何で満たせばよいのか。

 

イエスの答えは一つ。

「神霊に満たされよ」だ。

 

 ……(イエスは)彼らにを吹きかけて言われた。

 「聖霊を受けなさい」

 

 ―― 新約聖書 『ヨハネによる福音書』 20章22節

 

心に空洞がある状態を「心に隙間風が吹く」なんていうけれど。

神は隙間風じゃなくて、命の息=神霊を送り込んでくれる。

 

心を占領していたガラクタを追い払った。

心の掃除をして、きれいに飾り付けをした。

そこに神霊(聖霊)がやってきて住む……人間の身体は神の宮である。

 (参考) 人間の身体は聖霊の宮 … 土の器に命の息を宿す者、神と共にある生き方、人間生活の基礎

 

人間のテクニックで汚れた霊を追い出すだけでは、何も解決しない。

心に隙間風が吹くだけだ。

神霊で満たされたければ、神風を受けいれるという決断がいる。

 (参考) 神霊の風は思いのままに吹く … 神風はエゴの平穏を乱す嵐

 

これは私自身の経験でもって、断言するのだけれど。

心の空家に、神を受けいれることを拒んでいる限り、

悪習慣A、B、C、D……際限なく心の住民が入れ替わるばかりで。

本物の神霊以外のあらゆるものをとっかえひっかえしても、
ぜったいに心の虚しさ、不安といったものは解消しないよ。
 
世間でよくある依存症……お酒、たばこ、過食、衝動買い、レジャー、ギャンブル、
占い、スピリチュアル、インターネット、SNSなどなど……
 
上記のことを、気分転換の娯楽として楽しむことについては、何も言わない。
娯楽は大切だし、私も漫画本でお気に入りのシーンを何度も読むのが大好きだ。
イエスもしばしば宴席に招かれてお酒を飲んでいて、
ユダヤ宗教エリートから、イエスは大食いで大酒飲みだという悪口すら言われている。
 
 人の子(イエス)が来て、飲み食いすると、
 『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。
 しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。
 
 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 7章34、35節
 
娯楽は娯楽として、それぞれに楽しんだらいい。
でも、それで心の空家を満たすことはできない。
 
イエスは大食漢で大酒飲みだったのかもしれないが、
過食症ではなかったし、アルコール中毒でもなかった。
イエスは神霊で満たされていたから、心の空家を別のもので埋める必要はなかった。
 
そして、「知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」
 
イエスの言うことが正しいか間違っているかは、
実際にそれに従うという実験をしないとわからない
科学実験と同じ。
百の仮説よりも、実際の実験結果に真実がある。
 
私は目下実験中だ。
私が書いていることは、その時点での実験経過と、そこから得た考察なんだな。
 
今後も、主にこのブログを通して、
「本気ですべてを神に賭けたらどうなるか」という実験(究極の人体実験だ)について、
私自身を生きた標本として提供していければと思っている……
インシャーアッラー、それが神の御心にマッチしていればの話だけれど。
 
■ 神はとことん気が長い
 
長年の習慣を変えるのは難しい。
不要な習慣に気がつくのも難しい。
厄介なことに、人間的には善いと見えるが、神から見れば悪習慣というものもある。
生まれ育った環境によって、悪習慣に染まってしまうこともある。
 
 
自分の一部となってしまっている悪習慣は、神に対するマガ(曲、禍)。
たぶんキリスト教ではそれを「罪」というのだと思うが、そういう名称はどうでもいい。
とにかく、どの習慣が神に対してマガ(曲・禍)あるいは罪なのか、
そこに気がつくまでにも相応のステップが必要。
 

それに、表面的な行動を変えることはすぐにできても、

変化に心が追いつくには時間がかかる。

 

プロのスポーツ選手が、高い意識をもってフォーム改善するだけでも、

多くの時間と努力を要するのだから。

まして人間が神に従うという新しい生き方が板につくまでには、

相当の年数がかかるはずだ。

 

今から501年前、1517年10月31日に、ルターの宗教改革があった。

 (参考) 宗教改革500周年★他に何もすることがなかったから、歴史を変えてみました??

 

宗教改革をして、キリスト教の諸制度を改善しても、

それが根付くまでには大きな混乱があり、反対があり、いくつかの戦争が起こり、

落ち着くまでに何世代もかかっている。

 

何にしても、人間の変化には時間がかかる。

そして、そういう人間事情は、人を創造した神がいちばんよくわかっているはずだ。

人を造った神は、人の弱さも体験的に知っている。

 

 この大祭司(イエス)は、

 わたしたちの弱さに同情できない方ではなく

 罪を犯されなかったが、あらゆる点において、

 わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

 

 ――新約聖書 『ヘブライ人への手紙』 4章15節

 

だから神の計画には、人の弱さも織り込み済みなのだと思う。

神は、必要な事にはたっぷり時間をかける。

少なくとも、善くなりたいともがいている人に対して、「早く○○しろ」と言うことはない。

 

もうすぐ世界の終末がくるといわれて、はや2000年が経つんだけど。

永遠の時間感覚をもっている神には、どれだけ長い年月も「すぐ」なんだろうね。

 

神はものすごく気が長い。

時間をかけるべき所と、そうでないポイントの判断基準が、

神と私とではぜんぜん違うのは間違いない。

 

