私がパソコン講師になるまでの話、
第2回です。
あ、こっそりお知らせなんですが……
前回の
「マウスも使えなかった昭和OLが、
パソコン講師になるまでの話」、
思った以上に
書いてて楽しくなってしまいまして。
そして思った以上に
たくさんの方に読んでいただけまして💗
私がパソコン講師になるまで〜たまたまの連続がキャリアになる〜
気づいたら、
こっそりシリーズ化、
決定してました。
(決めたの自分)
というわけで、今回からは正式に、
「私がパソコン講師になるまで」シリーズ
としてお届けします。
第2回の今日は、
“スキル:打てる”だけだった私が、
なぜか講師業の階段を上っていく話。
前回の記事の職場には、
6年勤務して退職しました。
ちょっとね
自分がやらなきゃ!とがんばって
電車が無くなるまで仕事してて
月末はタクシー帰り。
(バブル期だったので
タクシー代は会社から出た)
さすがにこのままじゃ
自分が倒れると自覚した26歳。
退職を決意して無職に!
そこからどうやって
再びパソコン講師になるのか?
スタートです!
まずは派遣社員としての仕事からスタート。
ある日配属されたのは、
某大学の研究室のプロジェクト。
内容は、
学者さんたちの論文を一覧にまとめる
という作業。
資料はすべて紙ベース、しかも英文。
「英語できませんけど!?」
って一瞬ひるんだけど、
いやよく見たら、全部入力だけ。
読む必要はない。
打つだけでいい。
しかしここで事件が。
アルファベットになると、
タイピングがうまくできない。
私はローマ字入力に慣れていたから、
日本語を打つときはスラスラ。
この時にはブラインドタッチも習得済み。
だけど英文になると…手が止まる。
「え?ブラインドタッチって…
英語になると効かないの?
私の脳、二重構造だったの!?」
これは新発見でした。
ここはまた別記事で書きますね。
日本語変換脳と
アルファベット入力脳は、
別部屋にある。
でも、この経験がなかったら、
私は今も「英語入力苦手です…」って
言ってたかもしれない。
結果として、
私はここで
英文ブラインドタッチスキル
をゲットしました。
今、
AI時代で“英単語の入力”が必須な時代、
あの地味な打ち込み作業が、
確実に私のスキルになってます。
派遣の仕事は
東京でもう一つありました。
次に配属されたのは、
世界中に名が轟く超有名企業。
最初は総務と秘書業務。
これ得意分野だから問題なし。
一旦結婚で派遣登録解除して、
落ち着いた頃に
またこの職場から呼び戻された。
なんてありがたい!
しかしそこは
同じ事務所ではあったけど
まさかの経理。
経理、全然知らない。
伝票とか…帳簿とか…うん、未知。
仕訳って何ですか?
でも、入力の速さなら負けない。
当時は紙ベースの精算伝票を、
ひたすらシステムに入力する
という業務が中心だったので、
私は
「よくわかんないけど、めちゃくちゃ助かってる」
人材になってました。
そして時代は進み、
この職場でもついに経理システム全社導入。
ここで来ました――
ハイ!
「社員全員にシステムを教えてください」
ミッション。
教える人?誰?
…私です。
デジャヴだな。
ということで、
またもや
「マニュアル作成→社員向け講座」
ループ突入。
でも、不思議と自然にできました。
前職の経験が、ここでつながったんです。
気づけばまた「教えてる」自分がいた。
当時は“講師”なんて名乗ってなかったけど、
すでに私は、
人にわかりやすく伝える訓練
を続けてたんですよね。
パソコンスキルがすごかったわけじゃない。
ただ、打てた。
ただ、それを
わかりやすく伝えられた。
それだけで、私は現場で重宝されて、
「教えてもらうならあの人」
って言われる立ち位置におりました。
なんとなく
教えるという環境が
向こうからやってくる人生です。
まぁ、こうなるまでは
いろいろ地道な努力も
今思えばしてたんですけどね!
次回、第3回はいよいよ
「お味噌汁がキャリアを変えた話」
から始まる、
夫の転勤での転職、
そしてブランクを経て
パソコン講師デビューへ――
第3回はこちら
お味噌汁とお弁当と尊さと〜事務員時代の大発見〜私がパソコン講師になるまで第3回
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