でも、神の判断基準が私とまったく違っているからこそ、

神に従えば、私にはとうてい想像もつかない所に着地できると期待できる。

 

■ 未来が見えないという安心感

 

未来が見える、占いが当たるというのは、

その未来が今の自分の延長線上にある場合のみ。

今の自分の延長線上にない未来は、見えない。

 
今の私は……いや、ルーン占いを閉じたいと思い始めた頃から、
自分の未来が見えない。
それは、私の未来が、私の自力では飛び越えられない淵の向こう側にあるから……
未来が神の手の内に握られているからだと思える。
 
 『セルフセラピーカード』 チャック・スペザーノ
 
自分自身の何かを土台に生きていたら、
つまり自分の未来を自分の手でコントロールしようとするならば、
未来が見えない状態は不安でたまらない。
 
でも、神を土台にすると本気で決めたら、
未来が予想できないのは、むしろ安全だと思える……
予想できないのは、未来が神の手の内にある証拠だから。
 
神ヤハウェは、こういう挑発的なことを伝えている。
 
 これから起こる新しいことを知らせよう
 隠されていたこと、お前の知らぬことを。
 それは今、創造された。
 昔にはなかったもの、昨日もなかったこと。
 それをお前に聞かせたことはない。
 『見よ、わたしは知っていた』と
 お前に言わせないためだ。
 
 ――旧約聖書 『イザヤ書』 48章6、7節
 
神は、「私には未来が見えています」という人間の知ったかぶりを挫く。
土壇場で、人間の予想外の新しいことを創造してしまう。
天使に命じて、わざと偽預言を広める情報工作をすることすらある。(列王上22章)
そんな神を相手に、人間が未来予知を試みることに何の意味があるだろう。
 
それに、未来の具体的なことは何も見えなくても、
真っ暗闇に放置されたというわけではない。
未来の空気の圧力みたいなもの(どう表現していいかわからない)は感じる。
今は、自分が正しい方向を向いているか否か、それで判断している感じ。
 
もし私が見当違いのことをしていたら、すぐに止めてくれと、神様には毎日頼んでいる。
そういう願いならば、神は叶えてくれるはずだから。
 
私のエゴは、「早く、早く、収入の道を、世間体が……」とか毎秒急かしてくるけどね。
私の心に響いてくる声は、
「その身体(健康状態)でいったい何をするつもりなのか」
「基礎を根本から造り直して、正しい土台を据えるのが最優先」だという。
 
預言者ハガイの書にあるとおり。
 
 この日以後、よく心に留めよ。
 この九月二十四日 主の神殿の基が置かれたこの日から、心に留めよ。
 倉には、まだ種があるか。
 ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブは、まだ実を結んでいない。
 しかし、今日この日から、わたしは祝福を与える。
 
 ――旧約聖書 『ハガイ書』 2章18、19節
 
荒廃したエルサレム神殿(=神と人との絆が破壊されたというシンボル)の再建は、
あたりまえだけど、まず土台工事から始まった。
過去の残骸を撤去して、地面を掘り返すところからだ。
 
何しろイエスは大工だったもんな。
旧約聖書の預言書には、しばしば測量天使が登場するしなあ。
エゼキエル書の終盤は、測量データの羅列だし。
ユダヤ人は建築術が好きなのかな?
 
 主はわたしに与えられた分、わたしの杯。
 主はわたしの運命を支える方。
 
 測り縄は麗しい地を示し、
 わたしは輝かしい嗣業(しぎょう)を受けました。     ※ 嗣業 = 相続物
 
 ――旧約聖書 『詩編』 16編5、6節
 
私の中にも、神の測り縄(定規縄・ロープ)に従って、
建築基準に合格できる基礎ができあがるまでは、
外部状況はまったく動かないだろうという予感はある。
 
私の現場監督者として、
建築基準に厳しい神霊か天使が派遣されている感もある(笑)
 
建築基準厳守は大事やね。
 
近年、製造メーカー大手のデータ改ざんが明るみになる事例が続いているけど。
後から謝罪して、部品交換して、信用を落として、賠償やら株価下落やら……
こういうことになるぐらいなら、製造段階で厳しく基準チェックするべきなんだよね。
 
神はそういうところ、ぜったいに手を緩めないから、
私はそういう神の厳しさを安心 = 癒しだと感じる。
 
で、このブログで、神と聖書と日ユ同祖論について書いているのは、
私自身の基礎工事の一環なんだなあ。
 
このテーマで記事を一つ書くたびに、
私自身の理解も深まっているという確実な手ごたえがある。
 
地味な基礎練習をしっかりやって、正しい基本フォームが身につけば、
その後の応用がものすごくラク&速く形にできるということは、
私のこれまでの経験からも十二分に納得できる。
 
今、こうして神と聖書について、一つずつ試す&考察して、シェアすることが、
神の意向と合致しているならば、
私の状況はすぐに好転しなくてもいいやと思っている。
 
いや、もちろん好転してほしいんだけど、
「すぐに」という点に重きをおかなくなってきたのは確かだ。
 
インシャーアッラー(神の御心ならば)。
実験は、まだまだ続く。

 

 
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』
 
※ イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC』をお勧めします。
 
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